事実についての認知が間違っていた、ということになる。
当たり前にあることだ。こういうのって。
実際は90才でも30代と認知していた。
実際は後ろに誰もいないと思ったのでドアを閉めたのだが、
居ると知っていてわざとドアを閉めたと認知した。
最初の例だと誰が見てもその人は30代じゃないことはわかるかもしれない。
でも赤ちゃんはそれがわからないだろう。
次の例ではドアを閉めた人にとっては後ろに人は居なかった。
実際は人が居たんだけど、
居ることを知らなければ、知らないという前提で物事をするのは当然だ。
この前新聞に出てたけど、2才の子が自宅アパートで行方不明になって、
近くの用水路や林や公園のトイレやあちこち探したけど見つからず、
翌日同じアパートの空き部屋で寝ているのがみつかったそう。
その子の父親は子は母親と一緒に出かけたと思っていたという。
なので、家に居ないと思っていたので、
居なくなってもわからなかったということらしい。
仕方がない。しょうがないじゃないかと思う。
そりゃ、家を出る時にその子の母親は父親に、
出かけるから見ていてと声をかけたらよかったという声はあるだろうけど、
声をかけたと思い込んでいたけど、実際はかけてなかったのかもしれない。
声をかけたけど、父親はトイレに入っていて水の流れる音で聞こえなかったのかもしれない。
そんなこといつも当たり前だから声もかけなかったのかもしれない。
その前にケンカして声をかけにくかったのかもしれない。
もしかして父親は言葉を聞いてわかっていたけど、
その後、何かに集中していて子供の存在を忘れてしまったのかもしれない。
どんなプロセスで声をかけなかったのか、かけたのか、
聞いたのか聞かなかったのか、他者にはわからない。
けれど、それはなるべくしてなったのだろう。
何かを知らなければ、知らないという前提で物事をするのは当然だ。
何かをするにはこの方法が簡単で一番楽だということを知らなかったら、
それを知らないという前提で物事をするのは当然だし、
方程式をまだ知らないうちは方程式を使わずに算数の問題を解くのは当然だろう。
認知症の90才のひとは自分が90才だということを知らなかった。
そしてその場がその場であることを知らなかった。
(忘れた)という認識もその人にはない。
(忘れた)ということを知らない。
認知症の人のよくあることで、
食べたことを忘れて、食事したばかりに食事はまだかと言うということがあるけど、
(忘れた)ということを知らないから、そうなるのは当然と思う。
どんなことも知らなかったら、
知らないという前提で物事をするのは全く当たり前のこと。
知らないということは悪いことだろうか・・・
悪いことじゃない。良いことでもない。
知っていることは良いことだろうか・・
良いことじゃない。悪いことでもない。
ただ、自分が知らないことを知っていたら、
いろんな物事は変わって来ると思う。
当たり前にあることだ。こういうのって。
実際は90才でも30代と認知していた。
実際は後ろに誰もいないと思ったのでドアを閉めたのだが、
居ると知っていてわざとドアを閉めたと認知した。
最初の例だと誰が見てもその人は30代じゃないことはわかるかもしれない。
でも赤ちゃんはそれがわからないだろう。
次の例ではドアを閉めた人にとっては後ろに人は居なかった。
実際は人が居たんだけど、
居ることを知らなければ、知らないという前提で物事をするのは当然だ。
この前新聞に出てたけど、2才の子が自宅アパートで行方不明になって、
近くの用水路や林や公園のトイレやあちこち探したけど見つからず、
翌日同じアパートの空き部屋で寝ているのがみつかったそう。
その子の父親は子は母親と一緒に出かけたと思っていたという。
なので、家に居ないと思っていたので、
居なくなってもわからなかったということらしい。
仕方がない。しょうがないじゃないかと思う。
そりゃ、家を出る時にその子の母親は父親に、
出かけるから見ていてと声をかけたらよかったという声はあるだろうけど、
声をかけたと思い込んでいたけど、実際はかけてなかったのかもしれない。
声をかけたけど、父親はトイレに入っていて水の流れる音で聞こえなかったのかもしれない。
そんなこといつも当たり前だから声もかけなかったのかもしれない。
その前にケンカして声をかけにくかったのかもしれない。
もしかして父親は言葉を聞いてわかっていたけど、
その後、何かに集中していて子供の存在を忘れてしまったのかもしれない。
どんなプロセスで声をかけなかったのか、かけたのか、
聞いたのか聞かなかったのか、他者にはわからない。
けれど、それはなるべくしてなったのだろう。
何かを知らなければ、知らないという前提で物事をするのは当然だ。
何かをするにはこの方法が簡単で一番楽だということを知らなかったら、
それを知らないという前提で物事をするのは当然だし、
方程式をまだ知らないうちは方程式を使わずに算数の問題を解くのは当然だろう。
認知症の90才のひとは自分が90才だということを知らなかった。
そしてその場がその場であることを知らなかった。
(忘れた)という認識もその人にはない。
(忘れた)ということを知らない。
認知症の人のよくあることで、
食べたことを忘れて、食事したばかりに食事はまだかと言うということがあるけど、
(忘れた)ということを知らないから、そうなるのは当然と思う。
どんなことも知らなかったら、
知らないという前提で物事をするのは全く当たり前のこと。
知らないということは悪いことだろうか・・・
悪いことじゃない。良いことでもない。
知っていることは良いことだろうか・・
良いことじゃない。悪いことでもない。
ただ、自分が知らないことを知っていたら、
いろんな物事は変わって来ると思う。