arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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喧嘩について・・・3

2004年07月21日 12時29分21秒 | エッセイ
私は基本的に「嫌いな人」とは喧嘩をしません。
私が子供の頃から喧嘩をした相手というのは、ほとんど仲の良い友だちばかりです。

そしてその「内容」というのは、普段仲の良い友だちが、たまに「失礼な態度」を取った事に対してのものであり、相手をいじめたり傷つけたり、ストレスを解消する為のものではありません。
ですから相手が反省してくれれば、すぐに仲直りが出来た訳です。

喧嘩には暗黙の「ルール」があると思います。

基本的に仲の悪い人達、考え方の違う人達とは喧嘩をしない事。
これは怪我や危険から身を守る為です。

例え普段仲の良い友だちであっても、失礼な事をされた場合には、相手を注意し、叱る事。
これは相手からなめられたり、繰り返し「いじめ」を受けるのを防ぐ為です。

相手が反省した場合には、それ以上は攻撃しない事。
これは信頼感を深める為です。

そして喧嘩をしたら、そのまま「やりっ放し」にして置かないで、必ず仲直りの言葉をかけたり、握手をしたりする事。
これはその後も親しくお付き合いをする為です。

私は世間の考え方とは違い、子供の「いじめ問題」は、いじめる側にもいじめられる側にも問題があると思っています。
世間で問題になっている「いじめ」には「ルールが」欠けていると思うのです。

以前TVでボクシング中継を見ていたら、チャンピォンも挑戦者も、どちらも若い時には不良で番長だったそうです。
こんな時にもし「ルール」と相手を尊重する「礼儀」がなかったなら、ただの番長同士の殴り合いの喧嘩でしかありません。
そんなものは醜い「争い」ですから、高い入場料を払ってまで、お客さんが見に来る筈がありません。
それを見に来るというのは、それがお互いを高め合う「戦い」だからです。

オリンピックもそうですが、「戦い」には美しさや感動があるものです。
人生にはどうしても「戦い」があります。
人間にはどんな人にも「攻撃本能」があります。
この本能を善悪のない一つの「エネルギー」としてとらえ、これを醜い「争い」の為に使うのではなく、お互いを高め合う「戦い」の為に使う事が大切なのではないでしょうか。

ですから子供の喧嘩をただ単に「暴力反対」と否定するのではなく、もっと「ルール」と「礼儀」を教えてあげるべきではないかと思うのです。
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