早朝のラジオ放送で、寶生流の「巻絹」を聴く。
かつて道を見失ひかけてゐた私に、改めて傳統藝能の道を示してくれた曲。
佐渡寶生の奏でる音色が、すっと心に染みこんでいったあの夜のことは、生涯忘れることはない。
それから紆余曲折があって、今日の私がある。
いつであったか、そのことを或る他流の猿楽師に話したところ、その唯我独尊な猿楽師は蔑意をにじませた苦い表情で、黙って私の顔を見てゐた。
その猿楽師は、いまも世に出てゐない。
ただ、親が名人とされてゐる猿楽師なので、黙っていてもその地盤を受け継ぎさえすれば、無難にその道で食べて行けるだらう。
しょせんは“二世”か……。
私はさっさと見切りをつけた。
もっとたくさんのものを見て、聞くために。
いつか私も、この曲のシテである巫女を舞ひたい。
だから今日も、歩く。