あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

巨木探訪・飯山観音のイヌマキ

2018年07月08日 06時16分54秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.6.17訪問。丹沢・大山フリーパスを利用して、秦野戸川公園のあじさいと日向薬師の巨木見物後、本厚木駅に移動し、バスで飯山観音前バス停下車。予想以上の長い急階段を上がり、徒歩約20分で飯山観音に到着。仁王門を超えたところにかながわの名木百選に選出されたイヌマキがあります。
実は日向薬師を参拝後、かながわの古道50選に選出された日陰道をウォーキング。最寄りの高橋バス停周辺で撮影を楽しんでたら、ガラパゴスな私の携帯電話の画面が突然ブラックアウトしちゃいました。てっきり充電切れだと思い、飯山観音前のバス停からイヌマキまでの撮影を諦め画像がありません。
携帯の充電切れで画面が黒くなった時、再起動したら1枚か2枚は撮影できたので、イヌマキだけは撮影しようと樹の前で再起動させました。それがトップ画像です。幸いシャッター切ってもまだ画面が暗くならなかったので、調子に乗って更に1枚。

まだいけそうなので樹が一番カッコよく見えるポイントを探しもう1枚。

でも樹の前にあったかながわの名木百選のフレートを撮影しなかったので、記事を書くにあたりWEBの海を検索しましたところプレートの画面が載ってました。
飯山観音のイヌマキ
樹名:イヌマキ(マキ科) 昭和59年12月指定
樹高:14、2メートル 幹周り:3、1メートル 推定樹齢:420年
厚木市の天然記念物

室町時代末期ごろ、多くの巡礼者の無事や、参拝者の長寿を祈願して植樹されたと伝えられている古木です。
イヌマキは、関東南部から沖縄の照葉林帯に分布する常緑高木で、沿岸地域では庭木として植えられることが多い。
樹高20メートル、胸高周囲7メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている」
目的達成〜!!あ〜、電池持ってよかったよ〜。後は画面が再びブラックアウトして電源落ちるまで撮影した画面を紹介します。本来ならば、飯山観音参拝気分を楽しんでいただきたかったけど、へぼい携帯使いでごめんなさい。

ちなみに、飯山観音は信仰のお寺ですが、あちこちでトレイル・ランニング案内が出てます。

なぜに山道を走ろうとするのか?のんびり歩いていけばいいじゃない。そんなに急いでどこに行くというのか? 撮影できたところまで飯山観音を明日紹介します。
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日陰道のあじさい

2018年07月07日 05時54分15秒 | アジサイ散歩
2018.6.17訪問。秦野戸川公園の5000株のあじさい伊勢原市日向薬師の幽玄な参道とかながわの名木100選の二本杉浄発願寺かながわの古道50選の日陰道(今ここです)時刻は12時30分。
お昼を食べてたらどこからか落ちてきた山ヒルにびびり、日陰道を行くかどうか、入り口の神明橋で思案する。
今日の目的は丹沢・大山フリーパスを使用してあじさいと巨木探訪なので、日向薬師の二本杉を鑑賞して既に日向薬師を訪問した目的は達成してる。
でもせっかくのあじさいシーズンに日向薬師を訪問して、あじさい見ないで次に向かうのもいかがなものか?帰りのバスは30分に1本だし。次のバスまで時間はあるし。ってなことで、日陰道を選択。
日向川にかかる神明橋を過ぎてしばらく、里山の田んぼがあわられる。(トップ画像です)秋になると畦道に彼岸花が咲くのどかな場所です。

細い畦道を少しいくと、薄暗い杉林の中を進みます。もう頭の上から今にも山ヒルが落ちて来ないか?とビクビクもので。可能な限り足早に進みます。とはいえ、画像のごとくな道なのでスピードは出ない。
あ〜ん??
すぐ先に何か動く生き物が??何かしら?カエルかな?まさかの山ヒルだとふみ潰すぞっ!さっき山ヒルの攻撃を受けたばっかなので荒ぶってる私。

