心・意識が(すべては一体である)という絶対的事実に則している状態で居る時間が
四六時中の人の事を『完全メンバー』と彼は云ったのかなと思うんだけど、
いわゆる普通の人、凡人はそういう状態でない時間と、
そういう状態で居る時間とその両方を行ったり来たりしているのかと思う。
一体の境地で在るときは、気持ちの中にホンの小さな反や抗も出て来ない。
すごくわかりやすい。そしてそういう時は気持ちが波立たない。
人と接しているときが一番自覚しやすい。
自分で自分を否定したり、僻んだり、責めたりしてるときも、
一体の境地で居ないことだろうね。
ひとを真正面から見られないときなんかもそうだね。
どれも経験あるからよくわかるよ。
どんな行為も境地の在りようから始まる。
(そんなの違うよ)的境地で居れば、当然それなりの行為になる。
(そんなの違うよ)的境地で居ても、共感の振りは出来るけど、
無理は後で祟る。
四六時中の人の事を『完全メンバー』と彼は云ったのかなと思うんだけど、
いわゆる普通の人、凡人はそういう状態でない時間と、
そういう状態で居る時間とその両方を行ったり来たりしているのかと思う。
一体の境地で在るときは、気持ちの中にホンの小さな反や抗も出て来ない。
すごくわかりやすい。そしてそういう時は気持ちが波立たない。
人と接しているときが一番自覚しやすい。
自分で自分を否定したり、僻んだり、責めたりしてるときも、
一体の境地で居ないことだろうね。
ひとを真正面から見られないときなんかもそうだね。
どれも経験あるからよくわかるよ。
どんな行為も境地の在りようから始まる。
(そんなの違うよ)的境地で居れば、当然それなりの行為になる。
(そんなの違うよ)的境地で居ても、共感の振りは出来るけど、
無理は後で祟る。