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2020年3月21日訪問。
大泉水の淵を通ろうと思ったら工事中で迂回。円月橋を渡り大泉水へ戻ろうとして松原に出た。梅林と稲田に隣接する場所だ。奥に何か小さな小屋がある。九八屋です。
「九八屋:江戸時代の風流な酒亭の様子を具した。この名の由来は『酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし』と酒飲みならず、万事控えるを良しとする。との教訓による」と説明板。
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けども最近巨木巡りにハマってる私は、松原にある松の木に目が止まる。
なぜにこんなに斜めってるのだろう??
そもそも小石川後楽園は、水戸徳川家の祖頼房と2代光圀が作った大名庭園です。確か隣にある稲田は、光圀がわざわざ作ったのではなかったかな?となると、松原の松はそもそも斜めに伸びるように植えたハズだ。
ふと、松原の向こうの大泉水に浮かぶ蓬莱島が目に入った。
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分かりづらいけども。大泉水が池で上の画像中央が蓬莱島。亀の形に整えてある。中国の神仙思想で、蓬莱には仙人は住む山のこと。霊亀の背中の上に存在すると言われている。それを模して作ってる。手前に石灯篭が見えますね。かつては船を浮かべて上陸してたのかな?
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む!?大泉水を進み船着場のそばにあった大きなケヤキ。これまた斜めってます。巨木です。画像では分かり難いけど、胸高周囲3メートル以上あると巨木に認定されます。この木は回遊路から外れて立ってるので、計測出来ませんが。
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別角度から。たぶんこの木も大泉水を作った時に、育つと斜めに池に突き出すように植えたと思う。姿が鏡面になるし。訪問したのは3月21日だから葉がないけども、夏には緑の葉が。秋には紅葉は美しいのがケヤキなのだ。
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大泉水の東。竹生島と名付けた岩が水面の奥に見えてます。で、手前が鳴門という程。そこに斜めに突き出たのはカヤの木です。巨木です。
カヤは直立するのが普通。斜めなのはそもそも斜めになるように植えたとしか思えない。意図はわからんなあ。けどカヤは常緑樹なんだよね。もしかしたら、大泉水内庭の庭の境に立っていた唐門が大泉水側から見ていい感じに見えるように斜めにしたのかも?わからんが。
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ハイこちら。実は写真です。説明パネルを撮影しました。
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実は内庭前にあった唐門を復元する模様。工事は着々と進んでいて、完成は今年7月31日(予定)となってます。おそらくオリンピックに間に合うように工事を進めてたんじゃないかしら?オリンピックの観戦の合間に日本庭園を観光する来日客へのおもてなしの一環として。コロナ感染症でオリンピックが延期になったからね。工事も予定通り進んでるかわからんけどね。完成したら見物したいね。
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内庭の南の高台に藤田東湖先生遺蹟がある。
藤田東湖は水戸藩士。天保年間には側用人として藩政改革にあたり、藩主斉昭らの絶大な信用を得た。弘化元年 (1844)斉昭が隠居謹慎処分をうけると失脚。小石川後楽園のある水戸藩邸上屋敷に幽閉された。幽閉中に多くの著作を書き、幕末の志士たちに深い影響を与えた。嘉永5年 (1852)に蟄居処分を解かれる。よく嘉永6年(1853)にペリーが浦賀に来航し、東湖も江戸藩邸に召し出され、安政元年(1854)には再び斉昭の側用人に復帰。しかし安政2年10月2日(1855)に発生した安政の大地震に遭い死去。藩邸跡に建立された記念碑は道路拡張の際に小石川後楽園へと移されている。(記念碑は後楽園の北側の梅林にある)
さて、内庭から大泉水へ戻る。一部通行止めにつき迂回。この辺りは大名の憧れの日本の名所に見立てた木曽川の寝覚めの滝やらがあるけど唐門工事で本来の園路が通れなくなっていた。
大泉水を1周し小石川後楽園を後に。この日はさくら見物で忙しかったのだ。
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現在の出入り口は西門のみ。奥がサービスセンター(切符売り場)です。向かう道に立つのも根元から分岐するケヤキの巨木だった。
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