
橫濱の大佛次郎記念館で、「実朝と桜子 大佛次郎が紡いだ武士と雅」を觀る。
大佛次郎の「実朝」も「櫻子」も、數十年前のほぼ同じ事期に讀んだと記憶してゐる、懐かしい作品。
「実朝」は昭和十七年(1942年)九月より婦人公論誌で連載が始まり、同十八年から二十年までの中止を挟んで同年六月より新女苑誌にて「からふね物語」と改題して再開、同二十一年三月に完結した小説で、二代目執權北條義時の政治家臭がぷんぷんした人物描冩ぶりがなんとも面白かった印象がある。
そして藤原定家に添削を乞ふ歌人将軍として成長する實朝像を確とした筆致で創りつつ、渡宋の夢破れて濱に棄てられた“からふね”の描冩に、“夢”と云ふ魔物の殘酷な正体をも活冩してみせる。
それから十年ほどが經ち、喜多流の「實朝」を觀るに先立ち源實朝の人物像を予習復習するつもりで再讀、おかけで觀能がとても充實したものだ。
「櫻子」は昭和三十四年(1959)六月から翌三十五年(1960年)二月にかけて朝日新聞夕刊に連載された新聞小説で、私は大阪時代に文庫版の古本で手に入れ、當時の自宅から道頓堀までの往復の電車内で讀んだ一冊である。
歴史小説の作風が冩實に傾きかけてゐたことを反省し、本来の浪漫ある大衆小説に戻ることを意図して執筆した長編とのこと、應仁の亂で荒廃した京を舞臺に、足軽の“弁慶”と“櫻子”と云ふ不思議な少女が十五夜の晩に出會ひ、とどのつまり櫻子は足利義政の庶子であることがわかる、と云ったことだけを記憶してゐる。
細かな筋はすっかり忘れてゐて、今回のテーマ展示を觀て「ああ、さうだったけかな……」と思ふ。
むしろ私にとって大事な記憶は、
その時代(とき)の生活路線だった御堂筋線車内の景色と、
“にほひ”なのだ。