はるみのちょっとTea-time

日々の暮らしのなかで感じたこと、市民運動のことなどわたしのことばで、つづります。

わたしのなかの各務原

2015-11-22 | 日々の暮らし

昨日は、岐阜県各務原市の市議会との交流会で各務原市へ・・・

各務原・・・わたしずっと「かがみはら」だと思っていた。

実は「かかみはら」が正解。

友好都市なのに、名前間違えて覚えていたなんて、

恥ずかしいし申し訳ない・・・

 

わたしが初めて「各務原市」のことを知ったのは、高校生の時。

いとこの就職先が、

各務原にある「リス・プラスチック」だったからだ。

ほとんどどこの家庭にもある、プラスチックのゴミ容器や

漬物樽などを製造販売する会社だ。

そのときから、「かがみはら」だと思い込んでいたのだから

なんと! 50年も勘違いのままだったのだ。

 

わたしの同級生で幼なじみの薫ちゃんが、

いとこと同じ会社に就職したとき、

薫ちゃんのママがヨーロッパ軒のカツ丼をふたりに送っていたのも

今は遠い過去のこと・・・

いとこも薫ちゃんも天国へいってしまった。

 

各務原は、書道の盛んなところでもある。

書道を通じての市民レベルでの交流も長い。

行政や議会だけでなく、

もっと市民レベルでの交流が深まり続いていくことを願っている。

 

 

 

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(耕論)もんじゅ漂流20年 吉岡斉さん、小沢守さん、高村薫さん

2015-11-22 | ニュースから

朝日新聞【耕論】から

(耕論)もんじゅ漂流20年 吉岡斉さん、小沢守さん、高村薫さん

2015年11月21日05時00分

写真・図版グラフィック・西森万希子

  • 写真・図版
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 1995年12月のナトリウム漏れ事故からほとんど動いていない高速増殖原型炉もんじゅ。運営の見直しが勧告された。20年もの漂流から何が見えてくるか。国家と技術のあるべき関係は。

 

 ■科学者たちの誇大妄想 吉岡斉さん(九州大学教授)

 もんじゅは、とっくの昔に無用のものになっています。

 もともと高速増殖炉は、ウラン資源節約のために始めた研究開発でしたが、技術の未熟さと建設費用の膨張から、1990年代初めには世界的に行き詰まっていました。

 それでも日本は推進したのですが、もんじゅのナトリウム漏れによる火災と、当時の運営主体だった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)によるデータ隠しという不祥事が起きた。国民の不信が強まり、政府は計画の見直しを迫られました。

 97年末に出された原子力委員会の方針で、実用化に向けたもんじゅ以降の計画は白紙となり、高速増殖炉開発はゴールを失ったのです。

 にもかかわらず廃止をうたわなかったのは、国の核燃料サイクル政策自体の見直しとなるのを避けたかったからでしょう。非核保有国として唯一認められた核燃料の再処理という安全保障上の権利を、もんじゅ廃止に引きずられる形で手放したくなかった。

 ですが結局、もんじゅはその後もほとんど運転できずに今日に至ります。復活を模索する動きが執拗(しつよう)に重ねられましたが、振り返ってみれば政策が空回りしただけ。まるで「飛べない不死鳥」です。この20年だけでも、もんじゅ向けに投じられた国費は約3千億円になります。廃止を決めていれば避けられた。私は当時「もんじゅを博物館とし技術者は学芸員として再雇用して技術保存を」と提案しましたが却下されました。

 原子力にかかわる科学者や技術者は、新技術に挑戦し続けることが重要だと主張します。しかし、科学的言説は、第三者によって検証可能な根拠を伴うことが求められます。もんじゅには何もない。希望的観測を膨らませて語るだけでは科学と言えません。

 企業や投資家も、実用化を見通せない技術にお金は出さない。ですから科学者や技術者は、政府から研究開発費を引き出すために誇大妄想的な将来像を語りがちです。もんじゅはその典型でしょう。

 東京電力福島第一原発の事故で、原子力を巡る政治的・社会的環境は一変しました。20年前は原子力発電の是非そのものを議論するには至らなかった。今は違います。原発を再稼働したい安倍政権の下でさえ、簡単には動かせない。もんじゅはおろか、軽水炉を含めて原子力は今後、加速度的に衰退するでしょう。

 原子力規制委員会の勧告は厳しいようで政策の妥当性そのものには踏み込んでいない。運営組織を代えればいいという延命への逃げ道を与えたと見ることもできます。

 もはや誰も本気でもんじゅを動かせるとは思っていない。ここで廃炉を決め、核燃料サイクル政策も見直しの俎上(そじょう)に載せるべきです。(聞き手 論説委員・高橋万見子)

     *

 よしおかひとし 1953年生まれ。専門は科学技術史。内閣府原子力委員会専門委員などを歴任。近著に「技術システムの神話と現実」。

 

 ■準国産エネの技術必要 小沢守さん(関西大学教授)

 長期的な視野に立てば、たとえコストがかかっても、新たに燃料を生み出す高速増殖炉は資源の少ない日本にとって必要な技術だと思います。

 高速増殖原型炉もんじゅは海外からの技術導入で始まった商業原発とは異なり、初めての国産技術開発でしたから、さまざまな困難があるのはむしろ当然です。事故やトラブルから学びながら、開発を進めていかなければなりません。

 開発途上であることを考えれば、推進母体の国や規制当局はもちろん、国民も配慮が必要だと思います。そうした開発段階の位置づけを社会に理解してもらえるよう、日本原子力研究開発機構は努力を重ねなければなりません。

