八月二十一日。
それは、近江章彦が意を決して出掛けた日。
どこへ?
ライヴへ。
何の?
“μ”の!
μのメジャーデビュー一周年記念ライヴツアーは、七月に彼らにとっては縁深い福岡をスタートすると、仙台までのぼってそこから南下、この日の東京公演が、ファイナルなのだ。
しかも会場は、五年前に山内晴哉と別れたあの複合商業ビルの、そのなかの大ホール。
五月のチケット一斉発売日を過ぎても、僕は行こうか行くまいか、実は迷い続けていた。
もちろん、あれから五年が経って、見事にプロのミュージシャンの夢を掴んだ山内晴哉の、いまの姿をナマで見てみたかった。
でも、そこに迷いがあった。
自分と違って成功した人間の晴れ舞台を、平常な気持ちで観られるものだろうか…、と。
しかしそれは、成功者への醜い“ひがみ”であると思い直した。
僕は、HARUYAたちの音楽に元気付けられて、再び絵筆をとることが出来た。
そのおかげで、秋に出展する作品も、ほぼ仕上がってきているのだ。
行こう。
とにかく、行こう。
そして過去の自分に、決着をつけるのだ。
オールスタンディングの会場は、開演前から恐ろしい熱気だった。
そして、女性のファンたちで溢れ返っていた。
ロビーの一角には、メンバーが自らデザインしたグッズを販売しているコーナーがあって、また各方面からのお祝いの花が、あちこちに溢れんばかりに飾られていた。
メンバー全員宛てもあれば、個人宛てもあった。
僕は自ずと、HARUYA個人に宛てた花を探していた。
贈り主の名前をいちいち挙げてはいられない程の数だった。
それだけでも、現在のHARUYAを取り巻く環境を知るには、充分だった。
定刻から十分遅れて、ライヴはスタートした。
会場の照明がふっと落ちると、ギャラリーからは黄色い歓声が上がり、それを吹き消すかのような閃光と共に大爆音が場内に響き渡って、
μが、
HARUYAが、
姿を現した。
五年ぶりに逢った…!
僕の心臓は壊れそうなほどに高鳴り、膝は崩れそうになるくらい震えだした。
オープニングナンバーは、あの日僕の心にスッと入ってきた、そして現在の僕の原点である、「W.X」だった。
それまで僕のなかにまだ微かに残っていた迷いは、この瞬間に完全に消えた。
ビジュアル系らしくメイクしたHARUYAは、見てくれだけではない、内側から滲み出る輝きと、美しさをはなっていた。
これがプロというものか…!
そのオーラに圧倒されそうになるのを、僕は全て受け止めてやろうと、脚に力を入れて立った。
そしてアルバムで聴き覚えたナンバーを次々に熱唱する彼を、僕はひたすらに追った。
HARUYAがダンスのように烈しく身を躍らせる度に、幾重ものウォレットチェーンが、意思を持った生き物のように宙をうねる。
僕を泣かせた『MONOCHROME'S DREAM』で、僕はまた泣かされた。
次々と吹き荒れるハードロックの嵐に、ギャラリーは拳を振り上げ、髪を振り乱し、咆哮を上げ…、完全にトランス状態だった。
やがて中盤に入ったところで、メンバーたちのトークタイム―MCとなった。
メンバーと力を合わせてやってきたこれまでについてを感慨深く語るHARUYAの声は、僕が知っている山内晴哉の声そのものだった。
確かに僕は、かつてこの人に会っていたことがあるのだ、という実感が蘇った。
でも、いまステージにいる彼は、もうあの時の彼とは、別人。
わかりきっているはずなのに、胸から寂しさが込み上げた。
ライヴは後半に入ってますますボルテージを上げて行く。
やがて。
「最後にこの曲を、俺に本気でアーティストなるキッカケを与えてくれた人、そして今日ここに集まってくれたみんなへの感謝を込めて、ツアーファイナルの今日初めて、歌います…」
と、額に汗を滲ませたHARUYAの言葉に、「え、どんな曲?」とギャラリーが反応し、僕は“俺に本気でアーティストになるキッカケを与えてくれた人”って?とそちらの方に気を取られているうち、これまでのハードロックとは趣きをガラリと変えた静かなイントロを、トップギターの和希が奏でた。
それは、「あの人」を探し求めて長い旅を続ける旅人を歌った、バラードだった。
マイクを両手でしっかりと握って、瞳(め)を閉じて、歌詞の一語一語を慈しむように、しっとりと歌うHARUYAに、興奮の極にあったギャラリーは瞬く間に落ち着きを取り戻し、彼の想いに耳を傾け始めた。
ステージとギャラリーのその一体感は、まさに感動的だった。
μは、なんて素晴らしいファンに恵まれているのだろう、と思った。
HARUYAの想いを、ギターが、ドラムが、キーボードが、静かに、静かに盛り上げていく。
“この道を歩いていけば
いつかあの人に 逢えるから
それだけを信じて
いつまでも いつまでも
この道をわたしは旅する
This way continues forever.
