誰でも考えるということは言葉を使わなければ出来ない。
えーっと・・あれをこうして、それがああなるから、こうして・・・・
こんなふうに考えるのは全部言葉によってだ。
赤ちゃんが泣き声じゃない声を発する最初の音は「あ~」だ。
「あ~」の意味は大人にはわからない。
意味があるのかないのかわからない。
けど、赤ちゃんにしてみればなにかしらの必然があるのかもしれない。
その、「あ~」は言葉かというと言葉じゃないのかもしれない。
さっき、言葉は神でそれは日本語と思う・・なんて書いて・・
日本語と思う・・と書いたのは多分初めてのことだと思うけど、
書いてみると・・あれ?そうかなぁ・・?が浮かぶ。
書くということはこれだから面白い。
書かずに自分の中になんとなくある時とは違って、
書く(出す)と考えが変わって来る。
これは今考えようかなと書き出した事と関係ない話で、
言葉云々と書いたら、ふっと浮かんで来たこと。
で、この話はこれでおしまい。今は・・・
「あ~」は言葉じゃないけど、なにかしら赤ちゃんの意識の出現なんじゃないか。
赤ちゃんが出した音に周りの大人が反応する。
これがまるきり無視されたら、その後同じように音を発するんだろうか???
・・わからないや。
けれど、赤ちゃんは音を出して、それに反応されて、
そういう繰り返しで心が発達して行くんだろう。
大人が言葉を発したり、その言葉に反応して又発したりを見聞きして、
赤ちゃんの意識はどんどん作られるんだろう。
思考は言葉。言葉は神。
人間界のどんな立派な建物も最初は設計者の頭の中にあるもの、形のないものから始まる。
その頭には建築のいろんな知識が詰っている。
知識は受け継がれ、捨てられ、足され、・・たりして続く。
宇宙という形あるものも最初は形のないものだった、と思う・・・
(これも出したことで変わって来るか・・・まだわからない・・)
頭の中にある形のないものと同じように。
植物の種や人間の種という形あるものの始まりは
言葉のようななんらかの意識なのか、精気という気なのか・・・
鶏と卵、どっちが先か?・・・みたいな最初から形あるものが始まりなのか???
それとも、鶏か卵か、ず~っと考えてもわからないように、
始まりも終わりもない巡る輪なのか・・・???
えーっと・・あれをこうして、それがああなるから、こうして・・・・
こんなふうに考えるのは全部言葉によってだ。
赤ちゃんが泣き声じゃない声を発する最初の音は「あ~」だ。
「あ~」の意味は大人にはわからない。
意味があるのかないのかわからない。
けど、赤ちゃんにしてみればなにかしらの必然があるのかもしれない。
その、「あ~」は言葉かというと言葉じゃないのかもしれない。
さっき、言葉は神でそれは日本語と思う・・なんて書いて・・
日本語と思う・・と書いたのは多分初めてのことだと思うけど、
書いてみると・・あれ?そうかなぁ・・?が浮かぶ。
書くということはこれだから面白い。
書かずに自分の中になんとなくある時とは違って、
書く(出す)と考えが変わって来る。
これは今考えようかなと書き出した事と関係ない話で、
言葉云々と書いたら、ふっと浮かんで来たこと。
で、この話はこれでおしまい。今は・・・
「あ~」は言葉じゃないけど、なにかしら赤ちゃんの意識の出現なんじゃないか。
赤ちゃんが出した音に周りの大人が反応する。
これがまるきり無視されたら、その後同じように音を発するんだろうか???
・・わからないや。
けれど、赤ちゃんは音を出して、それに反応されて、
そういう繰り返しで心が発達して行くんだろう。
大人が言葉を発したり、その言葉に反応して又発したりを見聞きして、
赤ちゃんの意識はどんどん作られるんだろう。
思考は言葉。言葉は神。
人間界のどんな立派な建物も最初は設計者の頭の中にあるもの、形のないものから始まる。
その頭には建築のいろんな知識が詰っている。
知識は受け継がれ、捨てられ、足され、・・たりして続く。
宇宙という形あるものも最初は形のないものだった、と思う・・・
(これも出したことで変わって来るか・・・まだわからない・・)
頭の中にある形のないものと同じように。
植物の種や人間の種という形あるものの始まりは
言葉のようななんらかの意識なのか、精気という気なのか・・・
鶏と卵、どっちが先か?・・・みたいな最初から形あるものが始まりなのか???
それとも、鶏か卵か、ず~っと考えてもわからないように、
始まりも終わりもない巡る輪なのか・・・???