動いてたのはカニだった!
何故だっ!!山道になぜお前がいる??
じっくり観察したいところですが、山ヒルが落ちてくるかもしれないので観察できません。たぶん梅雨空の湿気に誘われて散歩してるのだろう。晴天のアスファルトで干からびたミミズになる前にねぐらにお帰り〜。

日陰道を進む。途中で、竹林だか杉林だかが混じってる林に出会う。これ、どっちが勝つのかな?たぶん元々は竹林を切り開き杉林にしたけど、頻繁に手入れ出来ず、かつての竹林に戻りつつあるのかも?などと想像しつつ進む。

暗い日陰道が突然開けた。同時にあじさいが現れる。

さっき竹林だか杉林だかとか言ってたけども、画像を見たら奥がほとんど竹林ですね。いい感じの撮影スポットだなあ。これで工事してなきゃ最高なのに。と、観光客は勝手にぼやく。でもあの工事、結構大掛かりだな。こんなにのどかな里山で何してるんだろか?

あじさいを植えてる距離は短い。せいぜい100〜200メートルあるかないか。でもシチュエーションが素敵ですね。
この道を歩いて出会ったのは外国人カップル1組のみでした。

あ。思いがけず再会。実は上の画像奥突き当たりがバス停です。時刻は13時ちょうど。バス停で時刻表を確認すると、13時11分発でした。ならば!

道を遡り防中バス停あたりへ。道の両側にあじさいが連なってました。けども、道の東側のあじさいには花がほとんどついてない。

日向川はそれなりに素敵でしたが。あじさいがないから先ほどの高橋バス停に引き返す。

バス停そばのあじさいが綺麗だった。

あわい色は梅雨空でないと綺麗に見えないのか?

高橋バス停から藤野入り口バス停方向に手入れの行き届いたあじさいが見えた。じっくり観察しようとズームにして撮影してたら、突然ガラパゴス携帯の画面がブラックアウトした!!
何が起きたの??もしや、充電切れ??いや〜〜〜〜っ!!
あ。バスが来た。定刻です。13時30分伊勢原駅に到着。小田急で本厚木駅へ。13時47分到着。
急げば55分発のバスに間に合うかも〜〜??
55分発は飯山観音前に行かない。とバスの運転手が〜〜。14時10分発までおとなしく待つ。これだからバス移動は嫌なんじゃ!もう少し本数増やして欲しいんじゃ!

おまけ:説明板発見 日陰道
「かながわの古道50選」のひとつで、北向きの土地で日陰になるところから、この名が付けられたといいます。全長約1、5kmほどののどかな道で、初夏にはあじさい、秋には彼岸花と季節の花々を楽しむことができます。こうした日陰道の整備は、20年以上前から地域の人々の手で行われています。
鎌倉幕府の事績を記した『吾妻鏡』には、源頼朝が1回、北条政子が2回、日向薬師に参詣したことが記されています。また、頼朝は地震が歯痛に苦しんだ時、代理を参詣させてもいます。
そのなかで日陰道は、頼朝が参詣した際に家臣たちが通った道とも、北条政子が通った道ともされています。
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浄発願寺は男の駆込み寺です

2018年07月06日 06時10分36秒 | 神社・仏閣
日向薬師からバス通りに降りてきた。時刻は12時4分。当初は源頼朝が使った日陰道へ行こうと思ってたのだけど、伊勢原市観光協会のWEBに掲載されていた浄発願寺の塔が素敵だったので見にいくことに。
緩やかな上り坂を道なりに進むと、バーベキューをやってる団体がいた。(トップ画像奥です)
実は日陰道なら日向薬師近辺の彼岸花の散策コースだから歩いたことがあるけれど、今回初めてきたので、この先に何があるか知らなかった。どうやら子供向けの学習用のあれこれがあるようだ。
12時12分、浄発願寺に到着。

