現代短歌を一日に2首暗唱する。ふとした気まぐれでこの夏そんなことを始めたみた。40日続き、全部で20人ほどの作者の80首という数になった。後で分かったことだがこの20人の中には新聞の歌壇の選者が大方含まれている。短歌が身近になった。何であれ、その呼び名を知るとそれまでと違ってその名のものが向こうから近づいてくる。
教育テレビで日曜の朝7時半からNHK短歌という番組がある。それと関連してNHK短歌という月刊誌がある。最近図書館からほぼ一年分のバックナンバーを借りて読んでみた。そして前登志夫という歌人の文章に圧倒された。彼の韻文も散文も読み応えがあると思った。その雑誌には前登志夫選による 「巻頭秀歌」 と随筆 「羽化堂から」 が毎号掲載されていた。
毎号12首ある 「巻頭秀歌」 にはそれぞれ120字ほどの文章が添えられている。歌意である。前登志夫は吉野の山中に生活と文学の根拠を置く歌人である。見開き2ページの 「羽化堂から」 という随筆の題字は自筆のものである。中国では人間に羽が生えて仙人になり天に昇ることを羽化登仙というらしい。また酒に酔ってよい気分になることのたとえだという。
随筆は4月号の第61回が最後となった。巻頭秀歌も6月号で終った。深みがあり歯切れのよい文章だった。同号の随筆のページには歌人の岡野弘彦による 「追悼前登志夫 中千本の花の下で」 が出た。歌人前登志夫が4月5日に亡くなったことを私は月遅れの雑誌で知った。享年82という。私はこの夏初めて多くの歌人の名を知った。前川佐美雄や山中智恵子はすでに亡く今年は前登志夫を失った。この意味はとてつもなく大きい。新参の短歌ファンとして不遜にもそんなことを感じた。