それから一ヶ月くらい経つと、ようやく気持ちが落ち着いてきました。
で、「TOKYO温度」のDV云々Dのことが気になってきたので、試しにキャロットカンパニーのHPを開いてみました。
しかし、それについては、全くアップされていませんでした。
それどころか、所属タレントのコーナーが、削除されていました。
彼らはあの後クビになったのか、或いは自分たちから愛想尽かして出て行ったか…。
そのどちらもだろうなぁ、と思いました。
口先ばかりはギョーカイ人の常、ではありますけど、アレは許せませんもの。
それから年の暮れあたりまで、磯江氏から何の音沙汰もなく、わたしはまた元の生活…、バイトメインのエキストラ活動へと戻っていったわけですが、そうしたらまた突然、磯江氏から電話がきたんです。
『あなたは京都に興味がありますか?』
挨拶もなしに、彼はいきなりそう訊いてきました。
まだ前回の苦い思い出が残っていましたから、
「何をおっしゃってるんです?」
と、ついキツイ口調で訊き返したら、電話の向こうでは苦笑いをしているらしい様子で、
「今度ウチで、外国人観光客向けの京都の観光PRビデオを制作することになっかたんですけど、そのモデルにどうか、と」
と説明しました。
こちらだって、もうそのテには乗りません。
所属事務所の名前を言って、
「こちらを通していただけます?」
と言って、こちらから電話を切ってやりました。
もし、ちゃんと企画化された本当の話しならば、事務所から何か連絡があるはずですので。
数日経って、事務所から電話連絡がありました。
「明日にでも、こっち来てもらえる?」
いつもはヘラヘラした口調のマネージャーの声が、いつになく堅いのが、わたしは気になりました。
とても嫌な予感がしたので、次の日は風邪と称してバイトを休んで、早々に事務所へ行くと、そこには社長とマネージャーが、初めて見るような険しい表情で、わたしを待ち受けていました。
嫌な予感は的中しました。
「これ、キミだよね」
マネージャーはパソコンをわたしの方に向けて、ある動画を見せました。
「……!」
それは、三年前に石和温泉のホテルで代演した、あの劇団ASUKA舞踊ショーの動画でした。
ちょうどプログラム半ばのトークショーの様子を客席から撮影したもので、衣裳と化粧で顔は判らなくても、声は間違いなく高島陽也のものでした。
わたしは血の気が失せました。
まさか、今頃になってこんなものが…!
「黙っているということは、認めるということなんだね?」
マネージャーの鋭い目と言葉が、わたしを心臓を突き刺しました。
「それから、アレ…」
マネージャーの背後に立ってわたしを睨み下ろしていた社長は、マネージャーになにやら顎でしゃくりました。
はい、と返事してマネージャーがデスクの引出しから取り出して、わたしの前にバンと叩きつけたのは、「TOKYO温度」のDVDでした。
万事休す…。
わたしは失神しそうになりました。
こうして高島陽也は、“契約違反”の科によって、十九歳から約六年間お世話になった事務所を、追い出されてしまいました。
事務所を出たわたしは、放心状態で街をさまよいました。
女優になることを夢見て、高校卒業して福岡から上京して、一人でアルバイトをしながら頑張ってきた日々が、一瞬にしてパーになったのです。
これまでやってきたことの全てを、失ったのです。
涙も出ませんでした。
あちこちをさまよい歩くうち、やがて夜になりました。
さすがに歩き疲れて、わたしはオフィスビル街の谷間のベンチに、独りボーッと座っていました。
あの動画とDVDの出どころをマネージャーは言いませんでしたが、わたしにはだいたい想像がつきました。
あの時劇団ASUKAショーを目撃し、そして「TOKYO温度」が自主制作されたことを知っている人物…。
その人物がおそらく、わざと事務所に送り付けたのだろう…。
わたしは、
「アイツに潰された…」
と思いました。
HPから削除された所属タレントたちも、もしかしたら似たような手を使われて、「潰された」可能性はあります。
自分の仕事に意義を唱えた報復に…。
そうか、そういうことをするのか、ああいうヤツは…。
「劇団ASUKA」
「磯江寿尚」
「キャロットカンパニー」
これまでに出会ったもののすべてが、この日の“破滅”への、導線だったのではないだろうか…。
わたしは決して東京で女優として成功しない運命に定められていて、そんなことも知らずにわたしは、ひたすら“破滅”という終着点に向かって、突き進んで行っただけなのではないだろうか…。
“はるや…”
“はるや…”
あれ?
“はるやったら…”
誰?
“あたしだってば…”
もしかして…?
“久しぶりだね、はるや”
琴音…、さん?
飛鳥琴音さん?
“よかった、おぼえていてくれたのね…”
どうして?あなたは確か…。
“なんのこと?”
いや、なんでもないわ。
ああ、もしかしたら…。
“なに?はるや”
あなた達の仕業?これは。
“なに、が?”
三年前、あなた達のステージをわたしが…。
“ふふふふふふ”
そうなの?
“こっちへこない?”
どこ?
“こっちよぅ…”
ここ?