関東ふれあいの道は大山から続くハイキングコースで、道なりにあれこれ見どころが点在していて、標識もあれこれ。大友皇子のお墓には惹かれるものがあるなあ〜。

とはいえ、今回の目的は浄発願寺の塔です。
見頃のあじさいがいい味出してます。

道路に沿って小さな渓流になっています。

しかし、本堂はこじんまりだなあ〜。墓域は大きいけども。
あ。説明板発見:浄発願寺
無常山浄発願寺は、上の寛永寺の凌雲院の末寺となる天台宗弾誓派(たんせいは)の寺です。創建は慶長13(1608)年、ひたすらに修業に勤しみ、口にするのは木の実や草だけという木喰の僧、弾誓上人によります。江戸に幕府を開いた徳川家康が上人に深く帰依したことから、寺は代々幕府の手厚い庇護を受け、山岳修行者や各地を行脚する修行僧の行場として栄えました。また、殺人や放火を犯した者以外であればどんな犯罪人も許される駆け込み寺としても有名となりました。
明治維新に起こった廃仏毀釈運動では激しい弾圧を受け、徳川本家をはじめ、尾張徳川家、藤堂氏、佐竹氏などの大名や、公家の広幡家など、後ろ盾となる信徒をも失い、寺領も減少して衰退の一途をたどりました。
しかし、民間の信仰は根強く、陰暦10月に行われるお十夜法要は相模の三大十夜と称され、昭和初年まで盛大に続きました。また、寺が日向川の水源地に鎮座していることから、伊勢原をはじめ平塚や大磯など下流域に住む人々からは雨乞い信仰の寺としても崇められました。
昭和13年(1938)の秋、浄発願寺は台風による山津波に見舞われて壊滅状態となり、現在の場所に移転しました。かつでの寺跡はここより約1キロ上流の一ノ沢に「奥の院」として残り、そそり立つがけと生い茂る草々に囲まれて、静かに往時の面影を偲ばせています」
本堂がこじんまりとしてるのは山津波のせいか〜。維新で主な檀家を失ってたから再建もままならなかったんだろうな〜。

正直お寺としてフォトジェニックな見どころは塔と日向川だけですが、いい感じで撮影できたと思う。
時刻は既に12時半近く。お昼にしたいけども?お手頃なベンチとかないし。
ちょっとした広間に石があったのでそれを椅子代わりにパンをぱくつく。
ん??
手のひらにポツっと黒いの何だ?
さっきまでなかったのに??
見つめてると、ポツだったものが、みょ〜ん!と伸びた!!
ええ〜〜〜〜〜!!
もしやせんでも山ヒルです。
ぎえ〜〜〜っ!
そっからは素早かったね。山ヒルが吸血し始める前に取らねばならん。さすがに山ヒルを直で手づかみするのは無理だったので、足元の雑草から大きめぱっぱを引きちぎり、山ヒルを包むようにしたら取れた。
ラッキーにも吸い付く前だったようだ。手のひらなんかに吸い付くから〜。
とはいえ、危険ゾーンです。山ヒルが降ってくるような場所でお昼なんか食べてられるかっ!
速攻撤収じゃ!
そそくさと、登ってきたばかりだけども道を引き返す。
 
撮影に失敗したけども、道のそばにあぜみちがある。草花と蝶々コラボで撮影。
神明橋に到着。

もしかしたら日陰道も山ヒルいるかも?どうすっかな〜?神明橋でつかの間思案する。
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本堂改修後の日向薬師

