【福井】
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=21301&storytopic=7
もんじゅ運転再開 14年5カ月ぶり、8日臨界
日本原子力研究開発機構は6日午前10時36分、
1995年のナトリウム漏れ事故で停止していた
高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の
原子炉を起動し、14年5カ月ぶりに運転を再開した。
8日には原子炉で核分裂が連続して起きる
臨界に達する見通し。
性能試験(試運転)の第1段階となる炉心確認試験が
7月下旬まで続けられる。
核燃料サイクルの中核と位置づけられる
高速増殖炉開発が再始動。
国は2050年ごろの実用化を目指すが、
技術の確立やコスト面で大きな課題を抱え、
実現するかは不透明だ。
もんじゅの中央制御室では、
原子力機構の岡崎俊雄理事長らが見守る中、
運転員が制御棒引き抜きのボタンを押し、
原子炉を起動した。
河瀬一治敦賀市長も立ち会った。
【中日】
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010050690104436.html
もんじゅ運転再開 14年5カ月ぶり
1995年12月のナトリウム漏れ事故以来、
運転を停止していた高速増殖原型炉もんじゅ
(福井県敦賀市)が6日、
14年5カ月ぶりに原子炉を起動した。
8日にも連続して核分裂が起きる臨界に達する見通しで、
使用済み核燃料を再利用する国の「核燃料サイクル」政策の
中核施設が再び動きだした。
もんじゅ構内の中央制御室で午前10時36分、
運営する日本原子力研究開発機構(原子力機構)の職員が
出力を調整する制御棒の引き抜き作業を始め、運転を再開。
岡崎俊雄理事長らが見守る中、核分裂が始まった。
もんじゅは資源小国の日本がプルトニウムを
本格利用する施設として建設。
使った以上に燃料を生み出す“夢の原子炉”と期待されたが、
冷却材として使うナトリウムが漏れた事故後は逆風が続いた。
9000億円もの資金をつぎ込んだ経緯もあり、
今後は費用対効果にも厳しい目が注がれる。
臨界後は約3年間の試験運転に入る。
7月下旬までは第1段階として、出力1%前後で
原子炉内の反応を確かめる炉心確認試験を実施。
かつてナトリウム漏れ事故が発生した発電を伴う
40%出力の確認試験は2011年度初めになる見通し。
再開後に会見した岡崎理事長は
「安全確保を第一に、高速増殖炉の実用化に取り組む」と
決意を示した。
原子力機構と経済産業省原子力安全・保安院は当面、
毎日会見を開いて運転状況を報告する。
もんじゅは事故発生から10年後の2005年、
改造工事に着手し、運転再開の準備を開始。
その後もナトリウム漏れ検出器の不具合や屋外排気ダクトの
腐食などトラブルが相次ぎ、再開予定を5度延期してきた。
■西川一誠福井県知事の話…
十四年余停止後の再稼働であり、国が前面に立って、
県民の安全・安心の確保に万全に期し、
慎重かつ着実に試験を進めることを期待する。
世界最先端のエネルギー研究開発拠点として
成果をあげることを望む。
【高速増殖原型炉もんじゅ】
プルトニウムとウランの混合燃料を使い、
発電しながら消費した以上に燃料を生み出すとされる
研究段階の原子炉。
1985年に着工。
94年に運転を開始したが、95年12月に
ナトリウム漏れ事故が発生し、
現場を撮影したビデオの隠ぺいも発覚した。
その後改造工事に着手し、運転再開へ準備を進めたが、
トラブルが相次ぎ、再開日程は延期を続けていた。
出力は28万キロワットで
通常の原発の3分の1~4分の1の規模。
【共同】
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010050601000211.html
もんじゅ運転再開 14年ぶり高速増殖炉復活
日本原子力研究開発機構は6日、
1995年のナトリウム漏れ事故で停止中の
高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の
運転を14年5カ月ぶりに再開した。
消費量以上の燃料を生み出し、国がかつて
核エネルギー政策の中核に位置付けた
高速増殖炉開発が復活、国は2050年ごろの
実用化を目指すが、運転には多額の国費が必要で、
実現するかは不透明だ。
冷却材のナトリウムは火災が起きやすい上、
長期停止設備の老朽化も懸念されており、
事故再発防止への取り組みに厳しい視線が注がれる。
原子炉補助建物内の中央制御室で当直長の合図を受けた
職員がボタンを押し、核分裂を抑制する
制御棒19本のうち1本の引き抜き操作を開始、
もんじゅは午前10時36分に運転を再開した。
岡崎俊雄理事長、河瀬一治敦賀市長や
経済産業省原子力安全・保安院の職員ら
計約60人が立ち会った。
核分裂の連鎖反応が持続する臨界に、
8日に達する見込み。
その後は徐々に出力を上げながら試験運転を続け、
13年春に本格運転に移る予定。
1977年に臨界に達した実験炉常陽(茨城県)で
高速増殖炉の開発が始まったが、第2段階の
もんじゅのナトリウム事故で計画は停滞した。