迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん8

2017-03-26 06:44:05 | 戯作
その好奇心に背中を押されるまま、僕が旧朝妻宿に向かったのは九月二十三日―祭礼の一週間前のことだった。

東京から特急列車で西へ西へと約六時間、途中で単線のローカル線に乗り換える。

国鉄時代の遺物にカラフルな塗装を施したポンコツディーゼルカーに揺られること約一時間、最寄りの葛原(かどはら)駅に着いた時、夕焼け空には夜闇が迫っていた。

真新しい駅舎の外には、綺麗に整備されたちょっとした地方都市が広がっていた。

僕は、駅前ロータリーにある全国チェーンのビジネスホテルに、チェックインした。

前もって調べたところ、旧朝妻宿には宿泊施設が一軒もないらしいので、山ひとつ向こうの現地へは、ここを拠点に訪ねることになるわけだ。

その山というのが、件の“姫哭山(ひめなきやま)”―ちょうどお椀を伏せたような姿が、部屋の窓からもくっきりと見えた。


翌日は、朝から快晴だった。

僕はスケッチブックを鞄に入れて、さっそく、その姫哭山をめざした。

このあたりは東京に比べて標高が高いせいか、残暑で蒸し暑い東京と違って、こちらは肌寒いほどに涼しかった。

町外れまで来ると、姫哭山の登り口が見えてくる。

その脇には、「朝妻城址口」と書かれた古くさい棒杭が立ち、そこから半ば草に埋もれた獣道のような筋が、鬱蒼とした木立のなかに吸い込まれている。

その荒れ具合からして、この山城址が地元ではほとんど顧みられていないことは、明らかだった。

山中へ足を踏み入れると、とたんにひんやりとした空気に、体が包まれる。

山の“歴史”が頭にあるせいか、僕にはそれが、冷気というより“霊気”のように感じられて、思わず両腕をさすった。

足元をよく注意しなければ見失ってしまいそうな坂道を、額に汗を滲ませながら十分ほど登っただろうか。

空を幾重にも覆っていた木立を抜けると、視界がいっぺんに開けて、雑草が地面を這うように広がる平地へと、たどり着いた。

そこが、姫哭山の頂上だった。

「……」

しかし、それだけの光景だった。

僕はあたりを、ぐるりと見渡した。

戦国の山城を偲ばせる遺構―空堀の跡や、土塁の跡といったもの―は、まったく見当たらなかった。

唯一、山頂だけ樹木のない平地であることが、ここに居城があった名残りと言えるだろうか―

僕は、インターネットで見た姫哭山の写真が、遠景を写した一枚のみであったことを思い出した。

なるほど、これでは画像(え)にならないよな……。

僕は苦笑した。

嘘でも何か遺っていれば、そこからイメージを膨らませることも出来たが、こう何もなくては……。

と、そのとき僕の目に入ったのは、向こうに一本だけ生えている、幹の太い松だった。

先ほどぐるりと巡ったときには、気がつかなかったものだった。

僕はそれを見た瞬間、ピントきた。

大和絵師としての感覚が、まちがいなくあの松を呼んでいた。

僕は鞄からスケッチブックを取り出しながら、その松に歩み寄った。

それは、頂上の際と斜面との、ちょうど境に根を張っていた。

「これだ……」

僕は松を見上げて呟いた。

もちろん、戦国時代からここに生えているわけではないだろう。

しかし僕は、この松から見た古えの光景を、描いてみる気になった。


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