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楽しいはずのゴールデンウイークを突如襲った大雨、
そして、まさかの、竜巻。
竜巻の被害にあわれた方の中には、福島からの避難者もいた、という。
この無情。。。。なぜ、こんな不条理が。。。。
ーと考えてしまいそうになるのは人間だから?
人間は自然に対して「お願いです、何事もなく通り過ぎて・・・」そんな風に祈ってしまう。
まるで、自然が感情でも持っているかのように。
自然の中にも感情がある、とでも考えなければ、あまりにも巨大なチカラをもった自然を前にして
ちっぽけな人間などが立つことはできないからなのかも、などとも考えてみる。
でも、自然は感情など持ってはいないし、
人間はただ、その事実を受け入れることしかできない。
日本という国は災害が多く、「被災と復興」のくりかえしの歴史を持つと。
つらいことのあった年に咲く桜が「墨色であれ」と願いつつも、一方でいつもの年と変わらず咲く桜に安堵もする人間。
この本には、これからへの希望も見いだせておすすめです。(朝日新聞のコラムでも一部掲載されていたと思います。)
わたしが特に共感する部分は、原発問題とも絡むのですが「集中と分散」という考えです。
今まではー文明とは集中・・・つまり都市に集まって高密度で暮らす人々の中から高密度の文化システムが生まれ文明と呼ばれるようになった。人間は文化のレベルを密度で測ってきた。再生可能エネルギーは広くて薄い。集中と濃縮を目指すという人類史の大きな流れに逆らうものだ。(以上引用)という部分
これからどうなっていくのかは、それは、予測ではなく、意志なのでしょうね。