 技術開発には、継続性が求められます。いったん途絶えれば、そのマイナスを埋めるのは困難です。今月、国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が初飛行しましたが、YS11以来、国産旅客機開発が半世紀も途絶えていたため、日本の航空機産業は競争に出遅れました。基盤技術の確立は容易ではありません。

 もっとも、もんじゅの開発体制は、出発点からいくつか問題を抱えていました。我が国の技術開発力の全般的なレベルアップを名目に、三菱重工業や東芝、日立製作所など複数のメーカーと、国との分業体制がとられた。これがあだになった面があります。

 開発や運転にかかわったメーカーや電力会社から派遣されたのは、いわば応援社員で、何年かすれば自社に戻ってしまう。現場で運転管理技術を蓄積させることは、なかなか難しい状況でした。

 一方、当初の運営主体だった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)では組織改編が続き、幹部が現場の声をすくいあげる体制が乏しかった。もんじゅが長期間停止した結果、設計に当たった動燃の技術者がいなくなり、やる気を失う職員もいたと思います。技術開発は同時に人材育成でもありますが、システム全体を見渡せる人材が育ちにくかった。そこを見直す必要があります。

 昨年、閣議決定されたエネルギー基本計画で、もんじゅはいわゆる「核のごみ」とも呼ばれる高レベル放射性廃棄物の有害度を低減する研究施設として位置づけられました。これでは、準国産エネルギーを得て、輸入に頼るウランや化石燃料への依存度を減らすという、そもそもの目的は達成できません。本末転倒だと思います。

 将来のエネルギー源の選択肢を増やすという本来の目的に戻し、高速増殖炉の実用化をめざす開発を進めるべきです。その研究開発は、ナトリウムを冷却材に使う技術などの蓄積がある、原子力機構にしか担えないと思います。(聞き手 編集委員・服部尚

     *

 おざわまもる 1950年生まれ。専門は熱工学。原子力機構もんじゅ安全・改革検証委員会委員など、もんじゅの技術開発に長く関わる。

 

 ■幽霊を飼うようなもの 高村薫さん(作家)

 もんじゅの計画段階では石油危機もあり、資源小国として新しいエネルギー源が必要だったし、高速増殖炉という最先端の科学技術に夢を託したい。その発想は理解できるんです、半世紀前なら。

 しかし、状況は刻々と変わります。事業や計画は当然、常に見直さなければならないのにそれができず、走り出したら止まらない。なぜか。日本の官僚機構には事業を評価し責任を取るシステムがないからです。だから見直す理由がない。時代状況に合わなくなっても事故を起こしても、採算がとれなくなっても。

 政治が見直しを促すべきですが、その意志も能力もないまま、全く実現する見通しのない巨大プロジェクトが意味もなく続いてきました。この国の20年、30年先のことをまともに考えていないということです。もんじゅは幽霊を飼っているようなものですね。あたかも生きているかのように皆で守っている。

 装置が落下するなど、お粗末な事故も続きました。人間はロボットではないから必ずミスする。東京電力福島第一原発でも、事故から4年以上たつのに汚染水の処理すらできていない。そんな現実が私たちに突きつけているのは、原子力という技術は人間の手に余るということです。

 昔は、技術と人間の身体はつながっていました。機械化されてもかろうじてつながっていましたが、コンピューター制御になり、現場の技術者は山のように出てくるデータと自分がやっている作業とを正確に関連づけるのが難しくなってしまいました。

 近づけない、見られない、データを通して知るのみ。原子力はまさに、人間の身体と切り離された巨大技術の典型です。技術と人間の身体感覚の関係でここまでならなんとかなる、という限界を超えてしまった怖さがあります。

 技術と人間の関係も見極めて決断する、そういう英知を政治家が持つべきですが、それが無理ならせめて、総額1兆円もの税金を投じて何一つ動いていない、そのことにおそれおののくべきでしょう。

 国民の側も「もんじゅ、何それ」では? 加担している部分がないとはいえません。

 小説「神の火」で丸腰の人間による原発テロを描いたのは、湾岸戦争で米国の地下貫通型爆弾が砂漠の防空壕(ごう)の厚さ5メートルの天井を突き破ったことがきっかけでした。ミサイル技術も進んでおり、1メートル程度のコンクリートなどひとたまりもない。そんな状況で原発を動かしていることの危うさに気づかないのか、という思いでした。

 国の防衛をいうなら、日本海側にずらりと並んだ原発をどうするんだと。持ってはいけない施設になったんです。ただ、廃炉のためにも技術を絶やしてはなりませんが。(聞き手・辻篤子)

     *

 たかむらかおる 1953年生まれ。商社勤務を経て90年に「黄金を抱いて翔(と)べ」で作家デビュー。直木賞選考委員。最新作は「空海」。

 

 ◆キーワード

 <もんじゅ(福井県敦賀市)> ウランとプルトニウムを燃料に、消費した以上のプルトニウムを生み出す高速増殖炉の原型炉。建設と維持管理に約1兆円が投じられた。原子力規制委員会は今月、運営主体を日本原子力研究開発機構から代えるよう文部科学相に勧告した。

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(国策の果て もんじゅの20年:下)原子力開発、根幹への疑問符

2015-11-21 | ニュースから

朝日新聞連載から

(国策の果て もんじゅの20年:下)原子力開発、根幹への疑問符

2015年11月21日05時00分

写真・図版

「もんじゅ」の中央制御室を模したシミュレーター室で原子炉起動準備の操作訓練をする運転員ら=17日、福井県敦賀市、大野正智撮影

 高速増殖原型炉もんじゅの運営見直しを原子力規制委員会が勧告した13日、日本原子力研究開発機構の前理事長、松浦祥次郎相談役(80)は真意を測りかねていた。「この勧告は、いったいどんな成果を期待しているのか」

