昨日は雨と曇り空だったが今日は晴天。
気分も晴れる。
海がとってもきれいだし。
昨日の夕食はホテルのレストランでナシチャンプルとパパイヤのフレッシュジュース。
おいしかったし、お兄さんも親切だった。
あっちにいっても一緒かな。
どうしよう、怒りにまかせて予約しちゃったよ。
朝はバイキング。
まあ美味しかった。
このままここでも良いかと思ったが、やはり移動することにした。
難無くチェックアウト。
歩いてるとバイクオジサンが声をかけてきた。
スーツケースもあるし、乗せてもらった。
あえて値段交渉はせず。
ホテルについてチェックイン。
昨日のお姉さんと英語ができるお姉さんがいた。
1泊分のDepositを払ってる間に、バイクオジサンが部屋に荷物を運んでくれていた。
オジサンにお金を払うとき英語ができるお姉さんがいたので聞いてもらった。
RP30000とのこと。
高いんちゃうかなと思ったが、まあ、いいや。
観光にいくなら乗せていくとのこと。
電話番号を書いていくという。
まあ良さそうなオジサンやけど。
トイレに行くと水が止まらなくなった。
お掃除中の兄さんに来てもらい、さらにメンテナンスのお兄さんとお姉さんが登場。
皆さん感じが良い。
昨日の島のオジサンは現れなかった。また私の英語力がまずかったのか。
ひとまず両替に出かけた。
ホテルの近くに3つくらい銀行がある。
が、全ての銀行で日本円ではできないと言われた。
ちなみにBANK PAPUAの入り口迷っていると制服姿のお姉さんが声をかけてくれた。
どこから?の問いに「ジャパン」と答えると、
「ワオ、ハジメマシテ、ヨウコソ、コチラデス」
と日本語がかえってきた。
ビアクでは初めてだ。
陽射しがハンパなくキツイ。焼けると言うより焦げる!
両替できなかったので仕方なくホテルに戻り「できたらさっき払ったデポジットのお金を返してもらって、クレジットカードで払えないか」
と尋ねた。
お姉さんたちは4-5人がかりであーでもないこーでもないと談義を続ける。
私の英語力に問題があるのはわかるが、彼女らにも大分ある。
大分待ってから英語ができる人がやってきた。
再び同じ訴えをすると即座に「OK!」
と返ってきた。
集まっていたみんなに安堵の表情。
こういうところがインドネシア人なんだろうな。
みんないい人だ。
さあ、これからどうしようか。
2時半だしまだでかけられる。
バイクタクシーのオジサンがタムロしているところまで行き、おもむろに地図を広げた。
みんなが注目、私を取り囲む。
熱愛報道のアイドル並だ。
ボスニックビーチと戦争モニュメントに行きたいと言うと、みんなが連呼。
「英語ができる人」と言うと、みなが顔を見合せる。
片言のおじさんが「7000、ok!(往復のジェスチャー)」
絶対間違えてるし、このオジサンはあかんな。
誰でも良かったが、若い人なら英語少しはいけるかなと、若い人を選んだ。
彼は指差された瞬間、ミスユニバースの優勝者のような喜び方をした。オネエをえらんだかな?
