とりあえず、
「飛鳥武流は都合により本日は休演させていただきますが、代わりに一座の若手花形が、ワンマンショーで勤めます!」
という触れ込みでいくことにしました。
担当者の男は名前について、「お客はどうせ分からないのだから“飛鳥琴音”を名乗ってしまえば」、と言いましたが、わたしはキッパリ、高島陽也でいく、と答えました。
もっとも彼は、わたしが女なのに“はるや”なんて男名前を名乗っているものですから、それがわたしの芸名だと思ったみたいですけど…。
彼らが考えていたプログラムは舞踊ショーのみで、一曲目は座長が男役で踊った後、琴音さんや一座の人達がそれぞれ一曲ずつ勤めて、真ん中に座長挨拶といったトークを挟んだあとは、座長の女形舞踊をメインに、花形の琴音さんが絡む、といった、全体で一時間強の構成だったようです。
わたし一人では、舞踊ショーだけで一時間も引っ張れる自身はなかったので、間にトークを挟んだ四十分構成ということにしました。
荷物の中にあったMDボックスには、二年前に踊った記憶のある歌謡曲が、そっくり入っていました。
そして東北の志波姫町で「伊豆の踊子」を代役した時に、お座敷踊りのシーンで使った小唄を編集したMDも、まだ残っていました。
そこで前半は歌謡舞踊、トークの後は難しくない程度の古典物でいこう、と決めました。
チャバコを開けて見ると、懐かしい衣裳が沢山入っていて、あの時の感覚がスーッと呼び覚まされていくような気がしました。
そして琴音さんのチャバコには、一番上に「伊豆の踊子」で着た衣裳の一式が入っていて、ああこれこれ…、とつい懐かしさに引っ張り出して、羽織ってみたりしました。
その時でしたね。
これを着るはずだった人は今日、故人となってしまったと云う実感が湧いてきたのは…。
その途端、わたしは涙がポロポロとこぼれ出しました。
わたしは慌てて衣裳を脱ぐと、その場に座り込んで、両手で顔を覆って、思い切り泣きました。
本番は夜の七時スタートでした。
昨日はエキストラの仕事をした場所で、今日はワンマンショーでスポットを浴びる―何だか不思議な感じでした…。
お客の入りは、今朝の死亡事故のこととは関係なく、半分ちょっとでした。
担当者は、もっとお客が入るハズだったのに、とガク然としていましたけれど、そんな向こうの目論みなんて、わたしの知ったことではありません。
わたしは舞台袖で、
「飛鳥武流さん、飛鳥琴音さん…」
と二人の名前を唱えてから、“出陣”しました。
歌謡舞踊は、あの人たちは全て即興で踊っていましたけれど、それだけは絶対にいただけないことだったので、急拵えながら事前に振りを考えて、それで踊りました。
中盤のトークタイムでは、これまでにエキストラ出演したドラマやCMの、当たり障りのない範囲での撮影ウラ話しをしたら、お客さんたちけっこう食い付いてきしたよ。
このあと十分間休憩にして、その間にホテルの照明と音響のスタッフさんに手伝ってもらって、衣裳と鬘を変えて、白粉化粧もちょっと手直ししました。
衣裳と鬘は、思い出深い、例の「伊豆の踊子」です。
後半はその扮装で、劇中のお座敷踊りを二年ぶりに“再演”しました。
踊りながら、あの時の事が次々に思い出されました。
そして「おうみ あきひこ」と名乗った、あの画家志望の綺麗な青年との思い出に行き当たりました。
そういえば彼は、今頃どうしているのだろう。
お互い東京にいれば、また逢えることがあるかもしれません―そんな話しをして別れた記憶があります。
でも、まだ一度も逢っていません。
彼、あの時みたいに客席にいないかしら―?