わたしは想いを信じて わたしは旅をつづける
だって聴こえるもの
あの日 あの時
わたしに聞かせてくれた
あの人の唄
だって聴こえるもの
あの日 あの時
あなたが話してくれた
あなたの想い
ほら 聴こえる…
心がうたう…”
ここで全ての伴奏が止むと、HARUYAは一呼吸おいて、そしてゆっくりとしたテンポで独唱した。
“さんさ時雨か 萱野の雨かや
音もせで来て 濡れかかる
ショーガイナ…”
僕はハッとした。
これは…!
あのとき物流倉庫で、彼が一人でこの唄を口ずさんでいた事を思い出して、僕は瞼が熱くなってきた。
HARUYAはヴォーカリストとして、この唄を最も唄いたかったのだろう。
曲が終わり、感極まって静まり返ったファンたちへ深々と頭をさげたHARUYAに、僕はすかさず拍手を贈った。
この日集まったファンたちの熱い拍手は、いつまでも、会場にこだました。
〈続〉
それは、近江章彦が意を決して出掛けた日。
どこへ?
ライヴへ。
何の?
“μ”の!
μのメジャーデビュー一周年記念ライヴツアーは、七月に彼らにとっては縁深い福岡をスタートすると、仙台までのぼってそこから南下、この日の東京公演が、ファイナルなのだ。
しかも会場は、五年前に山内晴哉と別れたあの複合商業ビルの、そのなかの大ホール。
五月のチケット一斉発売日を過ぎても、僕は行こうか行くまいか、実は迷い続けていた。
もちろん、あれから五年が経って、見事にプロのミュージシャンの夢を掴んだ山内晴哉の、いまの姿をナマで見てみたかった。
でも、そこに迷いがあった。
自分と違って成功した人間の晴れ舞台を、平常な気持ちで観られるものだろうか…、と。
しかしそれは、成功者への醜い“ひがみ”であると思い直した。
僕は、HARUYAたちの音楽に元気付けられて、再び絵筆をとることが出来た。
そのおかげで、秋に出展する作品も、ほぼ仕上がってきているのだ。
行こう。
とにかく、行こう。
そして過去の自分に、決着をつけるのだ。
オールスタンディングの会場は、開演前から恐ろしい熱気だった。
そして、女性のファンたちで溢れ返っていた。
ロビーの一角には、メンバーが自らデザインしたグッズを販売しているコーナーがあって、また各方面からのお祝いの花が、あちこちに溢れんばかりに飾られていた。
メンバー全員宛てもあれば、個人宛てもあった。
僕は自ずと、HARUYA個人に宛てた花を探していた。
贈り主の名前をいちいち挙げてはいられない程の数だった。
それだけでも、現在のHARUYAを取り巻く環境を知るには、充分だった。
定刻から十分遅れて、ライヴはスタートした。
会場の照明がふっと落ちると、ギャラリーからは黄色い歓声が上がり、それを吹き消すかのような閃光と共に大爆音が場内に響き渡って、
μが、
HARUYAが、
姿を現した。
五年ぶりに逢った…!