バイクにまたがり出発。
お兄さんは23歳。ニラワナ?ホテルで働いているらしい。(帰ってきてから別れ際に教えてくれた)
安全だから安心して!と最初は好調に英語が出てきたが、途中からほとんど喋れないことが判明。
多分私と同じ程度だと思う。
丁度良かったし、若いのでわかったふりして返答したりしないところが好感がもてた。
まず、有名な洞窟に行った。
誰もいなかったが、彼が声をかけてくれオバチャンが登場。
サイン帳に記入し、チケット代50000RPを払った。
資料とともに、軍服やヘルメット、日用品などが小さなスペースにならんでいた。
そこらじゅうに弾丸や機関銃、飛行機の残骸がおいてあった。
ヨン様(ドライバーさんの名前)の案内で一緒に洞窟に行く。
途中に慰霊碑があった。
洞窟は思いのほか深くかなり大きかった。
錆びたドラム缶があったが、あれはあそこにあったものなんだろうか。
大きな岩の上にお供えの花があるのをヨン様が見つけた。
ヨン様も写真とってた。
家族や友達と来たことがあると言っていた。
水滴で靴下が濡れてしまった。
次は戦争モニュメント。
鍵がかかっているので、近くのお姉さんに声をかけると、ゆっくりゆっくり、途中でアイスクリーム売りに声をかけそれ食べながら持ってきた。さすが。
中には銀色の縦長の大きな入れ物が7~8個あり、多くの写真(英霊の家族の写真だろう)と戒名などがかかれたもの、鶴などがあり、線香も盛り沢山あった。
線香を立てて、日本から持ってきたタバコをお供えした。
銀色の箱にはご遺骨が入っていた。ヨン様が教えてくれた。
本当に感謝せずにはいられない。
涙が流れたが、ギャラリーがおおくて(何人かが集まってきて、私の動作を見学している)恥ずかしかった。
RP30000を渡して次へ移動。
次はボスニックビーチ。
向かう途中飛行機の格納庫があった。ヨン様が教えてくれた。
ボスニックビーチから上陸したらしい。とてもきれいな海だ。
色が何とも言えない。
海水浴をしている家族が数組いた。
イスラムの女性は泳がないのかと思いきやしっかり服を来て楽しげに遊んでいた。
ヨン様は海でジャブジャブ顔を洗い、頭も洗っていた。ワイルド。オネエじゃないな。
4時半頃、ホテルに帰ることに。
市場が近くにあり、ヨン様が何か言った。
モニュメントのところで、お姉さんを待ってる間、あのフルーツは何?とかいう話をしていて、ドリアンに似ているといったのを覚えていて、ドリアンを見せようとしてくれたらしい。
ドリアンはしってるけど食べたことはない。
市場でヨン様がコンコンとドリアンを叩いて「これがいい」と選んでくれたので、食べてみることにした。
オバチャンが包丁を持ってきてさばいてくれた。
幼虫みたい。
食べてみる。「美味い!」ってわけでもないけど、「マズイ!」ってこともない。
でも、一人でこの量はいらんなあ。
集まっている人に食べてとすすめると、みんなで食べはじめる。
それでも残っているので元通りの形にして紐で縛ってくれた。RP50000
ヨン様のバイクに引っ掛けて、出発。
途中にパプア、イリアンの鳥の動物園みたいなとこを案内してくれた。
入り口に誰もいなくて入っていくとおじちゃんが現れた。
かわった種類がいっぱいいて、はじめてみるものばかり。
中はジャングルみたいになってた。
お客は私たちだけ。
おじちゃんとおばちゃんが手入れをしていた。
帰りにチケット代を払った。RP15,000。
そこからしばらく走ると、ヨン様が止まった。
なにか言ってるけどわからない。
パンクしたらしい。
止まっていたら、対向の車のオジサンが何か言っている。
ヨン様に修理やさんを教えてくれたみたい。
ついでにそこまでヨン様がバイクを押して行くので私を乗せてくれると。
オジサンと中学生くらいの女の子が乗っていて、少し英語を話せた。
修理を待ってる間、真向かいの駄菓子を売ってるお店(屋台?)にいってジュースを買おうと思ったら、
「ドリンク?水だけどいい?」と言って、「中で座って待ってて、コップ取って来る」と家に向かいはじめた。
このオジサンは学校の用務員?先生のヘルプだと言っていた。
51歳、歯は完全に擦り減っていた。
パプアの人は何を食べるんやろ。
英語がけっこうできた。
日本人の知り合いの名前を数名教えてくれた。
彼の娘さん(小学校低学年か?)と近所の子供3人、彼の奥さんが出てきて、私とオジサンの話をオジサンが通訳しながら聞かせていた。
人懐っこい人たちだ。
オジサンはヨン様のことを知っているみたいだった。
