池田晶子さんの著書は、自分の中心に向かって考えることの、
凄く役に立ったものの一つだ。
うーん、これは何を言ってる?
って考えるのが本当にゾクゾク面白かった。
何度か手紙を書いたけど、きちんと返事をくれた。
著書に書いてあるとおり、
ホントに読みにくい字だった。でも、嬉しかった。
彼女の文章の中に「さらに疑え」がある。
そう、「さらに疑え」って、
哲学する、考えることのキーポイントだと思うけど、
疑いましょうと思ってもそうはならない。
自分の中から???が湧いて来るもので、
ホントにそうかな?どういうことだろ?なんでこうなの?
って、思わず思っちゃうこと、がそういう言葉で言っていることかと思う。
彼女の文章の中で自分の性格というか、
短気さ について、何故だかこう生まれついた、
というような表現だったかと思うけど、それがあった。
自分の短気さというものを 更に疑わなかった んだろと思う。
そういう気にもならなかったんだろ。
自分は短気もんだ、と決めちゃってたからと思う。
そういうもんだ、になってると、
それ以上哲学する方向には行かない。
短気な人が短気でなくなったことなんて、
この世に幾らもあるんじゃないかな。
でも彼女はそこには関心がなかったんだと思う。
関心がなければ、それを考えることなんてない。
誰でも関心はそれぞれ違うから当たり前のことだけど。
でも、もし、彼女がそれをさらに疑って、考える事をしたら、
もっと彼女の地平線は広がって、
もっとたくさんの人に影響を与えられたかなぁ、
もったいなかった、と思ってしまうけど、仕方が無い。
関心の無いことに関心が行くことなんて、ない。
それに、世界にも人生にも「もし」なんてないし。
もし宝くじで3億円当たったらどうしようか、なんて考えるのは
とても楽しいことだけど、
もし は空想の中にしかないからね~。
凄く役に立ったものの一つだ。
うーん、これは何を言ってる?
って考えるのが本当にゾクゾク面白かった。
何度か手紙を書いたけど、きちんと返事をくれた。
著書に書いてあるとおり、
ホントに読みにくい字だった。でも、嬉しかった。
彼女の文章の中に「さらに疑え」がある。
そう、「さらに疑え」って、
哲学する、考えることのキーポイントだと思うけど、
疑いましょうと思ってもそうはならない。
自分の中から???が湧いて来るもので、
ホントにそうかな?どういうことだろ?なんでこうなの?
って、思わず思っちゃうこと、がそういう言葉で言っていることかと思う。
彼女の文章の中で自分の性格というか、
短気さ について、何故だかこう生まれついた、
というような表現だったかと思うけど、それがあった。
自分の短気さというものを 更に疑わなかった んだろと思う。
そういう気にもならなかったんだろ。
自分は短気もんだ、と決めちゃってたからと思う。
そういうもんだ、になってると、
それ以上哲学する方向には行かない。
短気な人が短気でなくなったことなんて、
この世に幾らもあるんじゃないかな。
でも彼女はそこには関心がなかったんだと思う。
関心がなければ、それを考えることなんてない。
誰でも関心はそれぞれ違うから当たり前のことだけど。
でも、もし、彼女がそれをさらに疑って、考える事をしたら、
もっと彼女の地平線は広がって、
もっとたくさんの人に影響を与えられたかなぁ、
もったいなかった、と思ってしまうけど、仕方が無い。
関心の無いことに関心が行くことなんて、ない。
それに、世界にも人生にも「もし」なんてないし。
もし宝くじで3億円当たったらどうしようか、なんて考えるのは
とても楽しいことだけど、
もし は空想の中にしかないからね~。