 文部科学省の幹部は「これは、答えのない問いだ」。

 勧告は、機構に代わって運転を安全に行う能力がある者を「具体的に特定する」よう、馳浩文科相(54)に求めた。

 開発をずっと担ってきたのは動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の流れをくむ人たちだ。機構の他にこの施設を熟知した集団があるはずはない。東京電力福島第一原発事故でふつうの原発の再稼働もままならない原子力界に、先の見えない研究開発炉の運営を担う余力は乏しい。

 戦後の原子力開発に黎明(れいめい)期からかかわってきた住田健二・大阪大名誉教授(85)は現状を憂う。

 「このままもんじゅをだらだらやって、もし事故か何かがあれば、原子力全体がめちゃくちゃになる。いったん開発から撤退し、スタートからやり直すくらいの気持ちが必要だ」

 消費した以上の核燃料を生み出す高速増殖炉を開発し、エネルギーの自立を果たす。それが日本の原子力開発の最終的な目標だった。規制委の勧告は、その根幹を突いた。

 

 ■変わる位置づけ

 世界の主要国は当初、みな高速増殖炉に魅せられた。高速増殖炉こそが原子力の利点を最大限に引き出すと考えていたからだ。

 もんじゅと同じ段階にある原型炉は、旧ソ連のBN350が1973年にまず運転を開始。翌74年にフランスのフェニックスが続き、76年には英国のPFRが稼働した。日本は85年にもんじゅに本格着工し、後を追った。しかし、技術的な難しさや、巨額な開発投資に見合う利益が簡単には得られそうにないことなどから、英独は開発から撤退。フランスも原型炉の次の実証炉まで建設したが、すでに廃止した。

 「開発に世界で50年にわたり10兆円以上が投入されたが、商業化できた国はない」「ふつうの原発よりずっとコストが高く、信頼性が低い」。フランク・フォンヒッペル・米プリンストン大名誉教授(核政策)は6日、都内であった核燃料サイクルのシンポジウムで、そう指摘した。

 日本でも、もんじゅの位置づけは様変わりした。消費した以上の核燃料を生み出すという利点は2000年の原子力開発利用長期計画で明示されなくなった。昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画では「実用化」の文字も消えた。

 それでも撤退はしない。

 気がつけば、投じた国費は約1兆円に膨らんだ。国内外にたまった日本のプルトニウムは非核兵器国で最多の約48トンに。国際的な批判を受けかねない状況だ。

 

 ■「透明性が大切」

 勧告への答えは、どこにあるのか。

 20年前のナトリウム漏れ事故などを受けて設置された旧科学技術庁の動燃改革検討委員会。その座長を務めた吉川弘之・元東京大総長(82)は「透明性をもって情報をすべて公開し、国民が決めることだ」と話す。

 日本は高速増殖炉のない原子力開発の姿を描いたことはない。国民の声が届かないところで、原子力の世界の人たちだけで決めてきた。半世紀以上続くその構図が問われている。

 吉川さんは言う。

 「日本には様々な課題があるのに、50年後に高速増殖炉をやろうといって国民的な合意を得られるか。国民の支持がなければ、やめるしかない」

 (編集委員・上田俊英 桜井林太郎)

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(国策の果て もんじゅの20年:中)核燃サイクル、実りなき延命

2015-11-21 | ニュースから

朝日新聞のもんじゅ連載第2弾

国策の果て もんじゅの20年:中)核燃サイクル、実りなき延命

2015年11月20日05時00分

写真・図版ナトリウム漏れ事故が起きた「もんじゅ」の2次冷却系配管室。その後20年間、もんじゅはほとんど運転できていない=1995年12月、福井県敦賀市、代表撮影

 「勧告文書には廃炉という言葉はなかった。安全管理を任せるに足る運営主体を選びたい」

 高速増殖原型炉もんじゅの見直しを求める原子力規制委員会の勧告を受けた馳浩文部科学相(54)は17日、廃炉の可能性をひとまず否定した。

 使った以上に燃料のプルトニウムが増える高速増殖炉は、天然資源の乏しい日本に自前のエネルギーをもたらす「夢の原子炉」。使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理とセットになった核燃料サイクルは原子力政策の根幹だった。日本は、まだ原発が1基もなかった1956年から、高速増殖炉の開発を原子力開発利用長期計画(長計)に掲げてきた。

 遅れに遅れた開発が大きくつまずいたのが、95年のもんじゅのナトリウム漏れ事故だった。

 プルトニウムを増やすもんじゅが廃炉になれば、サイクル政策を続ける意味がなくなり、使用済み核燃料が「ごみ」となるおそれがある。最終処分場の見通しはなく、使用済み核燃料の行き場がなくなって、ふつうの原発の運転も立ちゆかなくなる。だからこそもんじゅは、成果をあげなくても約1兆円の税金を垂れ流しにして守られてきた。

 

 ■見直す機会2度

 実は、この20年で2度、核燃料サイクル政策を大きく見直す機会があった。いずれも最後は、強い抵抗が立ちはだかった。

 最初は2004年。原子力委員会は長計の改定に向けてサイクル政策を17回、計45時間も集中審議した。六ケ所再処理工場青森県)の試験操業前で反対機運が高まっていた。議論では、使用済み核燃料をすべて再処理すると、再処理せずに直接捨てる場合に比べ、発電コストが10~15%高くなることを認めた。

