どんな学問もそうだと思うけど、
自然科学、物理学は人間が自然を知りたいと思い、
そこで法則といわれるものを探って、
世界の幸福に貢献するのが目的なんだと思う。
100年くらい前に明らかにされた量子力学や相対論によって、
この世界の在りようは、絶対的なものじゃないということがわかったということなんだろうけど、
波動関数の収縮ということをとっても、
それを工学的にわかって、いろいろ利用されているんだろうけど、
実際それはなんなんだ?が
科学者に明らかにされてない現状になっている一番の障害は、
人間という意識、観念を持つ存在を
「自然」から除外してしまっているからなんじゃないかと思う。
人間という自然が人間という自然を観測しているのがこの人間界。
いきなりでびっくりする人もあるかもしれないけど、
湯川秀樹という人にある種の関心を寄せる人が少なかったことが、
こういう現状になっている原因の一つなのかとも思った。
天才が存在しても、それを天才と見抜く人がいなかったら、
その天才は居なかったも同じになる。
湯川秀樹はノーベル賞を受賞した以上にもっと大きなことを考えていたよう。
彼の思考は物理学に留まらず、当然のように哲学と心理学に向かったのだと思う。
それを山岸さんはもっと前進させた。
それを具体的に表現する前に彼は逝ってしまった。
彼の言葉の中に(湯川秀樹)という文字があるのを、目が見てから、
心の目で見ることが出来るようになるまで、
30年近くかかった私だ。
自然科学、物理学は人間が自然を知りたいと思い、
そこで法則といわれるものを探って、
世界の幸福に貢献するのが目的なんだと思う。
100年くらい前に明らかにされた量子力学や相対論によって、
この世界の在りようは、絶対的なものじゃないということがわかったということなんだろうけど、
波動関数の収縮ということをとっても、
それを工学的にわかって、いろいろ利用されているんだろうけど、
実際それはなんなんだ?が
科学者に明らかにされてない現状になっている一番の障害は、
人間という意識、観念を持つ存在を
「自然」から除外してしまっているからなんじゃないかと思う。
人間という自然が人間という自然を観測しているのがこの人間界。
いきなりでびっくりする人もあるかもしれないけど、
湯川秀樹という人にある種の関心を寄せる人が少なかったことが、
こういう現状になっている原因の一つなのかとも思った。
天才が存在しても、それを天才と見抜く人がいなかったら、
その天才は居なかったも同じになる。
湯川秀樹はノーベル賞を受賞した以上にもっと大きなことを考えていたよう。
彼の思考は物理学に留まらず、当然のように哲学と心理学に向かったのだと思う。
それを山岸さんはもっと前進させた。
それを具体的に表現する前に彼は逝ってしまった。
彼の言葉の中に(湯川秀樹)という文字があるのを、目が見てから、
心の目で見ることが出来るようになるまで、
30年近くかかった私だ。