ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

退院した義父

2012-02-26 16:23:11 | 日々の暮らし・思い出
義父は術前(脳が萎縮状態のとき)、術後はそれ以前より声が出なくなっていた。

さっき、義父は「だいぶ声が出るようになった」と言った。

・・ということは、

ついこの前までは声が出にくかった、ということが義父はわかっているということだ。

声が出るようになった今の自分を客観視できている、ということだと思う。

その時そうだった自分と、客観の自分というその二つの存在が

はっきりと分かれていることを示している。


声が出ている自分、・・そういう自分だからこそ、

声が出なかったことがわかる。とも言える。


「声が出ている」と言語化したということもそれを表わしてる。

ずーっと変わりなく、声が出ていたら、

「声が出てる」、なんて馬鹿げた事は言わない。


言語化、というのは言葉を持つ人間にしか出来ないことと思うけど、

自分の状態について言語化出来るということは、

自分を客観視出来ているということ。


「結婚することになりました・・・」

2012-02-26 15:49:50 | 言葉
「結婚する事になりました」という言葉がある。

「なる」とは、そうなるからにはプロセスがある・・

・・というようなことをたくさん書いてきた。

そのプロセスは結婚する二人だけのことじゃない。

二人が巡り合えたことになったアレコレ・・

「スライディング ドア」という映画みたいに、

あの時全くの他人があそこであーういうことをしなかったら、

二人が会うという機会はなかった・・とか、

その時の、全くの他人があーしなかった現象が起こるのもその前の現象に繋がっている。

二人が結婚する事になったのはそれまでのすべての時空が含まれている。

結婚そのことに限らない。

全ての出来事がそうだ。

こうして私が今パソコンに向かっていることになっているのも。

今までの直接私に関係のないことも含めて、総ての時空が含まれている。

「なる」というのはそういうことだ。

多分、こういうことは、

ちらっと読んだ今村仁司さんの本にあった言葉だったと思うけど、

「すべての事物は過去の歴史的経験の凝縮である」、

という文章が云っていることと同じなんじゃないかと思う。


日本語では「結婚することになりました」の前に、

「おかげさまで」というのがある。

これも特定の誰かのおかげという意味合いじゃないと思う。

誰とも云えない、全ての時空から成る(生る?)ものへの感謝みたいな感じがする。

言っている本人はそう考えて言っているわけじゃない。

自然に口から出てくる。

考えたら凄いことだね~

潜在意識ではそれを知っているということ・・といえないかな。








「お金はある」

2012-02-26 13:27:08 | 量子力学と心
人間として先天的に持っている不安は二つある。

一つは落ちる不安、もう一つは大きな音に対しての不安だという。

本にあった言葉だ。それが本当かどうか知らないけど、

そうだとして考えると、

それ以外の不安は生きて来た環境によって発生した不安と言える。

だとしたらそういう不安は解消する可能性は十分あるということだろう。

「なくなったらどうしよう」「なくなるんじゃないか」

という不安感が一番大きいかな。

身体の健康、家族、お金、財産、友人知人・・・。

無くなることを認め、無くなってもいいと覚悟を決めると、

その反対に豊かになる。

そういう実感を持った経験がある。

その時は「不思議とそうなった」という感じだった。

事実そういうことが起こるということは

何らかのわけがそこにあるということ。


「お金がなくなるんじゃないか・・」という不安を持っていた自分とは、

どういう状態なのかと観察すると、

少ししかお金を持っていないと思っている、ということ。

少ししか持っていない自分で在る、と認識している自分だった。

あの時、元々大変なのは嫌い、楽なの大好き私は、

お金が無くなる不安に怯えていた自分に耐えられなくなったんだろう、

もうどうでもいいや!

お金が無くなったら無くなったときのことだ!

その時考えよう!という感じになったら、

現実的にお金は無くならなかった。そういう方向に進んだ。

そういう実感を持った。


“無くなること”に関心が向かなくなったら、

無くなるという現象にならなかった。

量子ゼノン効果だな、これも。


この前整体に行った先で、なんやら張り紙があって、

それに「言ったらいい言葉」と、「言わない方がいい言葉」というのが

書かれてあって、

言わない方がいい というのの中に、

「お金がない」というのがあった。

勿論言った方がいい言葉の中には「お金はある」があった。

実際通帳の残高がホントに無くても、

「お金はある」と思ってた方がいいんだ。

そうだね、自分の通帳には無くったって、

ひとの名前の通帳にはたくさんあるだろうからね。

ムカデ山とこ子という「私」の通帳の残高には無くても、

大きな意味での「私」にはお金はたくさんあるということだし。


失敗②

2012-02-26 11:12:40 | 本を読んで
戦争や紛争や小さなトラブルがいつまでもこの世界に続くのは、

①それを失敗とも捉えず、

②もっと皆が住みよい世界にしたいという意志が私たちに無いからなのか・・

③そんなことどうせ無理とあきらめきっているのか・・

(人間はそんなもんだよと・・)

④そういう意志や情熱はあっても、その実現方法を知らないからなのか・・・

自分自身の経験から考えると、

上の四つ、全部あると思う。

けれど、②のような大きな意志を持つ人たちに巡り会って、

その意志に共鳴する自分を発見した。

そんなふうだったなぁ。

それからは・・

『論理的に言語化し、推理して、

失敗の理由を白日の下にさらさないとダメ。

非常に理性的な過程を経ないと失敗からの学習は出来ない』

・・このようなことをグループで楽しくやる機会に恵まれた。


失敗

2012-02-26 10:59:41 | 本を読んで
将棋の羽生善治さんと脳科学者の茂木健一郎さんの対談を読んだら、

興味深く思うのがあった。

茂木さんが言うには・・・以下

ひとは失敗の理由を学ぶことは殆ど出来ない。

人間の脳の性質からして、成功というのは勝手に強化される。

それを強化学習という。

失敗して同じことは二度と繰り返さないということは、

単純な場合なら出来る。お湯を沸かしたヤカンに触ってすごく熱かったから、

もう二度と触らないようにするとか。

けれど、もう少し複雑な理由が失敗の背後にあると、

脳の自然な学習のメカニズムに頼っていては

絶対に無意識の学習は出来ない。

論理的に言語化し、推理して、

失敗の理由を白日の下にさらさないとダメ。

非常に理性的な過程を経ないと、失敗からの学習は出来ない。

我々はそれを実生活の中ではほとんどやっていない。

人間は皆、失敗した時はそれを一時も早く忘れたいと思う。

嫌な思い出は忘れたい。

その時に冷静に、どういう理由で失敗をしたのだろうかと振り返ることはやらない。

将棋界はそれをやっている。

・・以上なんだけど、凄く合点した。


戦争とかもそうだけど、人間が何度も同じ間違いをしてるのは、

失敗から学ばないから。

当たり前といえば当たり前のことだね~

高速思考ばかりしているともいえるかもしれない。

低速思考したら、失敗から学べるんじゃないかと思う。

何故失敗をそのまま看過してしまうのかと考えると、

こうなりたい、こうしたいという強い意志が無いからなのかな。

どう生きたいのか、どういう世界を望むのか、

そういう意志が無ければ、失敗経験から学ぼうという展開にはならないだろうし。


以前に書いたことあるけど、子供の頃、跳び箱が飛べずに失敗ばかりしていた。

その失敗から学ぼうという展開にならなかったのは、

跳べるようになりたいという強い意志がなかったからだ。

跳べなくったって構わないと思ってた。

跳びたい が なかった。

それと同じことなのかなと思う。