 ここでつくり出されたのが「政策変更コスト」だ。サイクル政策をやめれば、すでに投資した巨費が無駄になるだけでなく、原発が全て停止、代わりの火力発電所の建設運転費が11兆~22兆円もかかり、結果的に割高になる――。そんな理屈だった。

 2度目は12年。30年代に原発ゼロをめざすとした「革新的エネルギー・環境戦略」を当時の民主党政権がつくったときだ。

 当初、検討されたのが「サイクル政策中止」「もんじゅ廃炉」。戦略策定に民間からかかわった伊原智人さん(47)は「当時、原発はほとんど止まっていたが、停電は起きなかった。撤退できる例外的なチャンスだった」と振り返る。

 だが、使用済み核燃料を受け入れてきた青森県や、もんじゅがある福井県が強く反対した。弱体化した民主党政権に押し切る力はなく、結局、サイクル政策は継続。もんじゅも「年限を区切った計画を策定、実行し、成果を確認の上、研究を終える」とするのが精いっぱいだった。

 

 ■膨れあがる国費

 「15年か20年先には増殖炉もできるようになるだろう」。旧科学技術庁の事務次官を務めた伊原義徳さん(91)は約60年前そう考えていた。実際は今も実現の見通しがたたない。「理論と現実との間の乖離(かいり)が大きかった。まだ50年から100年かかるかもしれない」

 大きな見込み違いを修正できないまま、投じた国費は膨れあがった。だれも責任をとろうとしない。元文科省幹部は「もんじゅは多額の税金を投入した『仕掛かり品』。中途半端にやめるのでなく、何らかの成果を上げるのが国民への責任だ」と延命を正当化する。

 だが、高速増殖炉の実用化は展望できない。もんじゅの維持は問題解決の先送りでしかない。(竹内敬二、桜井林太郎)

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福井新聞連載 「瀬戸際もんじゅ」最終章

2015-11-21 | ニュースから

福井県の切り札だった「もんじゅ」・・・

その切り札自体がなくなろうとしている。

【連載】瀬戸際もんじゅ(5)完 エネルギー拠点化計画が曲がり角

(2015年11月21日午後5時20分)

拡大 福井県のエネルギー研究開発拠点化計画の一環で整備された、県立病院陽子線がん治療センター内にある照射室=福井市

福井県のエネルギー研究開発拠点化計画の一環で整備された、県立病院陽子線がん治療センター内にある照射室=福井市


 原発を単なる「発電工場」にとどめず、原子力を中心としたエネルギーの研究開発拠点の地域とする―。この理念を掲げ毎年、福井県内の産学官が連携して各事業を進めているのが、県のエネルギー研究開発拠点化計画。西川一誠知事ら関係機関のトップが集まる推進会議はことし発足から丸10年を迎える。会議は23日に開かれる予定だ。

 2005年3月の計画策定当時、拠点化の中核に据えられたのが、高速増殖炉もんじゅ(敦賀市)だった。原発15基が集中立地しながら地場産業は育たず、自立する形での地域振興につながっていない―との反省から、もんじゅから派生する先端技術の研究や産業の集積を目指した。

 「もんじゅが本格的に稼働すれば世界中から研究者が集まり国際研究の中心になると、期待が大きかった」。県の県民生活部長、副知事を務めた若狭湾エネルギー研究センターの旭信昭理事長は振り返る。

   ■  ■  ■

 核となるもんじゅは長期停止していたが、拠点化計画はこの10年、さまざまな分野に事業を展開してきた。県立病院の陽子線がん治療センター、福井大附属国際原子力工学研究所(敦賀市)などが次々と整備され、省エネ型の大規模園芸施設といった嶺南の産業振興も着々と進む。

 人材育成でも若狭湾エネルギー研究センターが中心となり、原発の保守業務に参入する県内の下請け会社などを対象に技能向上研修を実施。これまでに約1万人が受講した。アジアを中心に海外研修生も受け入れている。

 「ジグソーパズルにたとえれば、歯抜けもあるが絵らしくはなっている」と話すのは、県の総務部企画幹時代に拠点化計画づくりを担った来馬(くるば)克美福井工大教授。ただ「結局もんじゅって何なの、と埋めようのないピースはある」と現状を言い表した。

 福島の事故後、原子力政策は揺れ動き、拠点化計画は方向性を失いつつある。運転40年を超えた県内原発3基の廃炉が決まり、もんじゅの行方も不透明さが増した。来馬教授は「地域が今後、原子力とどう関わっていくのか、計画のビジョンを見直す時期に来ている」と指摘した。

   ■  ■  ■

 県は1995年のナトリウム漏れ事故以降、もんじゅや核燃料サイクルの位置付けの明確化を一貫して国に求めてきた。栗田幸雄前知事は新潟、福島と合同で「3県知事提言」を行い、国民的な合意形成などを要請した。

 今回、原子力規制委員会が勧告方針を決めた後も、西川知事はすぐさま文部科学相、経済産業相と面会。「もんじゅの研究開発の成果が十分上げられるよう、政府の責任体制を整備するべきだ」と運営立て直しを要求した。

 もんじゅは度々、地域振興策で国の協力を引き出す“政治カード”にも使われてきた経緯がある。拠点化計画への国の関与は、もんじゅの改造工事入りを西川知事が判断する条件の一つだった。県や県議会が北陸新幹線の県内延伸との“セット論”を掲げたこともあった。

 野田富久県議(民主・みらい)は「県はもんじゅの存在意義を求め、さまざまな手を打ってきたが、実態として何もなし得なかった」とし、県に総括を求める。一方、自民党県政会のベテラン県議は「結局、もんじゅは新幹線の交渉カードにはならなかったが、県は拠点化計画などで利用してきた。今は国の対応を見極めるしかない」とつぶやいた。

