arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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初心を忘れていた事 (15年前のエッセイから)

2020年01月12日 15時19分27秒 | エッセイ

私のメールアドレスには毎週 goo ブログから訪問者数と閲覧数の知らせが入るのですが、もうほとんど記事を書いていないブログに、何故か毎週500人ほどのアクセス数があったのです。

でも「そんな筈はない、何かの間違いだろう」とか「例え訪問しても、ちゃんと読んではいないだろう」などと考えて、ほとんど何年間も無視していたのです。

でも最近になって、ちょっと気になり出して「どんな記事が読まれているのだろうか?」と、アクセス解析を調べて見る事にしたのですが・・・

その中で時々読まれているものに次の3つの記事がありました。

2005.01.10「幸福の手紙」と「チェーン・メール」について

2006.02.23 ハムちゃんの死

2006.04.24 女の子に「オチ○チン」がある・・・?


そういえば思い出しましたが、小説家志望だった友人の影響で、突然「エッセイ作り」に目覚めた時期があったのです。

でも、15年も前に一体どんなエッセイを書いていたのだろうか?と気にはなるのですが、ちょっと不安にもなります。
変な事を書いていなか?間違った事を書いていないか?恥ずかしい事を書いていないか?

世の中には優秀なプロの文章家たちがいるのですから、アマチュアの文章なんて・・・とも思いますし、
またプロの本でさえ読まれなくなって本屋さんが潰れている現在に、アマチュアの文章なんて・・・とも思います。

でも、いや待てよ!!

アマチュアの文章ではあっても、正確な事実の記録であるならば、戦争体験のように記録として大きな価値のある物もあるではないか!

そうです、暫くエッセイを書かない内に、「初心」を忘れてしまっていたのです。

「プロに書けない文章を書く」

「他人に書けない文章を書く」

「他人が気がつかない事を発見する」

その「オリジナリティ」「個人的な美意識」に大きな意味がある訳です。

例え技術的には未熟な文章力であっても、それは修正すれば徐々に良くなって来ます。
オリジナルな最初の「閃き」「発見」が重要です。

文章でも音楽でも何であっても皆同じ事です。
プロ・アマに拘る必要はない訳です。
「未熟さ」を恐れてはいけない訳です。
未熟さというものは、時間をかけて繰り返し修正する事で、見違えるように良くなって来るからです。

プロになる為には「閃き・発見」と「技術」が必要です。
例え経験豊富で「技術」が優れていても、「閃きと発見」がなければ、有名人が創作した物であっても、つまらない作品になります。
このような事は「当然の事」として、若い頃には常に考えていた事です。


また才能や技術は、どんなに優秀な人であっても「自分より優秀な人は沢山いるし、また自分より未熟な人も沢山いる」という事ですから、その事に関しては初心者であってもベテランであっても全く同じです。

ですから「未熟さ」を殊更心配する必要はなく、少しでも「進歩」していれば良い訳です。
「未熟さ」を恐れるよりも、「進歩を止める事」「諦める事」の方が問題です。


また変な言い方ではありますが、未熟であってもプロには成れます。
未熟なプロであっても、それなりの仕事はあるものです。
欠点があっても、長所があれば仕事はあるものです。

優秀なプロには大きな仕事、大きな責任のある仕事が任せられます。
こんな事は誰でも分かっている事です。


私がネット上にUPしている作品も、長所と短所が見え見えの物ばかりです。
100点満点をつけられるものは一つもありません。
時間があれば修正したい物ばかりです。
ですから批判的に見ている人たちも多くいる事でしょう。
でも、私もそれなりに仕事をして来たのです。

数十年も生きていると日常生活に追われたり、また色々と予期せぬ事が起こって、ついうっかり「初心」を忘れてしまうようです。
これらの事に気がつかせてくれた訪問者の方々に感謝致します。

今年は人生の節目になるような気がしています。
今後は「初心」を忘れずに、更に頑張って行きたいと思います。


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