μのライヴから半月後、またまだ残暑厳しい季節に、“たかしま はるや”さんを描いた大和絵は、「あづまあそび図」というタイトルを付けて、正式に完成した。
「あづまあそび」とは、夏に薪能で観た「羽衣」の一節、
“東遊びの数々に その名も月の色人は…”
から採ったものだ。
そして「あづま」には、“たかしま はるや”さんと出逢った、“東北”も掛っている。
結果的に、完成した絵は当初の「伊豆の踊子」からはだいぶ掛け離れた…、どころではない、全くの別物となった。
“はるや”さんは、日本髪の旅役者から、奈良王朝風の姿をした天女へと、“昇格”したのだ。
もちろん、記憶のなかの顔立ちはそのままに。
奈良王朝風の姿といっても、半分は京劇の女性役の衣裳の雰囲気を取り入れたり、またμのライヴで見たHARUYAのウォレットチェーンからヒントを得て、色彩豊かな組紐風の飾りを腰まわりに描き足すといった遊び心を加えて、それを最終的に能「羽衣」のラスト、天女が空高く舞い上がっていく姿にまとめたのだ。
天女の眼下に広がるのは、「羽衣」のストーリーからいけば、駿河国の三保の海原ということになるけれど、僕が描いたのは近江国の琵琶湖―作中には必ずこの湖を描くことが、祖・源章雅さん以来の“近江風”大和絵のルールだから。
その衣を翻しながら舞い上がる姿には、HARUYAのステージ上での躍動ぶりも参考にしたのは、言うまでもない。
HARUYAがμの楽曲に「さんさ時雨」を見事に融合させたように―あの曲は「カナタ」と云うタイトルであることを、後日公式ブログで公表していた―、僕も“たかしま はるや”さんにHARUYAを融合させたてみたかったのだ。
そもそも、彼の名前が彼女の名乗った名前と同じであることに関心を持ったのが、全ての始まりだったのだから―
これはHARUYAの才能への、僕なりの挑戦のつもりだ。
持てる技で正々堂々と勝負、でね。
どんなにHARUYAに嫉妬したって、そんなものでは彼に勝てやしない。
誰も、だ。
十月一日。
“萬世橋駅アートギャラリー”において、近江章彦の現代大和絵「あづまあそび図」は、陽の目を見た。
いつかこの絵を完成させる―志波姫の町で交わした“たかしま はるや”さんとの約束を、僕は八年がかりで果たすことが出来たわけだ。
出来ることなら、ぜひ彼女にもこの絵を見てほしいと思った。
会期中、時間がある時はずっと会場に詰めながら、僕はそのことばかりを、心から祈っていた。
彼女も東京にいるならば、もしまだ僕のことを憶えていてくれているならば、この駅で再び逢えるのではないか…。
ところが現れたのは、とんでもなくツマラナイ人だった。
会期も半ばを過ぎた頃の昼下がり、ふらりと入って来た黒いスーツ姿のOL風の女性に、僕は思わず「えっ!?」と声を上げそうになった。
馬川朋美だった。
しかも、随分と疲れた目をして。
僕は向こうに気づかれないように、スッと会場を抜け出た。
だから、彼女の顔を見たのは、一瞬だけ。
それでも、彼女は現在決して幸せな日々ではないらしいことは、その目から充分に読み取ることが出来た。
あれから五年のうちに、まァ人相が悪くなったものだ。
あんな目付きになったら、人生おしまいだな…。
駅構内の喫茶店に逃げ込むと、僕はおしぼりを額に当てて、滲んだ汗を抑えた。
馬川朋美は、僕の作品を見ただろうか?