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福井新聞連載 「瀬戸際もんじゅ」第4弾

2015-11-21 | ニュースから

巨額な交付金は

わたしたちの大切な税金であるということを忘れてはならない。

そのツケは必ず、次世代への負担となって返ってくる。

【連載】瀬戸際もんじゅ(4) 巨額な交付金が「フル稼働」

(2015年11月20日午後5時20分)

拡大 もんじゅを見つめる橋本昭三さん。「勧告の影響は大きい」と懸念する=福井県敦賀市白木1丁目 もんじゅを見つめる橋本昭三さん。「勧告の影響は大きい」と懸念する=福井県敦賀市白木1丁目

 福井県敦賀市白木区の坂本勉区長(60)は、集落の長男としては初めて、全日制高校に進学した。中学卒業後は大敷き網漁師になるのが当たり前だった時代。1970年に市が動力炉・核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)の高速増殖炉建設の調査を了承、2年後に科学技術庁(当時)が、もんじゅを白木に建設する計画を発表し、集落が大きく揺れた時期だった。

 「高校3年間でいろんなことが急激に変わった。最初は漁師になるつもりで水産高を選んだんだけど」。結局、動燃に就職しこの夏まで勤め上げた。最後は保守点検を担うプラント保全部。「運営主体の資質がない」と指弾された原子力規制委員会の勧告に戸惑う。「もんじゅがなければ、集落は今なかった。区長としても簡単にそうですか、とは言えない」

 集落で区長を15回務めた元市議橋本昭三さん(87)は、78年刊行の著書「白木の里」に、誘致の思いを詳しくつづっている。当時、同じ敦賀半島の立石区や美浜町丹生区で原発が建設され道路が整備されたのに、白木は林道のまま。「高速増殖炉の建設を見逃しては、悲願の県道改修は近い将来あり得ない」。陸の孤島として取り残される強い危機感があった。40年超を経て再び集落を揺るがす勧告に橋本さんは「影響は大きい」と懸念を強める。

  ■  ■  ■

 もんじゅから車で約10分。廃校となった美浜町丹生小校舎で、来年9月の完成に向け町エネルギー環境教育体験施設の整備が進んでいる。実験教室や120人収容のホールなど観光、教育の拠点施設として期待されている。建設費と運営費計15億円は全額、もんじゅの研究開発推進を図る交付金。敦賀市も08、09年度にこの交付金20億円を受け、JR敦賀駅前に福井大附属国際原子力工学研究所の建物を建設した。

 もんじゅは、運転実績はわずかだが、交付金は“フル稼働”だ。運転開始後、10年間が交付期間だった別の交付金でも、敦賀市は約24億円を使い豪華客船を模した温泉施設「リラ・ポート」を建設。この交付金は越前町など嶺北市町も含め県全体では約53億円が交付され、各地で温浴施設などが整備された。

 敦賀市には、初送電翌年から固定資産税も入っている。初年度の1996年度は機械設備への課税分だけで70億円超に上った。同市にとっては税収面でも大きな存在だ。

  ■  ■  ■

 ただ近年、恩恵を受けてきた地元でさえ、視線は厳しい。今年4月の敦賀市長選を前にした本紙の世論調査では、市民の3人に1人が「もんじゅは廃炉にすべき」と答えている。

 勧告が出された翌週、リラ・ポートでは利用者から「絶えず問題を起こしている印象で愛想が尽きた」と突き放す声も聞かれた。毎週のように訪れている70代夫婦は「これまでの地元貢献とは別の話。将来性を感じず別の運営主体が見つからないのなら廃炉もしょうがない」と言う。

 「日本原電敦賀原発の新増設には賛成でも、もんじゅはだめ、という市民は増えている」。反原発の立場で活動している今大地晴美市議は「多額の税金を投じながらほとんど実績を上げていない現実を重く受け止めるべきだ」と指摘した。

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11月20日(金)のつぶやき

2015-11-21 | うまいもん
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国策の果て もんじゅの20年

2015-11-20 | ニュースから

朝日新聞でも連載が始まりました。

(国策の果て もんじゅの20年:上)原子力機構、変わらぬ甘さ

2015年11月19日05時00分

写真・図版

 1兆円が投じられた巨大なプラントが、晩秋の日本海の前で色あせていた。

 福井県敦賀半島の端に立つ日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」原子力規制委員会が運営主体の交代を勧告した13日も、作業員が機器の点検を続けていた。構内の廊下の壁には、長期停止の原因になった20年前のナトリウム漏れ事故の現場写真。別の所には「一人ひとりが『自分が主役』の意識を」とする児玉敏雄理事長のメッセージもあった。

 もんじゅは、空気や水に触れると激しく反応するナトリウムを冷却材に使っている。そのナトリウムは電熱器で加熱して液体に保たれ、今もずっと原子炉と配管の中を流れている。電気代を含め、維持管理などにかかる国費は1日約5千万円。年間約200億円。

 規制委は勧告で点検不備を繰り返す機構を「失格」と認定した。地元に住み、25年前からもんじゅの技術者として働いてきた機構の弟子丸剛英特任参与(61)は目を潤ませた。「互いに暗黙の了解で点検作業を進め、点検の前提となる認識がずれていないかどうかの確認が徹底できない甘さがあった。住民の方に申し訳ない」

   ■    ■

 研究開発炉として失敗を経験しながら改良を重ね、自分たちだけで体制を築いていく――。もんじゅを進める人たちのそんな意識は、事実の確認や社会への説明をおろそかにする甘さとして、ナトリウム漏れ事故後の対応に表れた。

