高札場を過ぎて坂を下り、現在は中央本線のガードと立体交差している枡形を通って宿場を抜けると、今度は上り坂となります。
途中左手に、「牧野一里塚跡」の碑を見てさらに歩くうち、国道19号線に合流。
1㌔ほどで再び右側へ分岐して直進すると、洗馬宿から約3.5㌔の本山宿に到着(上段写真)。
本陣は遺っていませんが、かつての旅籠が数軒遺されていて、昔日を偲ぶことができます。
ちなみに旅籠の軒看板は、江戸側を漢字で、
京側を仮名で表記するのが基本だったそうで、
字体を書き分けることで、旅人たちに方向を示していたのわけです。
建物が遺っていることそのものより、こうした古えの人々の心遣いが、さりげなく遺されていることに、わたしは感動します。
ちなみに、名物の“信州そば”はここが発祥の地だそうで、米不足の時の代用食として、山地を中心に栽培されるようになったのが始まりと云われています。
途中左手に、「牧野一里塚跡」の碑を見てさらに歩くうち、国道19号線に合流。
1㌔ほどで再び右側へ分岐して直進すると、洗馬宿から約3.5㌔の本山宿に到着(上段写真)。
本陣は遺っていませんが、かつての旅籠が数軒遺されていて、昔日を偲ぶことができます。
ちなみに旅籠の軒看板は、江戸側を漢字で、
京側を仮名で表記するのが基本だったそうで、
字体を書き分けることで、旅人たちに方向を示していたのわけです。
建物が遺っていることそのものより、こうした古えの人々の心遣いが、さりげなく遺されていることに、わたしは感動します。
ちなみに、名物の“信州そば”はここが発祥の地だそうで、米不足の時の代用食として、山地を中心に栽培されるようになったのが始まりと云われています。