途切れ途切れで掲載した『競馬たられば話』シリーズ①~③を、今週は再掲いたします。連載しますのでお楽しみ下さい。
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競馬に「たられば」は禁句でありますが、ここでは、その競馬「たられば」話を集めて、妄想を繰り広げたいと思います。
まず第1回は、『もしも、キタサンブラックが凱旋門賞に挑戦していたら・・⁉』。
種牡馬キタサンブラックの評価がうなぎ上りに上昇しています。初年度産駒からイクイノックスが天皇賞秋と有馬記念を勝ち、2022年のJRA年度代表馬に選出された他、そのイクイノックスはドバイシーマクラシックを圧勝して、現時点の世界1位の129ポンドにランキング。第2世代からも、皐月賞を圧勝したソールオリエンスが出たほか、桜花賞2着のコナコーストやアルテミスSを勝ったラヴェルを出しており、今さらながら、その血脈に流れる圧倒的なスピードの持続力や瞬発力が段違いのレベルであったことを証明しています。
そう考えると、今さらながら、キタサンブラックの現役時代に、なぜ凱旋門賞に挑戦しなかったかが悔やまれます。この馬こそが、日本で初の凱旋門賞制覇を成し遂げるはずだったと考えるのは、おそらく自分だけではないと思います。
キタサンブラックは、4歳の秋と5歳の秋に、凱旋門賞への遠征を計画したことがありました。
4歳の秋と言えば、菊花賞と天皇賞春を優勝したのち宝塚記念3着のあとの時期。最も体調のよかったタイミングでありました。しかし、この時はオーナーの北島三郎氏が、敢えて欧州遠征という冒険を冒すよりも、ジャパンカップや有馬記念という日本の高額賞金レースを着実に勝つ方が良いと考えて断念。結果として、京都大賞典とジャパンカップを連勝して、暮れの有馬記念はサトノダイヤモンドの2着という戦績を収めた時期でありました。
この2016年の凱旋門賞には、日本ダービーを勝ったばかりの3歳牡馬のマカヒキが凱旋門賞に挑戦。この年はシャンティイ競馬場での代替開催の時で、しかも珍しく良馬場というこの上ない条件でした。まだ若かったマカヒキは前半のスローぺースに引っかかってしまい、ラストで勢いを無くし14着と大敗。もし、この年にキタサンブラックが出走して、先行逃げ切りを図っていれば、大きなチャンスだったと思います。少なくとも、前半から中盤までは、キタサンブラックと武豊騎手によるマイペースによる逃げが実現できたはず。そして、この時の1着ファウンド、2着ハイランドリールは、ともに日本馬との比較において、地力はほぼ差のない馬たちでありました。この年は最大のチャンスだったと思います。
その翌年もチャンスでした。キタサンブラックは、新設のGⅠ大阪杯と天皇賞春を連勝したあと、大本命で臨んだ宝塚記念は9着と大敗。これは、天皇賞春でライバルのサトノダイヤモンドとの死闘を演じたあとの見えない疲労が原因でした。この時も、結局はこの大敗を理由に、欧州遠征を断念。表向きはオーナー北島三郎氏の体調不良が原因と発表されていましたが、やはり、あえて冒険を冒すよりも、着実に日本の高額賞金レースを制する方を選んだということ。結果として、泥んこの天皇賞秋に勝ち、また暮れの有馬記念にも勝利したので、この判断も正しかったと思います。しかし、この2017年の凱旋門賞に行っていればチャンスだった。この年もシャンティイ競馬場での代替開催で、馬場は重馬場でしたが、比較的良好な重という状況。この年の天皇賞秋の方がよっぽど酷い泥んこ馬場でありましたから。ここで、キタサンブラックと武豊騎手による淀みのないペースの逃げを打っていれば、キタサンブラックで勝ち負けになっていたと思います。もちろん、この年は、あの怪物エネイブルが勝った年ですから、キタサンブラックが必ず勝っていたとは言いませんが、少なくとも、好レースになっていたと思います。
繰り返しになりますが、2016年と2017年の凱旋門賞は、天候状態を含めて、日本馬にはチャンスだった年でありました。歴史に、そして競馬に「たられば」は禁物でありますが、もしも、この時にキタサンブラックが欧州遠征を実行していたら、このいずれかの年に、日本馬初の凱旋門制覇が成し遂げられたはず。
今でも自分は、そう信じております。