僕の心臓は壊れそうなほどに高鳴り、膝は崩れそうになるくらい震えだした。
オープニングナンバーは、あの日僕の心にスッと入ってきた、そして現在の僕の原点である、「W.X」だった。
それまで僕のなかにまだ微かに残っていた迷いは、この瞬間に完全に消えた。
ビジュアル系らしくメイクしたHARUYAは、見てくれだけではない、内側から滲み出る輝きと、美しさをはなっていた。
これがプロというものか…!
そのオーラに圧倒されそうになるのを、僕は全て受け止めてやろうと、脚に力を入れて立った。
そしてアルバムで聴き覚えたナンバーを次々に熱唱する彼を、僕はひたすらに追った。
HARUYAがダンスのように烈しく身を躍らせる度に、幾重ものウォレットチェーンが、意思を持った生き物のように宙をうねる。
僕を泣かせた『MONOCHROME'S DREAM』で、僕はまた泣かされた。
次々と吹き荒れるハードロックの嵐に、ギャラリーは拳を振り上げ、髪を振り乱し、咆哮を上げ…、完全にトランス状態だった。
やがて中盤に入ったところで、メンバーたちのトークタイム―MCとなった。
メンバーと力を合わせてやってきたこれまでについてを感慨深く語るHARUYAの声は、僕が知っている山内晴哉の声そのものだった。
確かに僕は、かつてこの人に会っていたことがあるのだ、という実感が蘇った。
でも、いまステージにいる彼は、もうあの時の彼とは、別人。
わかりきっているはずなのに、胸から寂しさが込み上げた。
ライヴは後半に入ってますますボルテージを上げて行く。
やがて。
「最後にこの曲を、俺に本気でアーティストなるキッカケを与えてくれた人、そして今日ここに集まってくれたみんなへの感謝を込めて、ツアーファイナルの今日初めて、歌います…」
と、額に汗を滲ませたHARUYAの言葉に、「え、どんな曲?」とギャラリーが反応し、僕は“俺に本気でアーティストになるキッカケを与えてくれた人”って?とそちらの方に気を取られているうち、これまでのハードロックとは趣きをガラリと変えた静かなイントロを、トップギターの和希が奏でた。
それは、「あの人」を探し求めて長い旅を続ける旅人を歌った、バラードだった。
マイクを両手でしっかりと握って、瞳(め)を閉じて、歌詞の一語一語を慈しむように、しっとりと歌うHARUYAに、興奮の極にあったギャラリーは瞬く間に落ち着きを取り戻し、彼の想いに耳を傾け始めた。
ステージとギャラリーのその一体感は、まさに感動的だった。
μは、なんて素晴らしいファンに恵まれているのだろう、と思った。
HARUYAの想いを、ギターが、ドラムが、キーボードが、静かに、静かに盛り上げていく。
“この道を歩いていけば
いつかあの人に 逢えるから
それだけを信じて
いつまでも いつまでも
この道をわたしは旅する
This way continues forever.
わたしは想いを信じて わたしは旅をつづける
だって聴こえるもの
あの日 あの時
わたしに聞かせてくれた
あの人の唄
だって聴こえるもの
あの日 あの時
あなたが話してくれた
あなたの想い
ほら 聴こえる…
心がうたう…”
ここで全ての伴奏が止むと、HARUYAは一呼吸おいて、そしてゆっくりとしたテンポで独唱した。
“さんさ時雨か 萱野の雨かや
音もせで来て 濡れかかる
ショーガイナ…”
僕はハッとした。
これは…!
あのとき物流倉庫で、彼が一人でこの唄を口ずさんでいた事を思い出して、僕は瞼が熱くなってきた。
HARUYAはヴォーカリストとして、この唄を最も唄いたかったのだろう。
曲が終わり、感極まって静まり返ったファンたちへ深々と頭をさげたHARUYAに、僕はすかさず拍手を贈った。
この日集まったファンたちの熱い拍手は、いつまでも、会場にこだました。
〈続〉