いまの僕の楽しみは、自宅の最寄り駅のそばにオープンした大型ショッピングモールまで、散歩することだ。
だからといって、僕を暇人などと思われては困る。
僕の名前は近江章彦―大和絵を家業としていた公家、近江中納言家の末裔で、かつての家業をそのまま自分の職業にしている、“大和絵師”だ。
中学生のときに自分の“血筋”を強く意識するようになり、先祖の仕事は僕が受け継いで発展させる―!
と心に誓って、はや十五年以上。
しかし、絵筆一本で初めから食べて行けるわけもなく、十代から二十代にかけては先祖が遺した手本をなぞりながら研究の日々、やがて親元を離れて一人暮らしを始め、アルバイトで生計を立てながら修行……、のはずが、いつの間にかアルバイト主体の生活に刷り変わり、夢を忘れた単なる貧乏生活者に危うく堕ちかけるなど、いろいろあって三十代に突入、それから三年が経った現在、ようやく“夢”に見通しがつき始めたところだ。
だから僕はいま、がむしゃらに創作に励んでいる。
いま励んでいることが、すべて将来の自分の“財産”になると、信じているからだ。
そう、貯蓄は今の若いうちに、だ。
しかし、それだけではさすがに、草臥れてしまう。
そうなると、ただストレスが溜まるだけで、まったく意味がない。
そんなストレスの発散法が、僕の場合、散歩なのだ。
最寄り駅の裏側は、もともとは広大な敷地の時計工場だった。
それが数年前、地方の山奥へ移転となり、今年の春、その跡地にオープンしたのが、三階建ての大型ショッピングモールだった。
電車に乗ってわざわざ都心へ出なくても、それと同じ品物を地元にいながらにして買うことが出来て、しかも一日中遊べる―
そう来れば、繁盛しないわけがない。
そんな地元民で活気溢れるショッピングモールまでぶらぶらと散歩するのは、人や街の“表情”の観察にもなって、とても有意義だ。
―と言うわけで、まだまだ残暑きびしい九月初旬の昼下がり、僕は涼むことも兼ねて、いつものようにショッピングモールにやって来た。
一階のエントランスロビーは三階まで吹き抜けになっていて、その真ん中には桝形にベンチが置かれている。
そのベンチにまず座って休憩するのが毎度のパターンだったが、この日はその一画に、汚いものがあった。
それは、薄汚れたTシャツにヨレヨレの作業ズボン姿の、いかにも浮浪者らしい無精髭まみれの男が、ベンチに仰向けになって居眠りなどしていたのだ。
だらしなく開いた口からは、汚く染まった乱杭歯が覗いている。
イヤなものを見た―
僕は顔を背け、そのままエントランスロビーを通り過ぎることにした。
どんなに綺麗なものをつくっても、そこへあのような“汚物”が侵入したのでは、すべてがぶち壊しになる。
そこへ、通報を受けたらしい二人の館内警備員がやって来た。
一人は年配の男性で、もう一人はまだ若い女性だった。
警備員と云えば、リタイヤした爺さんの仕事、といったイメージが強いけれど、最近はこうした分野にも若い女性が進出しているのか……。
“なんでもかんでもオンナが出てくればいいってものではないと、アタシは思うのよ”
そんな、お正月に会った叔母さんの言葉を思い出しながら、僕は「もしもし、起きて下さい……」と、汚いものに声を掛けている年配警備員の姿を視界の端に捉えつつ、そのままエスカレーターで二階へ上がろうとした、その時だった。
凄まじい咆哮が、エントランスロビーに響きわたった。
続
だからといって、僕を暇人などと思われては困る。
僕の名前は近江章彦―大和絵を家業としていた公家、近江中納言家の末裔で、かつての家業をそのまま自分の職業にしている、“大和絵師”だ。
中学生のときに自分の“血筋”を強く意識するようになり、先祖の仕事は僕が受け継いで発展させる―!
と心に誓って、はや十五年以上。
しかし、絵筆一本で初めから食べて行けるわけもなく、十代から二十代にかけては先祖が遺した手本をなぞりながら研究の日々、やがて親元を離れて一人暮らしを始め、アルバイトで生計を立てながら修行……、のはずが、いつの間にかアルバイト主体の生活に刷り変わり、夢を忘れた単なる貧乏生活者に危うく堕ちかけるなど、いろいろあって三十代に突入、それから三年が経った現在、ようやく“夢”に見通しがつき始めたところだ。
だから僕はいま、がむしゃらに創作に励んでいる。
いま励んでいることが、すべて将来の自分の“財産”になると、信じているからだ。
そう、貯蓄は今の若いうちに、だ。
しかし、それだけではさすがに、草臥れてしまう。
そうなると、ただストレスが溜まるだけで、まったく意味がない。
そんなストレスの発散法が、僕の場合、散歩なのだ。
最寄り駅の裏側は、もともとは広大な敷地の時計工場だった。
それが数年前、地方の山奥へ移転となり、今年の春、その跡地にオープンしたのが、三階建ての大型ショッピングモールだった。
電車に乗ってわざわざ都心へ出なくても、それと同じ品物を地元にいながらにして買うことが出来て、しかも一日中遊べる―
そう来れば、繁盛しないわけがない。
そんな地元民で活気溢れるショッピングモールまでぶらぶらと散歩するのは、人や街の“表情”の観察にもなって、とても有意義だ。
―と言うわけで、まだまだ残暑きびしい九月初旬の昼下がり、僕は涼むことも兼ねて、いつものようにショッピングモールにやって来た。
一階のエントランスロビーは三階まで吹き抜けになっていて、その真ん中には桝形にベンチが置かれている。
そのベンチにまず座って休憩するのが毎度のパターンだったが、この日はその一画に、汚いものがあった。
それは、薄汚れたTシャツにヨレヨレの作業ズボン姿の、いかにも浮浪者らしい無精髭まみれの男が、ベンチに仰向けになって居眠りなどしていたのだ。
だらしなく開いた口からは、汚く染まった乱杭歯が覗いている。
イヤなものを見た―
僕は顔を背け、そのままエントランスロビーを通り過ぎることにした。
どんなに綺麗なものをつくっても、そこへあのような“汚物”が侵入したのでは、すべてがぶち壊しになる。
そこへ、通報を受けたらしい二人の館内警備員がやって来た。
一人は年配の男性で、もう一人はまだ若い女性だった。
警備員と云えば、リタイヤした爺さんの仕事、といったイメージが強いけれど、最近はこうした分野にも若い女性が進出しているのか……。
“なんでもかんでもオンナが出てくればいいってものではないと、アタシは思うのよ”
そんな、お正月に会った叔母さんの言葉を思い出しながら、僕は「もしもし、起きて下さい……」と、汚いものに声を掛けている年配警備員の姿を視界の端に捉えつつ、そのままエスカレーターで二階へ上がろうとした、その時だった。
凄まじい咆哮が、エントランスロビーに響きわたった。
続