わたしは踊りながら、舞台から客席へと降りました。
何も知らないお客は、それは大喜びです。
カメラは向ける、オヒネリを帯や衿元に突っ込んでくる―
客席をぐるっと廻ってお客にスマイルしながら、わたしは“おうみ あきひこ”さんの姿を探してみましたが、見つけることは出来ませんでした。
そうだよね、いるわけないよね…、とわかってはいましたけど、やっぱり寂しい気持ちにはなりました。
あれだけ見目麗しい顔なのだから、当然カノジョだっているだろうし…。
まあ、そんなこんなで、にわか“劇団ASUKA舞踊ショー”は無事に幕を下ろしました。
大成功だったかはわかりませんけど、お客の反応は良かったので、失敗ではなかったはずです。
終わって控え室に戻ると、担当者の男は感激していましたよ。
いやぁ、ありがとう、ありがとう、って。
これで宴会部長にご昇進ですね、なんてイヤミ言ってやろうかと思いましたけど。
…ええ。そうですねぇ。
あれだけ大衆演劇を嫌っていたくせに、思いっきり大衆演劇していましたね。
今こうして振り返りながら喋っていて、我ながらよくあそこまでやったと思いますよ。
でも、今は出来ません。
まあ、状況が状況でしたからね、胸の底から突き上げてくるものがあって、それがわたしを動かしたのだと思います。
やっぱりわたしには、大衆演劇は水に合いませんもの。
その時のギャラ、ですか?
懐に入れるようなことはしませんでした。
当然です。
意外そうな顔してますけど。
衣裳をきれいにたたんでチャバコへ戻した時に、オヒネリと一緒に入れておきました。
せめてもの供養に。
それにあのステージは、あくまでもわたしの、“罪滅ぼし”のつもりでしたしね…。
チャバコやその他道具類は、伝票にある送り主欄の住所のところへ、着払いで送るよう担当者に指示して、この日は用意してくれた部屋に泊めさせてもらうことにしました。
夢に飛鳥琴音さんとか出てくるかな、と思いましたけど、出て来ませんでした。
“おうみ あきひこ”さんも…。
〈続〉
「飛鳥武流は都合により本日は休演させていただきますが、代わりに一座の若手花形が、ワンマンショーで勤めます!」
という触れ込みでいくことにしました。
担当者の男は名前について、「お客はどうせ分からないのだから“飛鳥琴音”を名乗ってしまえば」、と言いましたが、わたしはキッパリ、高島陽也でいく、と答えました。
もっとも彼は、わたしが女なのに“はるや”なんて男名前を名乗っているものですから、それがわたしの芸名だと思ったみたいですけど…。
彼らが考えていたプログラムは舞踊ショーのみで、一曲目は座長が男役で踊った後、琴音さんや一座の人達がそれぞれ一曲ずつ勤めて、真ん中に座長挨拶といったトークを挟んだあとは、座長の女形舞踊をメインに、花形の琴音さんが絡む、といった、全体で一時間強の構成だったようです。
わたし一人では、舞踊ショーだけで一時間も引っ張れる自身はなかったので、間にトークを挟んだ四十分構成ということにしました。
荷物の中にあったMDボックスには、二年前に踊った記憶のある歌謡曲が、そっくり入っていました。
そして東北の志波姫町で「伊豆の踊子」を代役した時に、お座敷踊りのシーンで使った小唄を編集したMDも、まだ残っていました。
そこで前半は歌謡舞踊、トークの後は難しくない程度の古典物でいこう、と決めました。
チャバコを開けて見ると、懐かしい衣裳が沢山入っていて、あの時の感覚がスーッと呼び覚まされていくような気がしました。
そして琴音さんのチャバコには、一番上に「伊豆の踊子」で着た衣裳の一式が入っていて、ああこれこれ…、とつい懐かしさに引っ張り出して、羽織ってみたりしました。
その時でしたね。
これを着るはずだった人は今日、故人となってしまったと云う実感が湧いてきたのは…。