“そうよ。こっちへきて、おはなししましょうよ…”
わかったわ…。
“はやく、はやく…”
わかった、待って…。
いま行く。
いま行くわ…。
「あの、すみません」
耳元で大きな声がして、わたしがハッとした時、わたしは柵から身を乗り出して、下を走る首都高速道路を覗き込んでいることに、気が付きました。
〈続〉
で、「TOKYO温度」のDV云々Dのことが気になってきたので、試しにキャロットカンパニーのHPを開いてみました。
しかし、それについては、全くアップされていませんでした。
それどころか、所属タレントのコーナーが、削除されていました。
彼らはあの後クビになったのか、或いは自分たちから愛想尽かして出て行ったか…。
そのどちらもだろうなぁ、と思いました。
口先ばかりはギョーカイ人の常、ではありますけど、アレは許せませんもの。
それから年の暮れあたりまで、磯江氏から何の音沙汰もなく、わたしはまた元の生活…、バイトメインのエキストラ活動へと戻っていったわけですが、そうしたらまた突然、磯江氏から電話がきたんです。
『あなたは京都に興味がありますか?』
挨拶もなしに、彼はいきなりそう訊いてきました。
まだ前回の苦い思い出が残っていましたから、
「何をおっしゃってるんです?」
と、ついキツイ口調で訊き返したら、電話の向こうでは苦笑いをしているらしい様子で、
「今度ウチで、外国人観光客向けの京都の観光PRビデオを制作することになっかたんですけど、そのモデルにどうか、と」
と説明しました。
こちらだって、もうそのテには乗りません。
所属事務所の名前を言って、
「こちらを通していただけます?」
と言って、こちらから電話を切ってやりました。
もし、ちゃんと企画化された本当の話しならば、事務所から何か連絡があるはずですので。
数日経って、事務所から電話連絡がありました。
「明日にでも、こっち来てもらえる?」
いつもはヘラヘラした口調のマネージャーの声が、いつになく堅いのが、わたしは気になりました。
とても嫌な予感がしたので、次の日は風邪と称してバイトを休んで、早々に事務所へ行くと、そこには社長とマネージャーが、初めて見るような険しい表情で、わたしを待ち受けていました。
嫌な予感は的中しました。
「これ、キミだよね」
マネージャーはパソコンをわたしの方に向けて、ある動画を見せました。
「……!」
それは、三年前に石和温泉のホテルで代演した、あの劇団ASUKA舞踊ショーの動画でした。
ちょうどプログラム半ばのトークショーの様子を客席から撮影したもので、衣裳と化粧で顔は判らなくても、声は間違いなく高島陽也のものでした。
わたしは血の気が失せました。
まさか、今頃になってこんなものが…!
「黙っているということは、認めるということなんだね?」
マネージャーの鋭い目と言葉が、わたしを心臓を突き刺しました。
「それから、アレ…」
マネージャーの背後に立ってわたしを睨み下ろしていた社長は、マネージャーになにやら顎でしゃくりました。
はい、と返事してマネージャーがデスクの引出しから取り出して、わたしの前にバンと叩きつけたのは、「TOKYO温度」のDVDでした。
万事休す…。
わたしは失神しそうになりました。
こうして高島陽也は、“契約違反”の科によって、十九歳から約六年間お世話になった事務所を、追い出されてしまいました。
事務所を出たわたしは、放心状態で街をさまよいました。
女優になることを夢見て、高校卒業して福岡から上京して、一人でアルバイトをしながら頑張ってきた日々が、一瞬にしてパーになったのです。
これまでやってきたことの全てを、失ったのです。
涙も出ませんでした。
あちこちをさまよい歩くうち、やがて夜になりました。
さすがに歩き疲れて、わたしはオフィスビル街の谷間のベンチに、独りボーッと座っていました。
あの動画とDVDの出どころをマネージャーは言いませんでしたが、わたしにはだいたい想像がつきました。
あの時劇団ASUKAショーを目撃し、そして「TOKYO温度」が自主制作されたことを知っている人物…。
その人物がおそらく、わざと事務所に送り付けたのだろう…。
わたしは、
「アイツに潰された…」
と思いました。
HPから削除された所属タレントたちも、もしかしたら似たような手を使われて、「潰された」可能性はあります。
自分の仕事に意義を唱えた報復に…。
そうか、そういうことをするのか、ああいうヤツは…。
「劇団ASUKA」
「磯江寿尚」
「キャロットカンパニー」
これまでに出会ったもののすべてが、この日の“破滅”への、導線だったのではないだろうか…。
わたしは決して東京で女優として成功しない運命に定められていて、そんなことも知らずにわたしは、ひたすら“破滅”という終着点に向かって、突き進んで行っただけなのではないだろうか…。
“はるや…”
“はるや…”
あれ?
“はるやったら…”
誰?
“あたしだってば…”
もしかして…?
“久しぶりだね、はるや”
琴音…、さん?
飛鳥琴音さん?
“よかった、おぼえていてくれたのね…”
どうして?あなたは確か…。
“なんのこと?”
いや、なんでもないわ。
ああ、もしかしたら…。
“なに?はるや”
あなた達の仕業?これは。
“なに、が?”
三年前、あなた達のステージをわたしが…。
“ふふふふふふ”
そうなの?
“こっちへこない?”
どこ?
“こっちよぅ…”
ここ?
“そうよ。こっちへきて、おはなししましょうよ…”
わかったわ…。
“はやく、はやく…”
わかった、待って…。
いま行く。
いま行くわ…。
「あの、すみません」
耳元で大きな声がして、わたしがハッとした時、わたしは柵から身を乗り出して、下を走る首都高速道路を覗き込んでいることに、気が付きました。
〈続〉