2018年07月05日 06時14分55秒 | 神社・仏閣
2018.6.17参拝。再訪です。前回の訪問は本堂の改修工事期間でした。綺麗になったら印象がかなり変わりました。
説明板発見:伊勢原市指定重要文化財 史跡 宝城坊境内 指定:昭和48年3月23日
日向・宝城坊は一般的には日向薬師と呼ばれています。霊亀2年(716)に行基が開創したと言われているのが霊山寺で、その中の一坊である宝城坊だけが現存しています。
この霊山寺には天暦6年(852)に村上天皇の発願により梵鐘が納められました。その後、歌人として有名な相模守、大江公資(きみより)の妻相模が、眼病平癒を祈って参詣しています。また、仁平3年(1153)には鳥羽法皇の院宣で銅鐘が改鋳されています。建久5年(1194)には源頼朝が娘、大姫の病気治癒を祈って参詣し、その後は頼朝の妻北条政子、鎌倉公方足利基氏、小田原北条氏などが参詣しています。また、修験場としても有名で、文明18年(1486)に本山派修験の棟梁、聖護院准后道興が奥州巡錫のさいに逗留しています。
境内中央には、国指定重要文化財の本堂。東側には市指定重要文化財の鐘堂、県指定重要文化財の二本杉、西側には国指定重要文化財を収蔵する宝殿があります」
本堂トップ画像です。
国指定重要文化財 間口20メートル、奥行き17メートル、高さ10メートルの規模を持つ、単層茅葺の荘厳な建物です。
万治3年(1660)に旧本堂の部材を利用して建てられたもの。
老朽化と虫害のため、2011年11月より5年以上かけて本堂の大修理が行われた。大修理は350年ぶり3回目。

銅鐘(訪問時、鐘楼は入り口に鎖を張り立ち入り禁止になってました。二本杉のそばにあります)
国指定重要文化財 銘文によると、天暦6年(952)に村上天皇が納めたものを仁平3年(1153)に改鋳し、暦応3年(1340)に豪海僧都が勧進して、物部光連が鋳たものが現存しています。
12本柱の鐘堂は、市指定重要文化財です。
仏像 宝殿には、国指定重要文化財で平安時代の薬師如来像及び両脇侍像、鎌倉時代から室町時代初期の阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像、四天王立像、12神将立像など数多くの仏像があります。本堂内には県指定重要文化財でッヘイアン時代の12神将立像があります。
残念ながら、本堂内の撮影は禁止です。入って右側手前に、賓頭盧尊者像がありまして、なで仏です。右足が痛い私はお賽銭をした後撫でさすりました。

二本杉 県指定天然記念物 14世紀に鎌倉公方足利基氏が錦幡を奉納し、それをこの杉にかけたことから「幡掛けの杉」とも呼ばれています。

この錦幡とそれを収納する唐櫃は県指定重要文化財です。
大太鼓 県指定重要文化財 建久5年(1194)に源頼朝が娘の大姫の病気治癒のために納めたといわれています。
寺林 県指定天然記念物 仁王門から本堂の裏まで、木立がうっそうと茂っています。

日向薬師の寺林について昨日・一昨日と記事投稿済みです。幽玄な参道をご覧ください。
以上が説明板の全文ですが、二本杉と鐘堂の並びに虚空蔵菩薩像があります。

wikiによりますと、虚空蔵菩薩像はかつて日向山奥の院に祀られていたが、のちに境内の幹が空洞になった霊樹の中へ移された。とありました。

見上げると、空洞の面積が広く、よく木が生きてられるものだなあ。と感動的。

そしていつもの絵馬チェック。

やはり本堂と杉の絵馬が一押しです。
さて、表参道の寺林を眺めつつ降りてもいいのですが、訪問した6月17日は梅雨空でして、石段も岩を削って作った古い階段も滑りやすい。タウンシューズで来てる私は転けたくないので表参道を回避しました。
日向薬師のすぐそばまで駐車場とアスファルトの道路整備されています。バス停からそちらの道を使い参拝するのが楽な道ですが、それをやると表参道は使いません。あの!レトロ感たっぷりの幽玄な道をダンナにぜひとも味わって欲しくてわざわざ表参道を上がったのですよ。しかし、さすがに転けやすいコンディションなので表参道を降りるのを諦めました。
11時42分、日向薬師を出発。

勾配の緩いアスファルト道をゆっくりと、時折聞こえるウグイスの鳴き声を楽しみつつ降りました。

右手の斜面下に小川があるようで、水音もします。普段から湿度も高いようで、左手の路肩の石垣はこんな。
元はコンクリートなのに、苔が覆っています。

うおっ!これは〜、来年の春に向けスタンバイしてるヒノキ花粉ですね。杉じゃないと思うけども。どうだろ?

