「しないという自由意志」というのは、
そうしたい、という行為の意志ではなく、
(~在りたい)という意志がある、ということか・・
・・・・と、昨日書いたけど、
単にこういう表現でいい。
「しないという自由意志」が働くのは、
(~在りたい)が“在るから”。
こういう表現がぴったり来る。これに変えた。
何故「しないという自由意志」が働くときは、
(~在りたい)が在る、と言えるのか
あいつをぶん殴っちまうか、
売り上げを誤魔化そうか、公費を使い込もうか、
腹いっぱいだけど美味そうだから食べようか、
ダイエット中だけど、ケーキ食べちゃおうか、
タバコ止めたいけど吸おうか、
明日までにコレをやっておきたいんだけど、遊んじまうか、
母親からあれをやってと言われて、やるって返事したけど、後でいいか、
・・・こんなふうな状況がある。
上のどれを見ても、
「本当はそれをしたいとは思ってないんだけど・・・」
「本当はこうしたらいいんだろうけど・・・」
そういう(本当は・・・こう在る)があるみたい。
その時、本当にしたらいいことは自分でわかっている。
誰か他者に指図されなくても、それを知っている。
だから、(しないという自由意志)が働く時空が存在してしまう。
人間は元々、真・善・美を希求してしまう存在でしか在り得ないから、
上に書いた状況のような時に選択できる時空が与えられている。
ベンジャミン・リベットいわく、0、何秒、もしくは数秒の時空が。
誰から?それは存在の意志から?愛という意志から?
・・ということは・・・
(しないという自由意志)は、(こう在りたい)が在り、
これは万人洩れなく在るけど、
そのように在る、と決心した時、働く・・んじゃないだろうか?
そうしたい、という行為の意志ではなく、
(~在りたい)という意志がある、ということか・・
・・・・と、昨日書いたけど、
単にこういう表現でいい。
「しないという自由意志」が働くのは、
(~在りたい)が“在るから”。
こういう表現がぴったり来る。これに変えた。
何故「しないという自由意志」が働くときは、
(~在りたい)が在る、と言えるのか
あいつをぶん殴っちまうか、
売り上げを誤魔化そうか、公費を使い込もうか、
腹いっぱいだけど美味そうだから食べようか、
ダイエット中だけど、ケーキ食べちゃおうか、
タバコ止めたいけど吸おうか、
明日までにコレをやっておきたいんだけど、遊んじまうか、
母親からあれをやってと言われて、やるって返事したけど、後でいいか、
・・・こんなふうな状況がある。
上のどれを見ても、
「本当はそれをしたいとは思ってないんだけど・・・」
「本当はこうしたらいいんだろうけど・・・」
そういう(本当は・・・こう在る)があるみたい。
その時、本当にしたらいいことは自分でわかっている。
誰か他者に指図されなくても、それを知っている。
だから、(しないという自由意志)が働く時空が存在してしまう。
人間は元々、真・善・美を希求してしまう存在でしか在り得ないから、
上に書いた状況のような時に選択できる時空が与えられている。
ベンジャミン・リベットいわく、0、何秒、もしくは数秒の時空が。
誰から?それは存在の意志から?愛という意志から?
・・ということは・・・
(しないという自由意志)は、(こう在りたい)が在り、
これは万人洩れなく在るけど、
そのように在る、と決心した時、働く・・んじゃないだろうか?