私が嫁入りした家は結構な歴史があるので儀式も残ってる。中に一族が出席して行うものもある。一族といっても今では3軒しかない。かつてはもっとあったようだけども、独立した子供が遠い場所に家を構え戻らなくなったり。戦争に従軍して主人が戦死したりと理由はあれこれ。でだ。一族が3軒しかないので、3軒持ち回りで主宰して行う年に一度の儀式がありまして。実は今年の主催が我が家なのです。
で、まずは私は去年の儀式にこそっと見物に行った。というのも、儀式に参加するのは一族のそれぞれの当主と主宰家の奥さんの合計4人です。が、来年自分たちだけで準備を整えて儀式をやらないとならんとなると資料が欲しい!と。主宰のご主人に頼んで撮影や儀式終わりにインタビューをお願いした。何しろ我が家は令和3年に亡くなった義父がやってたし。おそらく少しは知ってるだろう義母は介護施設に入ってる上、耳が遠くて会話もままならんので!と押し切ったのが去年の9月28日のことです。
ダンナ、テンパる。
8月あたりにダンナはうちの山から旗竿に使う竹を切り出してきた。
長い。去年、主宰のお隣のご主人は「6メートルで切ったら足りなかった。旗が地面について弛んでる」というので、おそらく8メートルのサイズで切り出してきた。
どうやって持って帰ったのだろうか?ちっとも役に立たない私ですが、一応手伝おうか?と聞いたけど断られた。んで、儀式前日、出来上がった旗竿を家から儀式の旗立てに運ぶにもダンナは四苦八苦。なぜって普段使ってる道には電線があって、縦て竹を運ぶと電線に当たるのだ。ならば寝かせればいいじゃない?と思うでしょ。道が狭くて俺曲がってるからそれも無理。8メートルが邪魔をする。考えて家の裏にある裏道から出て、耕作放棄地(我が家のではない)を抜けて持ってった。まさかそこに道があったとは!嫁入りしてきて初めて知る事実。
他に主宰が用意せねばならぬ難敵はしめ縄です。
まずはどこで買うの?から始まった。いや、かつては農家だったので、自分ちで作った稲藁が自前で用意出来て、自分で縄をなっていたのでしょうが。今、米作りはしていない。稲藁が欲しければ買うのだよ。
去年のインタビューを見返すと「しめ縄はホームセンターで買った」とある。とダンナに伝えたけど、答えを待てなかった模様で、web通販で注文した後でした。後日、でっかく重い荷物が届いたのでこれは何?と思えば、くだんのしめ縄用の縄だった。どんだけ使うつもりやねんっ!ま。これだけあれば、少々失敗しても練習し放題だね。って事で問題なし!ということにしておこう。テンパってギリギリなのに。そんな8月末にまさかの義母が入院してしまい、ダンナは病院に日参し出した。そりゃあ「万一の時に救命するかしないかサインお願いします」と病院に言われた日には心配も最大になるってものよ。
そんなこんなで9月に入るとまずは儀式の日程を決定し、案内を一族の方々に儀式の2週間前に伝えた。文章を考えてコピーして配りに行ったのは私です。ダンナに余裕がないので出来ることから協力せねば。
そしてお彼岸。お彼岸もな。古い家なので、親戚宅へお参りに行ったり来ていただいたり。お墓も掃除して。お花をあげて線香も。仏壇もお彼岸仕様にモデルチェンジして。仏様のお膳は今年は時間がないので、あれこれ省略させてもらった。
仏壇だけは!お義父さんが好きだったスイカとお酒は外せない。
後はお墓。ちなみに仏花はシャシャキを除いで全て私が育てました。義母が世話してた時は仏花を毎回スーパーや道の駅などで購入していたけど。お墓が多いから全部で13個も花束が必要なのだ。義母のように毎月花代を5000円もかけられんのじゃ!
あ。ついでに。先日投稿した記事で、天満神社と宗運寺がかつて一つだった。財田川と河内川の洪水で現在地に移転したという話がありましたが覚えてますか?我が家の古いお墓を見れば、どうもいづれかの洪水で亡くなった方も祀られてる模様。さらにしょっちゅうこぼしてる元耕作放棄地から大量の石が出てくるので、除去が大変というのも財田川の洪水で運ばれて来ちゃったようですわ。余談の余談だけどさ。
お彼岸終了。こっからしょうれいさんの儀式に集中するぞ。
ダンナは旗竿以外の準備です。
旗竿と旗を結んだり。てっぺんに刺す新しい笹を切り出したり。
旗竿を立ててみたら、旗をシャンと立つようにしないといかんと気づく。楔を噛ませて工夫してた。
私はといえば、スーパーに榊を買い出しに行ったらば。お彼岸合わせの残りしかなくって。しまった。やらかしたやもしれん。仕方なく購入したのは日本製の高い榊だったんだけども。葉っぱが見窄らしい。選びに選んでこれだよ〜。チッ!水につけてどこまで復活するか微妙だ。
あと、お供えの準備。上の画像の右上からお酒の器とお酒。蝋燭立てと蝋燭。右下から水入れと水。洗いごめ。塩。塩は盃でもうちょっと綺麗に盛りたかったのですが、固まらず不恰好です。(儀式後の撮影のため、蝋燭が使用済みになってます)
で、しょうれいさんの儀式用にお墓をお掃除して仏花も準備。
「儀式の時はシャシャキだけ飾るもんや」と義母に言われて去年も確かそうしたので今年も去年にならえ。ちなみにシャシャキは義姉にもらいました。けど代々墓の花はスーパーで一番高い仏花を買ってきた。去年もそうしたからね。
準備は整った。明日の本番を待つだけじゃ!
9月28日朝7時半、しょうれいさんのところへ向かう。
と?早くもお一人到着済みだった。儀式は8時で案内してあるけど、田舎の人は大概行動が早い。
もうひと方も到着して、まだ8時前だけど儀式を始める。
かつてはお坊さんだか神主さんだかもおこしいただいて盛大にやってたらしいけど。儀式が終わるとお膳を囲んで宴会みたいにしてたらしいけど。現在は簡略化してます。一族の当主が榊を捧げてお祈りするくらい。
儀式は早々に終了し、次の主宰に申し送りをする。
実は明治時代に作った旗がぼちぼち限界を迎えている。去年のこと、布が一部破れていたのを来年主宰する御当主の奥さんが修理してくれたのだけど。古すぎてミシンをかけられなかった。慎重に手縫いして縫ったけど、次に破れても直せないかもしれないこと。
それは3軒ともわかっていることだけど。申し送りは大切なのであえてする。
その後、儀式の主宰家の主人が「儀式担当しました」の紙にサインしたらほぼ終了。後は旗を次の方へ回せば我が家の当番の再来年まで問題ない。
ちなみにこちらがダンナが手作りしたしめ縄です。
ついでに、基壇の右奥の小さな石積みをかつて調査したと聞いた。これがなんか文化財らしくて大切にせねばならんとかなんとか。
裏側。ここも毎月1日にお墓に花と線香を上げるついでに私が掃除してる。ま、背後に笹林があるので年中降ってくる落ち葉を拾う位だけども。
今日の記事は個人的なことですが。次に主宰する再来年の私が確認出来るように詳しめに書きました。記事閲覧下さりありがとうございます。
いや、個人的はいえブログ記事で公開するので書けることと書けないことがあってだいぶん配慮してるよ。これでもさ。だって肝心の「しょうれいさん」とは?を書けなかったもの。歴史の闇ってどこにでもあるのね。
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