 事故は1995年12月8日午後7時ごろ、出力40%の試験運転中に起きた。職員ごとの事実認識の違いなどから、当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は関係者しか近づけない現場に事故直後に入っていたのに発表せず、撮影したビデオも短く編集していた。「ビデオ隠し」「隠蔽(いんぺい)体質」と厳しく批判された。

 福井県職員として調査にあたった岩永幹夫・若狭湾エネルギー研究センター常務理事は「社会の目の厳しさをわかっていなかったように見えた」と振り返る。

 動燃はその後、別の施設でも事故を起こし、改組。もんじゅの再開は後回しにされた。2010年、試験運転にこぎつけた矢先、燃料中継装置を炉内に落下させ、また動かせなくなった。

 今回の勧告の下地には、09年に電力会社を手本に導入した新しい点検制度があった。もともと商業原発向けの仕組み。「急に導入が決まり、点検計画は泥縄でつくらざるを得なかった」(機構関係者)。機器は重要度に応じて点検しなければならないが、どの機器を重要とするかなどの解釈が職員ごとに食い違っていた。これが後に点検不備を繰り返す原因になる。

   ■    ■

 東京電力福島第一原発事故で原子力をみる社会の目は格段に厳しくなった。規制委が求める安全管理のレベルに機構と文部科学省はついていけず、埋もれていた問題が容赦なく掘り起こされていった。

 12年に約1万点の点検漏れが発覚。機構が「未点検を解消した」などと報告するたびに、新たな不備が見つかり、指摘された保安規定違反は9回にのぼった。重要度の分類の誤りが1387点あり、うち15点は最重要なのに92年から一度も点検していなかったことが判明したのは先月だった。

 更田豊志委員は、機構の新たな改革案を「動燃時代と変わらない」、動燃出身の伴信彦委員も「世界最高水準のチームでないといけないのに平均値以下だ」と突き放した。文科省はなお「問題の内容は改善している」と機構をかばった。

 度重なる違反の指摘に、現場の疲弊は著しい。もんじゅ所長を務めた機構の向和夫フェローは案じる。「能力のある職員に柔軟性がまったくなくなっている。余計なことをしてはいかんと、脳ががちがちに見える。それが単純ミスを招き悪循環に陥っている」

 (編集委員・服部尚東山正宜

 

     ◇

 ナトリウム漏れ事故から20年を経て核燃料サイクルという国策の中核だったもんじゅが存廃の岐路に立たされている。問題の構図を3回にわたって報告する。

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見果てぬ夢・・・

2015-11-20 | ニュースから

福井新聞「瀬戸際、もんじゅ」第3弾から

 

【連載】瀬戸際もんじゅ(3) 揺れる核燃料サイクル

(2015年11月19日午後5時20分)

 

 核燃料サイクルのイメージ


 新たな運営主体の特定が困難ならば、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の在り方を抜本的に見直すこと―。原子力規制委員会の勧告は、政府にもんじゅの存廃も含めた判断を迫っている。

 「もんじゅが廃炉となれば、日本の核燃料サイクルをやめるということ」。高速炉に詳しい福井大附属国際原子力工学研究所の竹田敏一特任教授は懸念する。

 原発の使用済み燃料からプルトニウムなどを取り出し、再処理して再び燃料に使う核燃料サイクルは、国の原子力政策の根幹。中でも、発電しながら消費した以上の燃料を生むもんじゅは、資源小国の日本にとって、かつては「夢の原子炉」と期待された。

 ただ、1994年の初臨界後、ナトリウム漏れ事故などで21年間ほとんど運転実績がない。1兆円を超す国費が投じられてきたが、高速増殖炉の実用化のめどは立たないままだ。

 それでも、もんじゅが核燃料サイクルの中核として位置付けられてきたのは「エネルギー安全保障や自給率の観点で、他に案がない」(竹田特任教授)と、国が判断してきたからにほかならない。

   ■  ■  ■

 高速増殖炉の実用化目標は、先送りの歴史だ。目標時期が初めて具体的に明記されたのは、67年の原子力研究開発利用長期計画(長計)で「1980年代後半」。改定の度に目標を延期し、2005年の原子力政策大綱では「2050年ごろ」。もんじゅの長期停止もあり、当初から約70年間も先延ばしした。

 福島事故後、14年に閣議決定されたエネルギー基本計画では「増殖」の文言と目標時期すら消えた。代わりに、もんじゅは高レベル放射性廃棄物を減らす研究という役割が強調された。

 「もんじゅが動けば、廃棄物問題の解決に貢献するかのように言うのは『誇大広告』ではないか」。規制委の更田豊志委員長代理は今月2日の日本原子力研究開発機構の幹部への意見聴取で、こう切り込んだ。高速炉を使って廃棄物を減らす研究開発は理論段階にすぎず、単なる延命だと暗に批判した形だ。

 九州大大学院の吉岡斉(ひとし)教授も「技術的な信頼性はなく、実現には高速炉が何十基も必要で、実際は不可能な話」と指摘する。

   ■  ■  ■

 高速増殖炉のサイクルが実現するまでの“つなぎ”として位置付けられてきたのは、一般の軽水炉での「プルサーマル発電」。増殖とは違い、各原発から出るプルトニウムを再処理して消費していくというのが主眼だ。

 プルサーマルは15年度までに全国の16~18基で導入する目標だったが、福島事故前の時点で実施は関西電力高浜3号機など4基のみ。サイクルの中核となる青森県六ケ所村の再処理工場は竣工の延期を繰り返し、先行きは見通せない。

