arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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数十秒間のお付き合い 

2004年07月23日 11時22分22秒 | エッセイ
以前こんな事がありました。
十数年前の事ですが、工場で働いている時の通勤時に、急にどしゃぶりの雨が降ってきた事があったのです。
その時には傘はありましたが、傘をさしてもかなり濡れそうな雨の勢いでした。

こういう時は少し軒先で雨宿りをしていれば、直に雨は止んでしまうと思っていたのですが、なかなか止みそうにありません。
遅刻をするといけないので、仕方なく歩き出して交差点まで来た時に、高校生くらいの女の子が自転車に乗って交差点で信号待ちをしているのを見かけたのです。

その子は傘がないので、強い雨に打たれて、ずぶ濡れ状態でした。
私は見ていられなくて、その子に傘を差し出しましたが、傘を差し出したところで、それ以前に既にずぶ濡れ状態なのですから、ほとんど何の役にも立たない訳です。
でも強い雨に打たれているのが、気の毒に思って、傘を差し出した訳ですが、そのお陰で私の方が上から下まで、ずぶ濡れ状態になってしまったのです。

これから仕事だというのに、一時はどうしようかと思いました。
数十秒後に青信号になって、その子はこちらを向いて、頭をちょこんと下げて走って行きました。

ほんの数十秒間の出来事でしたが、なかなか面白い経験だと思って、工場に着いてから、笑い話のつもりで同僚に話したのですが、同僚が言うには、「そうだよ、そのくらい積極的にしなければ、女性を獲得する事は出来ないよ」などと言うのです。

雨に濡れている子に、傘を差し出した事は何度かありますが、こういう事はどうしても「下心」があると思われやすいのです。
(全くないとは言いませんが・・・)
ただ、下心があると思われたり、誤解されたりするのが嫌だというので、何もしない人間にはなりたくありません。

私がこういう風に、誤解されても良いと思うようになったのには訳があるのです。
それは中学生の頃に、やはり通学時に急に雨に降られて困っているところへ、どこかのあばさんが傘を差し出してくれたのです。
そのおばさんとは行く方向が違っていたので、傘に入れてもらったのは、ほんの数分間の事だったのですが、非常にありがたいと思い、30年以上立った今でも忘れられないのです。

そのおばさんは何処の誰なのかも分かりません。
こんな時、もしそのおばさんの事が分かっていたとしたらどうなのでしょう。
ただ単にあばさんに、なんらかの「お礼をする」というだけなら、「借りを返す」というだけの、たった二人だけのほんの小さな世界の話になってしまうでしょう。
これでは意味がありません。

大切な事は、おばさんに「借りを返す」のではなく、別の人達にお返しをする事なのです。
私が女の子に、例え誤解されても傘を差し出したように、その子が将来男の子に傘を差し出す事が出来るかも知れません。
この為なのです。
これで心の世界が広がりを持って来るのです。
ですからお互いに、何処の誰かも知らなくて良いのです。

これは人生数十年の内の、ほんの数十秒間の出来事ではありますが、これも大切な人付き合いの一つなのです。
短い時間ではあっても、つまらない付き合いではありませんし、また長い付き合いであっても、つまらない付き合いもあります。
どうせお付き合いをするのなら、お互いに心が豊かになるようなお付き合いにしたいものです。

今日はこんな話になってしまいました。
お退屈様・・・。
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