平山郁夫画伯のレリーフです。
彼が描いたしまなみ海道の来島海峡大橋です。
橋の下は来島海峡です。
こちらにも有ります。
ここから描いたものです。来島海峡の名前の元になった「来島」です。来島村上水軍の本拠地でした。全島要塞化されて、山頂に城が在ったそうです。正面に港が在ります。波止浜港から出る渡船は、最初あそこに着桟します。
しまなみ海道の向こうに霞んでいるのは今治市の中心地です。右前方奥に霞んでいるのが、「太平記」の舞台「世田山・笠松山」です。しまなみ海道の島々からもよく見えます。伊予国経営の中心だった事が納得できます。
こちらが芸予要塞跡が在る小島です。来島海峡の要衝ですが、明治政府はここをバルチック艦隊が通過する可能性を考えていたんですね。
展望台下の展望所に来ました。銅像が有ります。
作者は「高階城太郎」です。彼は画家高階重紀の長男で、私の叔母の弟弟子でした。今は故人です。10年くらい前に、新婚の次男夫婦をここに案内した時に、新婦がこの像を見つけて「高階先生だ!」と声を上げました。次男夫婦が通っていた高校の美術教師でした。
東京の高校で、今治出身の教師が今治出身の親を持つ生徒と出逢ったのです。私の名字は珍しいです。ひょっとしたら、と思った教師が次男に尋ねて判明したのです。次男は、教師の姉弟子の甥孫だったという奇跡です。それ以来、帰郷時にはこの像を訪ねています。
ライダーが寛いでいます。しまなみ海道を走るサイクリングのメッカでもあります。
しまなみ海道を眺めます。
正面は馬島です。今治藩の軍馬育成の島だった事からの命名です。
眼下を急流観潮船が行きます。芸予要塞の島「小島」が静かに浮かんでいます。今は昔の話です。
来島海峡の梅雨景です。