僕には今さら何の価値もない女だけれど、それでもかつて付き合っていたことのある彼女の反応を、遠くからでも窺っていればよかったかな、とちょっぴり後悔。
閉場してから、僕はこの日に回収したお客様アンケートを見せてもらったけれど、二十代女性からのものは入っていなかった。
たぶん、「吹いて」それでおしまいだったんだろうな―そう思ったらなんだか急に可笑しくなってきて、それっきり彼女のことは、忘れた。
〈続〉
「あづまあそび」とは、夏に薪能で観た「羽衣」の一節、
“東遊びの数々に その名も月の色人は…”
から採ったものだ。
そして「あづま」には、“たかしま はるや”さんと出逢った、“東北”も掛っている。
結果的に、完成した絵は当初の「伊豆の踊子」からはだいぶ掛け離れた…、どころではない、全くの別物となった。
“はるや”さんは、日本髪の旅役者から、奈良王朝風の姿をした天女へと、“昇格”したのだ。
もちろん、記憶のなかの顔立ちはそのままに。
奈良王朝風の姿といっても、半分は京劇の女性役の衣裳の雰囲気を取り入れたり、またμのライヴで見たHARUYAのウォレットチェーンからヒントを得て、色彩豊かな組紐風の飾りを腰まわりに描き足すといった遊び心を加えて、それを最終的に能「羽衣」のラスト、天女が空高く舞い上がっていく姿にまとめたのだ。
天女の眼下に広がるのは、「羽衣」のストーリーからいけば、駿河国の三保の海原ということになるけれど、僕が描いたのは近江国の琵琶湖―作中には必ずこの湖を描くことが、祖・源章雅さん以来の“近江風”大和絵のルールだから。
その衣を翻しながら舞い上がる姿には、HARUYAのステージ上での躍動ぶりも参考にしたのは、言うまでもない。
HARUYAがμの楽曲に「さんさ時雨」を見事に融合させたように―あの曲は「カナタ」と云うタイトルであることを、後日公式ブログで公表していた―、僕も“たかしま はるや”さんにHARUYAを融合させたてみたかったのだ。
そもそも、彼の名前が彼女の名乗った名前と同じであることに関心を持ったのが、全ての始まりだったのだから―
これはHARUYAの才能への、僕なりの挑戦のつもりだ。
持てる技で正々堂々と勝負、でね。
どんなにHARUYAに嫉妬したって、そんなものでは彼に勝てやしない。
誰も、だ。
十月一日。
“萬世橋駅アートギャラリー”において、近江章彦の現代大和絵「あづまあそび図」は、陽の目を見た。
いつかこの絵を完成させる―志波姫の町で交わした“たかしま はるや”さんとの約束を、僕は八年がかりで果たすことが出来たわけだ。
出来ることなら、ぜひ彼女にもこの絵を見てほしいと思った。
会期中、時間がある時はずっと会場に詰めながら、僕はそのことばかりを、心から祈っていた。
彼女も東京にいるならば、もしまだ僕のことを憶えていてくれているならば、この駅で再び逢えるのではないか…。
ところが現れたのは、とんでもなくツマラナイ人だった。
会期も半ばを過ぎた頃の昼下がり、ふらりと入って来た黒いスーツ姿のOL風の女性に、僕は思わず「えっ!?」と声を上げそうになった。
馬川朋美だった。
しかも、随分と疲れた目をして。
僕は向こうに気づかれないように、スッと会場を抜け出た。
だから、彼女の顔を見たのは、一瞬だけ。
それでも、彼女は現在決して幸せな日々ではないらしいことは、その目から充分に読み取ることが出来た。
あれから五年のうちに、まァ人相が悪くなったものだ。
あんな目付きになったら、人生おしまいだな…。
駅構内の喫茶店に逃げ込むと、僕はおしぼりを額に当てて、滲んだ汗を抑えた。
馬川朋美は、僕の作品を見ただろうか?
僕には今さら何の価値もない女だけれど、それでもかつて付き合っていたことのある彼女の反応を、遠くからでも窺っていればよかったかな、とちょっぴり後悔。
閉場してから、僕はこの日に回収したお客様アンケートを見せてもらったけれど、二十代女性からのものは入っていなかった。
たぶん、「吹いて」それでおしまいだったんだろうな―そう思ったらなんだか急に可笑しくなってきて、それっきり彼女のことは、忘れた。
〈続〉