その途端、わたしは涙がポロポロとこぼれ出しました。
わたしは慌てて衣裳を脱ぐと、その場に座り込んで、両手で顔を覆って、思い切り泣きました。
本番は夜の七時スタートでした。
昨日はエキストラの仕事をした場所で、今日はワンマンショーでスポットを浴びる―何だか不思議な感じでした…。
お客の入りは、今朝の死亡事故のこととは関係なく、半分ちょっとでした。
担当者は、もっとお客が入るハズだったのに、とガク然としていましたけれど、そんな向こうの目論みなんて、わたしの知ったことではありません。
わたしは舞台袖で、
「飛鳥武流さん、飛鳥琴音さん…」
と二人の名前を唱えてから、“出陣”しました。
歌謡舞踊は、あの人たちは全て即興で踊っていましたけれど、それだけは絶対にいただけないことだったので、急拵えながら事前に振りを考えて、それで踊りました。
中盤のトークタイムでは、これまでにエキストラ出演したドラマやCMの、当たり障りのない範囲での撮影ウラ話しをしたら、お客さんたちけっこう食い付いてきしたよ。
このあと十分間休憩にして、その間にホテルの照明と音響のスタッフさんに手伝ってもらって、衣裳と鬘を変えて、白粉化粧もちょっと手直ししました。
衣裳と鬘は、思い出深い、例の「伊豆の踊子」です。
後半はその扮装で、劇中のお座敷踊りを二年ぶりに“再演”しました。
踊りながら、あの時の事が次々に思い出されました。
そして「おうみ あきひこ」と名乗った、あの画家志望の綺麗な青年との思い出に行き当たりました。
そういえば彼は、今頃どうしているのだろう。
お互い東京にいれば、また逢えることがあるかもしれません―そんな話しをして別れた記憶があります。
でも、まだ一度も逢っていません。
彼、あの時みたいに客席にいないかしら―?
わたしは踊りながら、舞台から客席へと降りました。
何も知らないお客は、それは大喜びです。
カメラは向ける、オヒネリを帯や衿元に突っ込んでくる―
客席をぐるっと廻ってお客にスマイルしながら、わたしは“おうみ あきひこ”さんの姿を探してみましたが、見つけることは出来ませんでした。
そうだよね、いるわけないよね…、とわかってはいましたけど、やっぱり寂しい気持ちにはなりました。
あれだけ見目麗しい顔なのだから、当然カノジョだっているだろうし…。
まあ、そんなこんなで、にわか“劇団ASUKA舞踊ショー”は無事に幕を下ろしました。
大成功だったかはわかりませんけど、お客の反応は良かったので、失敗ではなかったはずです。
終わって控え室に戻ると、担当者の男は感激していましたよ。
いやぁ、ありがとう、ありがとう、って。
これで宴会部長にご昇進ですね、なんてイヤミ言ってやろうかと思いましたけど。
…ええ。そうですねぇ。
あれだけ大衆演劇を嫌っていたくせに、思いっきり大衆演劇していましたね。
今こうして振り返りながら喋っていて、我ながらよくあそこまでやったと思いますよ。
でも、今は出来ません。
まあ、状況が状況でしたからね、胸の底から突き上げてくるものがあって、それがわたしを動かしたのだと思います。
やっぱりわたしには、大衆演劇は水に合いませんもの。
その時のギャラ、ですか?
懐に入れるようなことはしませんでした。
当然です。
意外そうな顔してますけど。
衣裳をきれいにたたんでチャバコへ戻した時に、オヒネリと一緒に入れておきました。
せめてもの供養に。
それにあのステージは、あくまでもわたしの、“罪滅ぼし”のつもりでしたしね…。
チャバコやその他道具類は、伝票にある送り主欄の住所のところへ、着払いで送るよう担当者に指示して、この日は用意してくれた部屋に泊めさせてもらうことにしました。
夢に飛鳥琴音さんとか出てくるかな、と思いましたけど、出て来ませんでした。
“おうみ あきひこ”さんも…。
〈続〉