ヨン様は??出身、自分はビアクだと言っていた。
しばらくして、バイクが直り、出発。
と、またしばらく走ると再びパンク。
ストップして電話をしていた。
こんなとき、ほかの国なら苛立ちまぎれになり、ここで終わりだなどといって、約束通りのお金をふんだくって、客を置き去り、そこから新たなドライバーをさがすはめになるのだが、律儀なところは日本人と似てる。
彼は謝りながら、
「友達を呼んだ。彼のバイクで送っていく。また戻ってきてバイクを直す。」
と、私を優先してくれた。
日本じゃ当たり前だけど、ちょっと感動した。
15-20分して友達がきた。
彼のバイクでホテルへ。
お友達はパンクしたバイクを持ってあのバイク屋に歩いて行ったのだろう。
すぐ近くに修理やあるじゃん、みたいなことを友達が言ったら、ヨン様がさっき違うとこで直したんだよ!みたいな会話をしてたから(ていうか単語一つもわからんけど、雰囲気)
ホテルにつくと6時半頃。
ヨン様はしきりに謝っていた。
彼の予想を超えるガイドぶりと人柄の良さで、とってもいい観光と慰霊の旅になった。
その気持ちを表現したくて、RP150,000払った。
ヨン様はすごく恐縮していたが、「お友達にも」と伝えるとOK!と笑顔に。
ドリアンを部屋まで持ってきてくれ、部屋の中でドリアンを割ってくれた。
切り込みが入っていたので?簡単に手で割れた。
チップをあげすぎるとか、ぼったくられまくるとか、確かに日本人がきたらぼれる!と思わせる行動はどうかと思うが、ヨン様は相当いい子だった。
部屋で大量のドリアンを食べたが、あんなに食べるもんではないな。
途中で気持ちが悪くなった。
さらに大量のゴミ。
臭い。
レストランに行って、捨てて欲しいとお願いした。
言葉は通じないが、気持ちで通じた。
軽く食事をしようと、スープヌードル、mie(麺のこと)と言うと、「mie,ok!POP MIE?」と聞かれたので、それにしてみた。
なんやろう?と思っていると、コーラはグラス+氷で出てきたのに、なんとカップラーメンだった。
味はカレーヌードルっぽい。
このくらいの軽いものが欲しかったので丁度良かった。
wi-fiは有料のチケットを購入。
3時間RP15,000
オジサンはヨン様のことを知っているみたいだった。
ヨン様は??出身、自分はビアクだと言っていた。
しばらくして、バイクが直り、出発。
と、またしばらく走ると再びパンク。
ストップして電話をしていた。
こんなとき、ほかの国なら苛立ちまぎれになり、ここで終わりだなどといって、約束通りのお金をふんだくって、客を置き去り、そこから新たなドライバーをさがすはめになるのだが、律儀なところは日本人と似てる。
彼は謝りながら、
「友達を呼んだ。彼のバイクで送っていく。また戻ってきてバイクを直す。」
と、私を優先してくれた。
日本じゃ当たり前だけど、ちょっと感動した。
15-20分して友達がきた。
彼のバイクでホテルへ。
お友達はパンクしたバイクを持ってあのバイク屋に歩いて行ったのだろう。
すぐ近くに修理やあるじゃん、みたいなことを友達が言ったら、ヨン様がさっき違うとこで直したんだよ!みたいな会話をしてたから(ていうか単語一つもわからんけど、雰囲気)
ホテルにつくと6時半頃。
ヨン様はしきりに謝っていた。
彼の予想を超えるガイドぶりと人柄の良さで、とってもいい観光と慰霊の旅になった。
その気持ちを表現したくて、RP150,000払った。
ヨン様はすごく恐縮していたが、「お友達にも」と伝えるとOK!と笑顔に。
ドリアンを部屋まで持ってきてくれ、部屋の中でドリアンを割ってくれた。
切り込みが入っていたので?簡単に手で割れた。
チップをあげすぎるとか、ぼったくられまくるとか、確かに日本人がきたらぼれる!と思わせる行動はどうかと思うが、ヨン様は相当いい子だった。
部屋で大量のドリアンを食べたが、あんなに食べるもんではないな。
途中で気持ちが悪くなった。
さらに大量のゴミ。
臭い。
レストランに行って、捨てて欲しいとお願いした。
言葉は通じないが、気持ちで通じた。
軽く食事をしようと、スープヌードル、mie(麺のこと)と言うと、「mie,ok!POP MIE?」と聞かれたので、それにしてみた。
なんやろう?と思っていると、コーラはグラス+氷で出てきたのに、なんとカップラーメンだった。
味はカレーヌードルっぽい。
このくらいの軽いものが欲しかったので丁度良かった。
wi-fiは有料のチケットを購入。
3時間RP15,000