12時4分、日向薬師のアスファルトの坂道終了。野生動物の食害がひどいのか、田んぼの周囲には動物避けが巡らせてありました。
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巨木探訪・宝城坊の二本杉

2018年07月04日 06時16分43秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
日向薬師参拝の目的は、かながわの名木百選の杉を見ることでした。実は再訪です。前回参拝時は本堂の改修工事中だったので、木を見た記憶も朧げです。今年の1〜2月に巨樹・巨木の本を図書館から借りてきました。で、今年は巨木と季節の花をからめてお散歩してます。で、丹沢・大山フリーパスを使いあじさい散歩を計画した時に、日向薬師の大杉も見たい!と思いまして。
鐘楼のそばに大きな木がある。あれだ〜。と撮影。トップ画像です。
かながわの名木百選の石版もあった。
県指定天然記念物 宝城坊の二本杉 指定:昭和30年11月1日
14世紀に鎌倉公方の足利基氏が錦幡を奉納し、それをこのスギにかけたことから幡かけのスギとも呼ばれている。平和と幸せ・五穀の豊かな実りを祈った「幡かけの杉」として親しまれている。
昭和59年12月には「宝城坊の幡かけの杉」としてかながわの名木100選に選定されている。
樹高:33メートルと35メートル 胸高周囲:6、3メートルと7、8メートル 樹齢:約800年(推定)
スギは本州から九州に広く分布する常緑高木で、神社などに植えられるほか、造林樹種として多く用いられる。

あれ?2本あるのね。ということは、わかりやすい画像を写せるところを探さないと。

ここからだとスギが2本だとわかりますね。
胸高周囲が6、3メートルと7、8メートルもあるのであれば、強調した画像が欲しい。

見上げてみた。

む〜ん?これではスギの大きさが分かりにくいかも?

新しい本堂の前が広く空間があるので、スギの頂上まで入れて撮影してみた。分かりにくいのですが、スギの根元に人物が映ってますので、高さが想像しやすいか?
もっとスギがかっこよく写るポイントを探し、境内をうろうろ。

本堂を入れてみた。本堂が大きいからスギのサイズ感が分かりズラいなあ。

ならここからではどうだ?一人盛り上がってしまった〜。

遅れましたが参拝します。にしても大きな茅葺だなあ〜。こだわりでもあるのでしょうか?これ、葺き替えのたびに大変そう〜。
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巨木探訪・日向薬師の寺林 その2

2018年07月03日 05時24分27秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
日向薬師は伊勢原市にありまして、参道を上がったら、幽玄でおごそかな雰囲気で、なかなかにない素敵な場所でした。昨日日向薬師の寺林その1を投稿して、今日はその続きです。この参道の寺林は、平成3年に神奈川県指定天然記念物になってます。


参道左側に見つけた巨木です。
右手にも巨木があります。しかしピンボケ画像になってしまいました。参道の右手は見上げる感じ。

こんな感じ。参道の右手は巨木の根元を見上げる感じで見ます。

振り返ってみた。石段でなく岩を削って道になってる感じ。当日(2018/6/17)は梅雨空の曇り。足元は湿ってます。タウンシューズだと滑りそうで怖いんだよね。

素敵な巨木の登場です。この樹の種類は何だろか?

根元を撮影。土というより岩盤を削って道を作ってる感じですね。根を張れないものだから、地面の上を這ってます。いや、すぐ近くにこんな雰囲気ある場所があったなんて。

とってもフォトジェニックでしょ?

