あられの日記

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石仏から医王寺

2018年12月03日 06時40分44秒 | 神社・仏閣
2018.11.25散歩。関東大震災の復興建築、レトロ建築物浴風園を見学。上高井戸二丁目信号を南へ。まっすぐ南下すると、屋敷森がある民家へ出た。そこを直進すると野菜畑。畑の南の角に小さなお社があり、石仏があった。もうね。周りが一戸建ての並ぶ住宅街なので、ここだけ昭和な風景がぽっかり残ってて、この区画だけタイムスリップ?いや、昭和に閉じ込められてるみたいです。石仏撮影が13時半。すぎなみ景観ある区マップ 高井戸・浜田山編のコースに従うと次は医王寺さん。
到着時刻は13時40分。

説明板発見:医王寺
この寺は明星山遍照院医王寺といいます。寺伝によると、承和元年(834)弘法大師が東国を巡行した際、箱根山で彫った薬師如来像を海星和尚がここ上高井戸に草庵を建て、本尊として安置したといわれています。また本堂は西に向いており、一名西向茅野薬師ともいわれます。
墓地から出た板碑の中に、文和5年(1356)と応永7年(1400)のものなどがあり、開山の古さを物語っています。
江戸時代以後、この寺が「おめだま薬師」「眼病にきく薬師様」といわれ、寺の境内に毎月12日”12日市”という市が開かれ、現在では毎年10月12日「おめだま薬師大護摩供」が修行されて参詣者でにぎわっています。また旧境内の薬師の池は湧水であったので渇水することがなく、また眼病平癒のため放した魚が一眼になるという伝説があります。
明治の初め廃寺になりましたが、本堂は高井戸学校の前身であった高泉学校の仮校舎として使用されました。薬師堂だけは関東大震災の大正12年(1923)まで、現在地より南側の甲州街道に面したところに残っていました。その後、大正13年、今の場所に再興しました」
ほうほうほう。眼病平癒か。参拝しておこう。
すぎなみ景観ある区マップ 高井戸・浜田山編に掲載されてる医王寺さんの画像も真っ赤なモミジが綺麗です。でも訪問した11月25日はまだこんなです。

掲載されてる画像と同じ場所、同じ角度で撮影してみた。
実はこのモミジは結構な老木で、もしかしたら紅葉するのに時間がかかるタイプなのかも?と思いつつ、脇にあったベンチでおやつ休憩。

休憩しつつダンナに告白。「実はですね、さっきから突然右足が痛くなりました。具体的に痛いのは右のお尻ほっぺとお尻と足のジョイント部と、膝裏の大腿部と、足首」
いや〜!!突然痛み出したんだよねっ。
この日の散歩は9月下旬から長々と治療中の右足の治り具合も試してみたかったんだよね。ってか、限界を知るためにちょっと負荷をかけてみたかったんだけどさ〜。
「何も突然痛みださなくてもいいじゃん!普通は徐々に痛くなるんじゃないの!!もう痛すぎて辛い〜」などと愚痴ってたら、ダンナが「今日は既に2万歩歩いてるし、当然でしょう」と。
えっ!?
「20000歩!?嘘!だってまだ13時半だよっ??」
「時間じゃなくて距離の問題」
前回の散歩は丹沢・大山フリーきっぷを利用しての大山阿夫利神社・秦野戸川公園散歩でした。散歩してた時間は今回より長かったけども、何度もバス待ちやケーブルカー待ちで並んだので、実質歩いてた時間も距離も短かった。に対し今度は京王線代田橋〜浜田山駅。京王線高井戸駅〜芦花公園。と、散歩のほとんどの時間を歩いて移動してましてね。
どっ!と疲れが襲ってきた。その上、一旦痛み出した右足はベンチで休憩してもほとんど改善してくれない。
うわ〜〜〜!!家までが遠すぎる〜。どないしよう〜。
とはいえ、芦花公園駅まで歩くしかないんである。何つーの?私の右足の痛さ具合はは1か100か?の二択になってるの?勘弁してよ〜〜!!どうも日々飲んでるあれこれのお薬のせいで、痛みに相当鈍くなってるらしいのです。だからさ、痛みを感じた時は既に手遅れなことが多くてですね。
仕方ないので、騙し騙し再スタート。幸いゴールの芦花公園駅まで残り1キロくらいのハズ。頑張ろ。
医王寺さんを13時48分に出発。甲州街道に13時52分に着いた。

最後に歩道橋だったのは辛かったけど、眺めはいい。この辺りの街路樹はケヤキ並木なのね。西八王子の追分交差点から先はイチョウ並木だけども。

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