迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

偲姿―おもかげ―14

2012-06-18 23:55:50 | 戯作
「この仕事、私はとても好きなんですけど、たぶん素質がないんでしょうかね…。教わった技術がなかなかその通りに出来なくて…。先輩は焦らなくていいよ、って言ってくれるんですけど、まるで応えられない自分が悔しくて…」

福間美鈴さんはコーヒーカップを見つめたまま、下唇を噛みました。

「それで、いつもお店が終わった後に、外でカットモデルになってくれそうな人を探しているんですけど、私見るからに下手くそに見えるみたいで、断られてばかり…」

福間美鈴さんは、淋しげに微笑んでわたしを見ると、

「高島陽也さんが、実は初めてのカットモデルなんです」

「そうですか…」

「あ、ごめんなさい。初めて会った人なのに、こんなつまらない個人的な話しを聞かせてしまいまして…」

「全然かまいませんよ」

わたしはゆっくり首を振りました。

「わたしは今日、こんなに上手に髪をカット出来る人に出逢えて、本当によかったと思っています」

「そんな、煽てないで下さいよ」

「わたしの本心です」

わたしは福間美鈴さんの瞳(め)を、まっすぐに見ました。

気持ちが伝わったのか、彼女は少し間をおいてから、ゆっくりと頷きました。

「それにわたし、福間さんに命を助けられたんですよ」

何のことを言っているのか、福間美鈴さんはすぐにピンときたようで、

「ああ…」

と目を見開いて、わたしを見ました。

「いろいろあって、すっかり疲れてしまって。そうしたら…、信じていただけるかどうかわかりませんけれど、この世にいないはずの人の声が聞こえて…」

「信じますよ」

福間美鈴さんは、うん、と肯きました。「あそこのベンチに座っている姿を見た時に、この人にカットモデルの協力をお願いしてみよう、と決めたのは事実ですけど、実際に声を掛けるキッカケは、あの瞬間で…」

「実際、“声”に誘われるまま、高速道路に転落してしまうところでした」


わたしは今さらながら、身震いのする思いでした。


飛鳥琴音さんは、未だ成仏していないのでしょうか―?




同い年でもあり、お互いに頑張りましょう、と約束をして、そしてお互いの連絡先を交換して、この日わたしたちは別れました。


東京へやって来て初めて、“人間と”会話をしたような気がしました。

つまりそれだけ、わたしは東京で人間味のない、殺伐とした日々を送っていた、ということなのでしょう。

師走のこの日、所属事務所を突然解雇されたことは、わたしにとってはとてもイタイ事件でした。

寒空の下に放り出された―そんな気分でした。

でも彼女と出逢ったことで、わたしはもっとほかに生きる道があるのではないか―そんな“微かな光”みたいなものを見たのです。


だからと言って、わたしはこの時点ではまだ、女優志望を辞めようと決心したわけではありませんでした。

なんと言っても急なことだったので、気持ちがもっと落ち着いてから、先のことを考えるつもりでした。



なんであれ、都会の小さな美容室で、福間美鈴さんが髪をカットしてくれたあの時間は、いまでもわたしのなかで、『心の落ち着いたひととき』として、東京での大事な思い出となっています。




萬世橋駅まで来ると、特急列車や夜行長距離バスの発着する駅だけあって、これから帰省しようとする人々で賑わっていました。


わたしは駅前の広場で立ち止まると、明治時代に建てられたと云う赤レンガの駅舎を見上げながら、女優を夢見てこの駅に降り立った日のことを思い出しました。


もしかしたら、福岡で日本舞踊を稽古しながら、希望に胸を膨らませていたあの時が、実はいちばん楽しい時期だったのかもしれない。


なにも知らなかったから。


なにも…。



駅構内の自由通路を通ってバスロータリーとなっている反対側へと抜けると、そこでは遠巻きに何かを眺めている人々がいたので、何だろうとわたしも足を止めて、同じ方向へ目を向けました。

そしたら、まァなんという巡り合わせなんでしょうね。

今までわたしがエキストラとして関わっていた世界が、そこにあったのです―映画のロケをやっていたんですよ。


そのうち、監督の「スタート!」でカチンコが鳴ると、照明に照らし出された一人の若い俳優が、あたりを見回す演技をしながら、正面のカメラに向かって歩き始めました。


その俳優は、わたしと同じ福岡県出身で、年齢も同じ、宮嶋翔(みやしま かける)でした。


彼をナマで見るのは、この時が初めてでした。

映像で見るよりも、さらにイケメンだな、と思いました。


彼には、俳優としてのオーラに満ちていました。


第一線のプロと云うのはこういうものなのか―離れた場所にいたのにも拘わらず、わたしは初めて役者にと云うものに、圧倒されました。


そしてわたしはこの時に、直感したのです。


『わたしは、あのようにはなれない…』



こういうのは、理屈ではないんですね。


あの時の宮嶋翔の姿に、わたしは役者とはどんなものかを、初めて教えられたのです。


ただ愕然としました。


とても自分には無理だ―


惨めさよりも、溜飲の下がる思いでした。


でもこれで、納得がいったのです。



女優を夢見て降り立った駅で、その夢に幕を降ろす―と言ったら、綺麗にすぎますかね?



まあ、夢に足掻(あが)き続けていた高島陽也は、同郷の宮嶋翔にトドメを刺された―そんなふうにでも書いておいて下さい。


あっけないものでしょ?


でも現実なんて、けっこうそんなものだったりするんです。



現在(いま)でも彼をTVなどで見かけると、あの時のことがリアルに思い出されて、胸がキュッとなりますよ。


だからですかね、わたしはあれ以来、宮嶋翔と云う俳優が、嫌いです。



…ははは。まだどこかに、女優業への未練があるんですかねえ。







〈続〉
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