参道を先へ。

ここも足元は岩盤が地表に出てるのかな?左側の樹は地面に根を張れず、地面を這ってる感じです。

この樹の樹齢はどれくらいだろうか?月日をかけて地面に根っこで素敵な造形を作ってます。画像右奥に白トビしちゃってますが、参道最後の急な石段があります。

これを上がると日向薬師の境内になります。

階段脇の石組み。苔がたっぷりついてますね。訪問当日は梅雨。しかしこの苔はこの場所が普段から湿気たっぷりな場所の証かな?

ようやく境内に到着。参道に時間をかけていたので、時刻は11時23分にもなっちゃいました。本堂の屋根が茅葺です。ここまで大きい茅葺もそうないよな〜。
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巨木探訪・日向薬師の寺林 その1

2018年07月02日 05時29分53秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.6.17訪問。

丹沢・大山フリーパスで、秦野戸川公園へ5000株のあじさいを見物後、伊勢原に移動。北口3番のりばから10時35分発のバスに乗車。途中、専修大学入口バス停から先は自由乗り降り区間のようで、バスの運転手に合図すれば、バス停以外でも乗り降りできるらしい。便利だ。
10時56分、定刻に終点日向薬師バス停に到着。参道へ向かう。参道入口に地図があった。トップ画像です。日向薬師参拝の目的は、かながわの名木100選の幡かけ杉です。でも、地図に仁王門のところに老杉が描かれてます。他にも巨木があるようです。楽しみ〜〜。

では参道へ。
途中には苔むした石仏がありました。真ん中の石仏は味があるなあ。制作年代は普通裏に彫ってありますが、ここまで苔に覆われてると読めないだろうなあ。んで、背後に回れる空間がない。

道の奥に急な石段が見えてきた。石段の奥にもこもこと大きな木が見える。あれが地図に描かれた老杉かな?
石段の途中にそれらしい巨木があった。

確かに杉だ。でも木の解説版がない。

ダンナにハイライト代わりになってもらう。巨木なのはこれでわかるかな?でも木が一番カッコよく見えるポイントがないなあ〜。
石段を更に登る。

仁王門があった。仁王門奥にも雰囲気のいい石段と杉が見える。
仁王門をくぐる前に、仁王像を鑑賞する。

筋肉が素敵です。

説明板発見:金剛力士像 2体 伊勢原市指定文化財 昭和57年2月5日指定
金剛力士は仁王ともいわれ、寺の表門にて境内を守るとされます。向かって右側は口を開いて左手に金剛杵をとる阿形像で、像高は3、5メートル、左側の1体は口を閉じて右手を開いた吽形像で、像高は3、52メートルです。ともに寄木造りで、朱漆により彩色されています。
火災により仁王門とともに焼失しましたが、本堂の賓頭盧尊者像の台座裏には、天保4年(1833)、賓頭盧尊者像の修理とともに再興されたことが墨書きされていました。
作者は鎌倉の扇谷の仏師、後藤真慶です」
仁王門をくぐる。

素敵だ。古い石段と岩を削って作った道がある。おそらく時代を経る中で、参道の幅を広げたのだろう。

神社仏閣巡りを折に触れやってるけども、味わいのある参道ってなかなかない。ここは素敵だ。江戸時代にタイムスリップした気分。そして、この参道を上がる参拝者がほとんどいない(自動車で参拝する人は、別の道を登る)。
素晴らしい〜。

実は日向薬師は彼岸花の名所です。以前、彼岸花を見に来たついでに日向薬師さんにも参拝してまして、この参道を上がるのも実は2度目です。でもあの時は巨木に全く興味なかったんだよね。この参道に巨木が次々現れるので、時間を費やしてしまいました。

