arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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人から嫌われるという事・・・について

2005年09月17日 01時01分40秒 | エッセイ
どんな人でも他人から「好き」と言われれば嬉しいし、「嫌い」と言われれば傷付くのが人情というものかも知れません。
でも、本当にそうなのでしょうか?

私の事をお話し致しますと・・・
私は今までの人生の中で2人の女性から
「私は貴方の事が好きよ!」と言われた事があります。
いい年をして2人だけとは、ちょっと寂しい気も致しますが・・・
でもその時、一つも嬉しくは感じませんでした。

また逆に、私の事を例え一時的にであっても本当に好きになってくれた何人かの女性からは「好きよ!」と言われた記憶がありません。
また相手の方から自発的に「愛してる」と言われた記憶もありません。

特に若い頃は、今まで親しく付き合って来た男女が「好きだ!」と告白したばかりに、それ以後分かれるような結果になりはしないか・・・という不安がありますから、中々告白出来ないものだと思います。

それでも男性の場合は、自分が傷付く事を恐れていては、何時まで経っても好きな女性を獲得出来ませんから、そう言っている訳にも行きませんが・・・

私が何故女性から気安く「好きよ!」と言われる事が嫌いかと言いますと、それは「貴方の事は男性としては意識していませんよ!」と言われているのと同じように受け取ってしまうからなのです。
男性として意識していれば、そう気安くは言えない言葉だと思います。
もちろん例外や個人差はありますが・・・

私としては、私の事を男性として意識していない女性から「好きよ!」と言われる事よりは、男性として認めてくれている女性から「嫌いよ!」と言われる事の方がまだましなのです。



私が人を判断する基準は「言葉」ではありません。
その人の「行動」によって判断しています。

では、もし私が今後色々な意味に於いて人を好きになった場合に、はたして相手に対して「好きだ!」と言うでしょうか?
まず言わないと思います。
そんな言葉は全く意味をなさないと考えているからです。

「男と女」として好きになった時、「人と人」として好きになった時、「作曲家と歌手」として好きになった時・・・色々な状況があると思いますが、
私は「言葉」によって自分の事を理解してもらおうとは考えていないからです。

もし人を好きになった時に、自分は相手に対して一体何をしてあげる事が出来るのだろうか?
という事を第一に考えているからです。
当然それは「自分の能力で相手を喜ばせてあげる事が出来るのだろうか?」という意味なのです。

例えば、私が男として女性を好きになった場合には、男として女性を喜ばせる能力がなければならない訳です。
私が作曲家として歌手を好きになった場合には、作曲家として歌手に喜びを与えられるような音楽を創作出来なければならない訳です。
また仕事に於いては歌手の方たちに、きちんとギャラが支払われるようにしなければならない訳です。

それが実現出来ないならば、「好きだ!」と言ってみたところで全く意味をなさないと思います。



例えばもし私が将来、自分の音楽事務所を持てるような状況が起きたと仮定した場合に、どんな人を社員として募集したいのか?
私の趣味と気があって私の事を「好きだ」と思ってくれている人が欲しいのでしょうか?
これは違うと思います。

例え私と趣味が合わなくても、私の事を好きでなくとも、与えられた仕事を素直にきちんとこなし、信頼できる仕事ぶりを見せてくれる人が欲しいと思います。
好きも嫌いも全く意味をなさないと思います。
「信頼関係」を第一に考えてくれる人であれば、そういう意味に於いては自分が嫌われていても問題はない訳です。
嫌われる事は、それほど恥ずかしい事ではない筈なのです。



もう一つの例えです。

私は作曲家ですから、歌手の人たちには「好かれたい」と思うのが自然な感情なのかも知れません。
しかし、これも全く同じような事が言えると思います。

少し極端な話になりますが、
例え歌手の方が私の音楽や私の人間性を嫌っていたとしても・・・

「プレゼンの段階ではタダ働きなのですが、歌って頂けますか?」と言った事に対して、「はい、歌います」と言って実際に歌ってくれる。

「プレゼンが仮に通ってスタジオで本番録音になってたとしても、安いギャラですが歌って頂けますか?」と言った時でも、「はい、歌います」と言って歌ってくれる。

本番のスタジオ録音の時には、一番早く到着して準備をして待っている。
そして仕事はちゃんとこなしてくれる。
私に対しては礼儀正しい態度をとってくれる・・・という事になりますと、

私としてはもうそれ以上、歌手の方に対して何を求めようというのでしょうか?
もうそれだけで十分ではないですか。
特に好かれる必要などないではないですか。

「信頼関係」と「向上心」さえ大切にして頂けるのであれば、嫌われていても何の問題も起きません。
相手が私に対して、どんな「行動」をとってくれるのか・・・それだけが重要な事なのです。



「信頼関係」というものは面白いものだと思います。
いくら親しい友達のように見えても信頼していない場合があったり、また逆に自分の嫌いなタイプの人間であっても、「あの人に仕事を任せれば大丈夫だ!」などと信頼しているものです。

やはり人と人とのお付き合いに於いて、一番大切なものは「好き嫌い」よりも「信頼関係」ではないかと思います。
また「言葉」よりも「行動」で判断されるべきだと思います。
ただ、もしどうしても言葉で伝えなければならないような場合には、「言霊」と言われるように「魂の入った言葉」で相手に伝えたいと思います。

という訳で、私としましては・・・
例え嫌われていたとしても、「信頼」される人間でありたいと思っている次第です。
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2 コメント

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Unknown (dumbo)
2005-09-16 22:38:29
こんばんわ。



わかったような、わからないような、

同意できそうな、一部には出来そうにないような、

そんな感じですが、最後の2行は頷きました。

考えが違うけど、面白いです。



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その調子! (あらた)
2005-09-17 00:22:05
ダンボさん、こんばんは。



「考えが違うけど、面白い」って、良いですね。

歳を重ねるに従って、色々な考え方や色々な感性が理解出来るようになって来ると、人生が面白くなって来ますよね。

その調子で行きましょう。
返信する

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