日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

読み返してみた

2012-05-08 11:12:30 | 自然
         

楽しいはずのゴールデンウイークを突如襲った大雨、
そして、まさかの、竜巻。
竜巻の被害にあわれた方の中には、福島からの避難者もいた、という。
この無情。。。。なぜ、こんな不条理が。。。。
ーと考えてしまいそうになるのは人間だから?
人間は自然に対して「お願いです、何事もなく通り過ぎて・・・」そんな風に祈ってしまう。
まるで、自然が感情でも持っているかのように。
自然の中にも感情がある、とでも考えなければ、あまりにも巨大なチカラをもった自然を前にして
ちっぽけな人間などが立つことはできないからなのかも、などとも考えてみる。
でも、自然は感情など持ってはいないし、
人間はただ、その事実を受け入れることしかできない。
日本という国は災害が多く、「被災と復興」のくりかえしの歴史を持つと。
つらいことのあった年に咲く桜が「墨色であれ」と願いつつも、一方でいつもの年と変わらず咲く桜に安堵もする人間。
この本には、これからへの希望も見いだせておすすめです。(朝日新聞のコラムでも一部掲載されていたと思います。)

わたしが特に共感する部分は、原発問題とも絡むのですが「集中と分散」という考えです。
今まではー文明とは集中・・・つまり都市に集まって高密度で暮らす人々の中から高密度の文化システムが生まれ文明と呼ばれるようになった。人間は文化のレベルを密度で測ってきた。再生可能エネルギーは広くて薄い。集中と濃縮を目指すという人類史の大きな流れに逆らうものだ。(以上引用)という部分
これからどうなっていくのかは、それは、予測ではなく、意志なのでしょうね。

今日という日

2012-05-05 07:24:59 | 自然
今日、国内にあるすべての原発が止まる。
あの事故で失ったものは、あまりにも大きすぎるものだった。
原発は必要だ、という意見も、必要ない、という意見も
どちらも理解できる。
だけど、「なくなってほしい」と切に祈る。
電気が足らなくなったら困る、ではなく、
どうしたら、原発に依存しなくても生活していけるか。

人間が試されている。
運命は、すでに決まっているのか。
・・そういえば今日は、「こどもの日」でもあった、ね。偶然?

らららクラシック♪

2012-05-01 16:31:02 | 映画・音楽
4月29日に注目
おっ、バレエダンサーの首藤康之さんがゲストだ、ベジャールの演目もやる!
・・・・と思って、スイッチ・オン(数日前、なにかでちょうど首藤さんの記事を読んだばかり)
首藤さんが、インタビューに答えるとか、あんまりしゃべるイメージのない人なので(踊るために生まれてきたみたい、といつも思う。)
これは、見たい!!!!と。首藤さんの稽古場には、等身大の「骸骨の模型」が置いてありました☆ウシシ
「骨を見ながら踊るんですよ、自分の身体ってこうなってるんだな~と思いながら」(なんかそんなカンジの話)
と言ったら、司会者の二人は、とても驚いていましたが。はにかみながら?話す言葉ひとつひとつに、静かだけど強い踊りに対する情熱が込められていて・・
なかでも、踊る過程での大切にしてること、や、故ベジャールにまつわる思い出話は、とてもとても感動しました。
もしかしたら、ギエムがボレロで山形に来た時、首藤さんも参加していたのかな?(シルビイ・ギエム生で見たのだ!山形で!)
しかし!バレエって凄すぎますよね・・・
そういえば、この間知人が、「私、生でヌレエフ見たわよ」と言ってて、大昔の伝説のダンサーというイメージがあったので、むせってしばらく咳がとまりませんでした
なんかね~、いいもの見た、って感じが凄くしました。HPには、首藤さんのインタビューの内容が載ってませんね~。見なきゃだめ、ってことですね?