なので、趣ある参道登りの記事を2つに分けます。
こんな説明板も見つけたしな。神奈川県指定天然記念物 日向薬師の寺林 平成3年2月8日指定
日向薬師の境内には、スダジイ、モミ、ウラジロガシ、イロハモミジ、タブノキ。ケヤキなど自然植生の構成種とスギの植栽樹種が高木として多数生育しており、イノデータブ群集、ホソバカナワラビースダジイ群集にまとめられ、肥沃な立地に発達する林相を示している。
また、ホソバカナワラビースダジイ群集は真鶴、湯河原より飛地分布しており、学術的に極めて貴重な林である。
この寺林は参道脇に発達したスダジイ林と薬師堂裏手のウラジロガシーモミ林の中にケヤキ、タブノキ、モミの高木が生育しており、各種植生単位が立地条件の差異に応じてみられる。
自然植生にはさまれた参道は景観的にも優れており、幽玄な寺林特有のおごそかさを保っている。」
幽玄。まさにその通り。訪問した時は、梅雨空で空が暗かったので、ピンボケ画像を増産してしまいました。実際にはもっと素敵なフォトジェニックな樹があちこちにありました。
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蔵林寺のあじさい2018.6.17

2018年07月01日 05時26分04秒 | アジサイ散歩
秦野市戸川公園の7品種・5000株のあじさいと吊り橋を見物後、2つ先のバス停側の蔵林寺に向かう。
9時28分到着。バス停で時刻表を確認。次のバスは9時39分発。10分あれば参拝できるかも?
渋沢駅から秦野戸川公園行きのバスの車窓から見頃のあじさいが見えたのだ。公園からすぐとなるといくでしょ?

参道に2段構えであじさいの生垣が続きます。



ここがあじさいの見どころポイント。

本堂はこじんまり。
あれ?

何か説明版が出てる。
奥に墓所があるのね。で?米倉丹後守って誰だ?
記事を書くにあたりWEBの海を検索。
秦野市観光協会のWEBによりますと、蔵林寺は室町時代の享徳年間(1452−55)の頃に掘山下の寺屋敷に開かれ、文明年間(1469−87)に現在地へ移りました。
1649年(慶安2)頃に寺領15石の朱印を徳川家光から受けました。江戸時代になって米倉昌尹(まさただ)の木像や米倉氏の系図などが保存されています。

米倉丹後守:米倉丹後守は名を昌尹といい、父昌純は徳川4代将軍家綱、五代将軍綱吉に仕え、江戸城大番組頭として重きをなしました。昌尹は元禄3年、丹後守(今の京都府北部)に任じられ初めて大名に取り立てられました。
とくに将軍綱吉には信任厚く、国中の犬の取り締まりを命じられ一世を風靡しました。領地だった掘山下に先祖供養のため蔵林寺を建立、ここに昌尹のほか、米倉一族の合わせて50余名の霊が眠っています。

どうしょうか?階段上がってお墓に参拝したいけども、バスが気になる〜。ってなことでバス停に引き返すことに。
9時37分バス停到着。39分の定刻にバスは来た。渋沢から乗った時は満員バスだったのに、帰りはほとんど客がいない。
9時53分渋沢駅北口に到着。10時1分発の新宿行き急行で伊勢原駅へ。あれ?秦野駅で待ち時間が長いんだが〜??ああっ!ロマンスカーが秦野に停まった!ええ〜〜??いつからロマンスカーが秦野に停まるようになったのか?もしかして今だけ??
混乱のうちに電車は伊勢原駅に10時19分に到着。てっきり30分発のバスだと思ったら、それは行き先が少しだけ違っていて、日向薬師は10時35分発だった。あ〜、普段バスにはほとんど乗らないからさ〜。同じバス停で少しだけ行き先が違うとかまだるっこしいんだよ〜。実は日向薬師はバス停のすぐ近くが彼岸花の名所なんだよね。だから以前彼岸花を見に来た時に1度参拝したことあるのですが、その時は本堂が工事中で感動も薄く記憶にもうっすらとしか残ってない。かながわの名木100選を眺めてたら、日向薬師さんにも名木があるようなので、巨木探訪もついでに〜というよくばりな訪問です。工事中のあの境内がどうなったんだろか?た〜の〜し〜み〜。
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