あられの日記

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海老名に外宮・豊受大神がある??

2019年01月30日 09時27分37秒 | 歴史散歩
2019年1月27日、海老名の巨木探訪に出かけました。目的の巨樹は3本。南の本郷にある有馬のハルニレから始め北へウォーキング、海老名の国分寺跡をゴールに設定。
本郷の有馬のハルニレを10時24分に出発。最短コースで歩くべく細い道を選んだら、そこは昔道でした。昔道は地形に沿って凸凹と続いてます。急な驢庵坂の土道を下りると畑のあぜ道を富士山を眺めつつ進む。やがて緩い上り坂に変わる。1月末の畑は寂しい。野菜が植わってる畑はごくわずか。そのわずかな畑に植えられた野菜の若い苗も、雨がほとんど降らない1月のためしおれて元気がない。これは農家さんも大変だなあ〜。道は畑のあぜ道から生活道に変わる。道の左右に建つ大きな家も興味深い。植木も立派。椿を垣根に使ってる家は特に素敵でした。椿の垣根を撮影しようとしたけど、完全逆光で諦める。やがてアスファルトの道が見えてきた。そこで歩いてきた道が途切れたのでアスファルト道を相模川のある西方へ。あれ?何かある?
椿地蔵だって?(トップ画像です)
説明板発見:椿地蔵のツバキ 平成10年8月28日指定:海老名市指定天然記念物
椿地蔵のツバキは、樹高4、5メートル、言い伝えによれば、樹齢約300年。この木は、つぼみがふくらんで色づきますが、遺伝子的な理由からか、つぼみのまま落ちてしまうので「玉椿」と呼ばれています。この木には、次のような話が伝わっています。
今から300年ほど前のこと、さる武家の母親が、娘の長患いを治してもらうため、江戸から当地に滞在する名医半井驢庵を訪ねてきました。しかしその途中、杉久保にあった千躰寺の前を通りかかった時に、娘が苦しみ出し、村人や母の介抱のかいもなく、亡くなってしまいました。不憫に思った村人は、娘を手厚く弔って地蔵堂を建て、椿を供えました。
やがて、そのひと枝が根付いて成長しましたが、不思議な事に、椿はつぼみを持つのに花が咲きません。村人たちは、若くして花咲くこともなく亡くなった椿の霊が乗り移ったのだろう、と話し合いました。
この話は、海老名の昔話として広く市民に親しまれています」
説明板には樹齢300年、樹高4、5メートルとありますが、パッと見には樹齢数年にしか見えないわ〜・ひいき目に頑張ってみても、樹齢10年かな?もしかせんでも指定後に元の木は枯れたかなんかで今あるのは2代目かな?ちなみに、今ある木には訪問した1月20日現在椿の花のつぼみがたくさんついてました。咲いてるのは一つもないけども。このまま咲かずにつぼみが落ちたらば、元の椿地蔵のツバキの正しい次世代と言えるかも?確認した方は来月2月に訪問するのをお勧めします。
さて、時刻は10時46分。有馬のハルニレを出発したのが10時24分だからここまで20分のウォーキングですね。では出発。道は土道からアスファルトに変わったけども、道は変わらず緩い上り坂で、左手には富士山が見えます。
ん??「裏参道??」
道に隣接して林というより最早森がある。参道というからには寺社があると思うけども、大きな木に阻まれえ社屋は見えない。
地図に目を落とす。YHAOO!の地図をプリントアウトして持参してるのですが、空白です。しばし考えた。
立ち寄ってもいけども、今登ってきた坂道が、この先で下り坂なんだよね。地図にも書かれてないならば、小さいしょぼい寺社かもしれん。わざわざ確認に行くには高低差があるのはちょっと回避したい。
と、裏参道を見なかったことにして素通りした。
右手(東)側の林にそって坂道を下る。
と、社号標発見。

何だって?内宮・豊受大神
マジか〜!!
何でここに伊勢神宮があるんだ??
混乱する事態です。ってか、有名な神社と同名なだけかもしれんし、落ち着くんだっ!ってか、この時点で素通りはもうナシです。
あ。説明板発見:外宮・豊受大神(食物・産業の守護神)
御祭神:豊宇気毘売大神(天照皇太神の御饌津神)
御由緒・沿革:聖武天皇の神亀2年(725)勧請、遠馬名神豊受大神と称す。
古来推古天皇の6年豊受大神騎馬の御姿にてご降臨されてより、皇大神御尊行の処としてこの地をその鎮の宮と定められました。
江戸時代幕末の社寺改めのよって恩馬郷4ケ村の鎮守豊受皇大神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令により社号を豊受大神と改称した。
始め御陵をご神体と定め拝殿のみであった。のちにこれを改めて内殿の創建が行われたが、幾多の戦乱に類焼し再建を重ねてきた。
現在の御祥殿は昭和60年11月に造営された。続いて御神輿殿、御神輿が奉献された。
境内地:1町5反2畝2歩(15,054平方メートル)
境内社:内宮社(天照皇大神)、末社(寄宮五社)<天満宮・山王宮・琴平宮・三峰宮・厳島大神・秋葉大神)
ちなみに直近の祭事は2月11日の祈年祭(春祭)です。」

私が喪中なので、ご参拝は控えさせていただきまして、遠くから神明造りの社殿を眺めるに止めました。境内をパッと見、大きな木がいくつもありました。1本、石碑持ちの木があったので紹介。

石碑には:樟(くすのき)
明治38年日露戦役記念樹 昭和63年道路拡幅工事のため東側へ3メートル移植。
樹高:15メートル 周囲:2、5メートル 重さ:13トン と刻まれてました。
うん、神社仏閣公園をめぐると、日露戦争にちなんだ石碑ってとても多いんだよね。慰霊碑に限らず。
さて時刻は11時2分、ウォーキング再開。
道なりに坂を下って行くと、分かれ道があった。
道祖神かな?これがあるのは古い昔道の証のようなもの。道なりに左へ進み更に坂を下る。

このあたりから立派な家が散見できた。どこのおうちも玉垣の上に大谷石の塀と、立派の庭木があって、で〜ン!とした日本家屋を構えてます。もうね。「日本家屋」という名前をつけてデイアゴスティーニがミニチュアプラモデルを販売しそうな勢い。
坂を下りきった先に東名高速道路が見えた。高架下に道は東に進むと海老名サービスエリアにいける模様。興味あるけど金はないので、それをくぐり道なりに進む。突き当たりにも素敵な庭木の大きなお家。このあたりは家を眺めるだけで面白い。が、この後しばらく面白みのない建売住宅?いやアパートかな?が続きます。
突き当たると急坂が!また降りるのか〜。憂鬱。歩いて来たのが相模川の河岸段丘の上部だったとわかりましたが、私右足痛と腰痛で去年の秋は散々でね。この日のウォーキングは回復具合の確認もあって、高低差のないコースをチョイスしたつもりでした。でも実際に歩いてみると昔道だった訳で、昔道だから高低差もそこそこある訳で。止めが一気に河岸段丘を下るとか〜凹む〜〜。
ぼやいても坂道はなくなってくれない。ゆるゆると腰と足と相談しつつ注意して降りる。あ〜、もう!下り坂の方が腰痛にも坐骨神経痛にも悪いんじゃ!
救いは良く見える富士山か。とぼとぼと歩いてると、本日2つ目の巨木の地、大谷観音堂が見えてきた。時刻は既に11時36分です。

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