 一方で、国内外で再処理した日本のプルトニウム保有量は約48トンにまで増えた。サイクルが動かなければ、核不拡散の観点から国際社会の批判も免れない。

 福井県原子力安全対策課長を務めた若狭湾エネルギー研究センターの岩永幹夫常務理事は「核燃料サイクル全体が動いていない中、サイクルの必要性の判断は将来の原子力をどうしていくかだ。原発の割合を減らしていくのなら高速増殖炉の必要性は見えにくい」と指摘。国がエネルギー政策をどう選択するかの問題だと強調した。


 

 

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11月19日(木)のつぶやき

2015-11-20 | うまいもん
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11月18日(水)のつぶやき

2015-11-19 | うまいもん
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凸凹陶芸教室作品展 始まる

2015-11-19 | 映画・音楽・演劇・絵画など芸術関連

今日から、凸凹陶芸教室の作品展が始まった。

凸凹陶芸教室は、生涯学習センターの市民自主講座のひとつとして

今年の5月から、岩国英子さんを講師に迎え、月2回開催している。

自主講座の生徒たち7人が、5月から10月までの半年間で制作した

90点余りの作品がプラザ萬象・多目的ホールに展示された。

      

萬象の表玄関の看板は、健さんに書いてもらった。

              

               これは、小学5年生の孫の作品。

                あ~やっぱりピンボケだ~

 

フロア全体の写真も写したけれど、携帯の調子がいまいちで

ちゃんと写っていなかった・・・

フロア左側には、講師の岩国英子さんの作品も展示され

最終日の22日には、

岩国英子さんの作品の販売もおこなうことになっている。

ぜひ見に来てくださいね。

19日の午後7時から、RCNのつるがチャンネル「つるいち」で

作品展の様子が放映されます。

こちらもお見逃しなく!

 

 

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福井新聞「瀬戸際もんじゅ」第2弾です

2015-11-18 | ニュースから

福井新聞「瀬戸際もんじゅ」第2弾

動燃と言われていた時代から、

現場で働く人たちと、上層部の間には大きく厚い壁があった。

東京からやってくるお偉いさんは、黒塗りのハイヤーがお出迎え・・・

お偉いさんの敦賀での飲食はすべて、ツケ。

管理職の人もツケ・・・

つまり税金で賄われていたということだ。

一方、現場で働いている若い人たちは、みんな自腹があたりまえ。

そんなところにもこの組織の危うさがうかがえる。

 

【連載】瀬戸際もんじゅ(2) 場当たり的改組の20年間

(2015年11月18日午後5時30分)

原子力規制委員会が高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運営主体を変更するよう、文部科学相への勧告方針を決めた今月4日、田中俊一委員長は運営主体の日本原子力研究開発機構を「ここ20年間、同じようなことを繰り返してきた」と切り捨てた。

 1995年12月のもんじゅナトリウム漏れ事故の後、対策を重ね、規制官庁も再三指導してきた。だが、勧告は「結果的に具体的な成果を上げることなく推移した」と断じた。

 事故当時、運営主体だった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、大学、電力会社、原子炉メーカーなどから専門家を集めたエリート集団だった。エネルギー資源に乏しい日本で、国策の核燃料サイクルを担う主役に位置付けられた。その自負が、温度計1本の破損で打ち砕かれた。組織は混乱し、事故現場のビデオ隠しは社会問題に発展した。

 「動燃職員は当時、技術的レベルも法令を順守するモラルも低かった」。20年前に計測機器のメーカー担当者としてもんじゅに関わった男性は、当時の現場の気質を苦々しく振り返る。「原子炉はメーカーの複合体につくってもらい、動燃は実験データを取って、論文を書くのが仕事だ―と。法律上の規制も、重要な実験を担う研究者とは無関係と、公言する人もいた」

   ■  ■  ■

 研究至上主義で閉鎖的とされた動燃は98年、「解体的出直し」と称して核燃料サイクル開発機構に生まれ変わった。旧動燃を主体にスリム化したが、看板を架け替えただけに過ぎなかった。

 2005年には国の「特殊法人合理化」の名の下に、核燃機構は日本原子力研究所(原研)と統合。「事業肥大化」という問題が再燃した。旧動燃出身で、事故直後から約10年、もんじゅ所長を務めた原子力バックエンド推進センター(東京)の菊池三郎理事長は「個人的には、合併は間違っていたと思う」と正直に語る。

 この間、もんじゅの所管が科学技術庁から文部科学省に移ったため「さらに学術に走った」と菊池氏は振り返る。

   ■  ■  ■

 場当たり的な改組を繰り返す中で、実用化を担うため社員を送り出してきた電力会社も及び腰になった。「出向者のレベルが下がり、入れ替わりの期間も短くなった」と複数の関係者は証言する。結果的に組織の意思疎通が滞り、職員間の認識違いと単純ミスを繰り返す悪循環に陥った。

 もんじゅに勤める技術職の職員は「研究で成果を残してなんぼ。もんじゅを動かしても評価されない」と打ち明ける。改組は、対外的に変化をアピールしようと現場を細かく組み替えるため、だれも腰を据えて仕事ができないという。この職員は「本当の意味で看板だけを掛け替えるならよかったのに」と皮肉った。

