義父は術前(脳が萎縮状態のとき)、術後はそれ以前より声が出なくなっていた。
さっき、義父は「だいぶ声が出るようになった」と言った。
・・ということは、
ついこの前までは声が出にくかった、ということが義父はわかっているということだ。
声が出るようになった今の自分を客観視できている、ということだと思う。
その時そうだった自分と、客観の自分というその二つの存在が
はっきりと分かれていることを示している。
声が出ている自分、・・そういう自分だからこそ、
声が出なかったことがわかる。とも言える。
「声が出ている」と言語化したということもそれを表わしてる。
ずーっと変わりなく、声が出ていたら、
「声が出てる」、なんて馬鹿げた事は言わない。
言語化、というのは言葉を持つ人間にしか出来ないことと思うけど、
自分の状態について言語化出来るということは、
自分を客観視出来ているということ。
さっき、義父は「だいぶ声が出るようになった」と言った。
・・ということは、
ついこの前までは声が出にくかった、ということが義父はわかっているということだ。
声が出るようになった今の自分を客観視できている、ということだと思う。
その時そうだった自分と、客観の自分というその二つの存在が
はっきりと分かれていることを示している。
声が出ている自分、・・そういう自分だからこそ、
声が出なかったことがわかる。とも言える。
「声が出ている」と言語化したということもそれを表わしてる。
ずーっと変わりなく、声が出ていたら、
「声が出てる」、なんて馬鹿げた事は言わない。
言語化、というのは言葉を持つ人間にしか出来ないことと思うけど、
自分の状態について言語化出来るということは、
自分を客観視出来ているということ。