あられの日記

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小栗判官の墓

2010年03月15日 06時47分51秒 | 墓所巡り
遊行寺の裏に小栗判官のお墓があります。
他にもあります。
ところで、小栗判官と照手姫のお話って知ってますか?
実はこのお話ってバージョンが多彩なんですよ。
おそらく!
もともと庶民受けするお話を、語り継ぐ上で語り手が手を加え創作を重ねた結果何が真実で何が創作だかわからなくなってしまったと思われます。素の話が跡形もないのはヒーロー&ヒロインの名前まで違ったり、お話の舞台の場所すら違う辺りにも伺われます。
さて…。
ここは一つ。
WIKIに書かれているお話を紹介しますね。
『1415年、上杉禅秀が関東において乱を起こした際、満重(小栗判官自身)は管領足利持氏に攻め落とされ、落ち延びる。その途上、相模の国に10人の家来とともに潜伏中に、相模横山家(横山大膳)の娘、照手姫を見初め、結婚の約束をかわす。
横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊であった。照手姫は本来上皇や法皇の御所をまもる武士である北面の武士の子であったが、早くに父母に死に別れ、理由あって横山大膳に仕えていた。
小栗の行為に怒った横山親子は、小栗を人食い馬と言われる荒馬「鬼鹿毛(おにかげ)」に乗せかみ殺させようと企てるなど、さまざまな計略を練るものの失敗。
しかしついには権現堂にて酒に毒を盛り、家来もろとも殺してしまう。横山は小栗の財宝を奪い、手下に命じて小栗と家来11人の屍を上野原に捨てさせる。
この事実を知った照手姫は密かに横山の屋敷を抜け出すが、不義の罪により相模川に沈められかける。
危ういところを金沢六浦の漁師によって助けられるも、漁師の女房に美しさを妬まれてさまざまな虐待を受け、最後には六浦浜で人買いの手に売り飛ばされてしまう。姫は売られては移り、移っては売られて各地を転々とするが、最後まで小栗への貞節を守り通す。
一方、小栗は地獄に堕ち、閻魔大王の前に引きずり出されるが、裁定により地上界に戻されることができた。しかし異形の餓鬼阿弥の姿で、癩病にかかっており、歩くこともままならない。幸いに藤沢の遊行寺の大空上人の助けを蒙り、地車に乗せられて東海道を西上する。
小栗が殺された夜、遊行寺では大空上人の夢枕に閻魔大王が立ち、「上野原に11人の屍が捨てられており、小栗のみ蘇生させられるので、熊野の湯に入れてもとの身体に戻すために力を貸せ」と告げていた。上人はそのお告げに従って上野原に行き、死んだ家来達を葬るとともに、まだ息のあった小栗を寺に連れ帰ったのであった。
小栗を乗せた車は大垣青墓の宿で偶然照手姫に行き会うが、2人はお互いの素性に気づかない。小栗は照手姫の手によって大津まで引かれて行く。病はさらに重くなるが、遊行上人の導きと照手姫や多くの善意の人々の情けを受けて熊野に詣で、熊野詣の湯垢離場である湯の峰温泉の「つぼ湯」の薬効によりついに全快する。
小栗は新たに常陸の領地を与えられ、判官の地位を授けられる。
常陸に帰った小栗は兵をひきいて横山大膳を討ち。家来の菩提を弔う。
更に小栗は美濃の青墓で下女として働いていた照手姫を見つけ出す。こうして2人はようやく夫婦になることができた。小栗の亡くなった後、弟の助重が領地を継ぎ、遊行寺に小栗と家来の墓を建てた。照手姫は仏門にはいり、1429年に遊行寺内に草庵を結んだという』
はあ、長かった。
でね。
トップ画像は小栗堂。
続きまして、名馬「鬼鹿毛」のお墓。

小栗判官と毒殺された家来10人のお墓。

照手姫のお墓。

照手姫が建立したと伝わる厄除地蔵尊。
物語の登場人物達のものが小栗堂の裏にありました。




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