 今月2日の原子力規制委員会との意見交換で、着任半年の児玉敏雄原子力機構理事長は、組織の甘さを認めた上で「期限を決め、潜在する問題をつぶす」と決意を語った。

 これに対し更田豊志委員長代理は「結果を出せないという結果を積み重ねてきた」と主張し、こう突き放した。「要するに、手詰まりです、というふうにしか聞こえない」

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11月17日(火)のつぶやき

2015-11-18 | うまいもん

大飯・高浜仮処分福井支援の会: 11月13日の記者会見の様子をアップしました。

??? mousitatenin9.blogspot.com/2015/11/blog-p…


福井新聞【連載】瀬戸際もんじゅ goo.gl/ptJSFQ

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福井新聞【連載】瀬戸際もんじゅ

2015-11-17 | ニュースから

福井新聞で「もんじゅ」の連載が始まりました。

もんじゅのナトリウム漏れ事故は、1995年12月8日。

その夜、八新に飛び込んできた新聞記者が

「もんじゅで事故があった。これからもんじゅへ向かう」と言い残し

オフサイトセンターへ行ったきり・・・

テレビをつけても、緊急防災チャンネルをいれてみても、

情報は何もなく、不安に駆られながら、

眠れぬ夜をすごしたことを今でも鮮明に覚えています。

ナトリウム漏れという重大事故とともに、情報の操作や隠ぺいなどの

ニュースが報道され、クリスマスも正月も重苦しい雰囲気の中で

過ぎていきました。

あれから20年・・・一度も動かなかった「もんじゅ」が

規制委員会の「勧告」によって、「廃炉」という未来へ向かって

動き出した2015年になるかもしれません。

 

【連載】瀬戸際もんじゅ(1)上 

http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/83848.html

相次ぐ違反、現場は負の循環陥る 

(2015年11月17日午後5時10分)

規制委が、もんじゅを運営する原子力機構を「資格なし」と断じ、文科相に運営主体の変更を勧告した。1995年12月のナトリウム漏れ事故から20年。ほとんど動かなかった「夢の原子炉」は存廃の瀬戸際に立たされた。迷走の経緯や核燃料サイクルの行方、地元への影響を探る。

 ×  ×  ×

 機器の点検記録をチェックし、原子力規制庁の保安検査で指摘を受け、またチェックし直す―。「終わりのない作業にみんな、疲弊というか諦めを感じていた」。日本原子力研究開発機構が運営する高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)で春まで働いていた男性は振り返る。

 もんじゅの保守管理を担うプラント保全部。原子力機構の生え抜きの職員は、増強された今も半数以下で、業務の多くを電力会社やメーカーからの出向者に頼っている。「出向者は2~3年で代わる。(現場は)幹部が何をしているのか見えない。幹部も現場の状況を全く分かっていない」と男性は打ち明ける。組織の一体感や責任感が見えなかった。

 もんじゅは2012年11月に約1万点の機器の点検漏れが発覚。原子力規制委員会は13年5月、運転再開の準備を禁止する命令を出した。それ以降、四半期ごとの保安検査が10回行われ、8回の保安規定違反が見つかった。「質問をしても回答までに時間がかかる」「品質保証の知識が乏しく技術レベルも低い」と、現地の保安検査官の厳しい指摘が相次いだ。

 「(検査中に)答えられず、担当者がだまり込むようになってしまった」と原子力機構の職員からは苦悩の声も漏れる。疲弊し萎縮した現場は“負の循環”に陥った。

 

瀬戸際もんじゅ(1)下 商業炉まねた保全計画急ごしらえ

 http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/83849.html

(2015年11月17日午後5時30分)

 

大量の機器の点検漏れを引き起こす発端は2009年1月。点検頻度などを定めた保全計画の導入にさかのぼる。

 高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)は原子炉冷却にナトリウムを使う特殊な構造だ。例えば、冷却3系統のうち1回の点検でナトリウムを抜いて調べられるのは1系統のみ。一般の軽水炉とは保全の方法が大きく異なる。しかし、日本原子力研究開発機構は国の規制変更に伴い、半年も掛けずに保全計画をつくった。

 もんじゅを所管する文部科学省の田中正朗・研究開発局長は「商業炉をまねて急に導入したこともあり、内容が不十分または過多な部分があった」と、急ごしらえの計画に問題があったと認める。

 原子力規制委員会が、原子力機構の幹部を呼んで意見聴取した今月2日の会合で、もんじゅの青砥紀身所長はこれまでの問題点をこう弁明した。

 「問題の保全計画を導入した翌年の10年は、当時の保安院の保安検査が通年ですべて合格だった。間違いはその後。(福島事故の)3・11後に要求されるものが変わったのに、合格をもらっているため対応は正しかったというところから抜け出せなかった」

 ただ県内の規制庁関係者は、10年5月に試運転を再開した段階で「より商業炉に近い管理が必要になったのに、(原子力機構は)十分把握していなかった」と批判する。

■  ■  ■

 地元の敦賀市や福井県は、規制委のコミュニケーション不足を問題点に挙げる。渕上隆信市長は「適切な指導があれば、勧告を出すような事態にはならなかったのではないか」と疑問視し、西川一誠福井県知事も「これまでの助言に親切さが欠けている」と苦言を呈した。

 青砥所長は「現場では保安検査の視点や基準がほとんど見えない。検査官とコミュニケーションが取れれば対応できた」と悔やむ。

 だが、現場が保安検査の指摘への対応に追われていたとしても、機器の安全重要度の分類といった根本部分の改善を放置してきた事実は重い。運転再開準備の禁止命令の解除に向けた報告書で未点検の機器数を誤るなどの軽率なミスも重ね、規制委に見放された。

 田中俊一委員長は原子力機構幹部への意見聴取で、最後に吐き捨てるように言った。「施設の安全を保つのは事業者の務め。検査があるからやるわけではない。安全文化が全然できていない」

 

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