昨日娘から電話があり、彼女はちょっと情緒不安定な感じだった。
でも話の中で大笑いしたり、小笑いしたりしながらいろいろ話し、
電話が終わる頃には気持ちが安定して来たようで、
最後は明るい感じで終わることが出来た。
夜になってその事をキッカケにして、
娘の前に居る自分について夫に話した。
夫に自分の気持ちを聞いてもらったという表現がぴったりかな。
話しているうち、可笑しくなってきた。
今までの、娘の話を聞いている時の自分の姿が見えた。
今までの自分の姿といっても二十数年の間のことだし、
その姿も程度はいろいろだったなぁと思うんだけど、
はっきり言って話を聴いてなかった自分だった。
彼女の言葉を耳では聞いてはいたけど、
彼女についての自分の思いで頭がいっぱいで見事に話を聴いてなかった。
見事にその時の彼女を聴いてない。
このブログに娘との間で生まれる自分の思いについて何度も書いてきた。
書くことで気付いたこともいっぱいあったけど、
話を聞いている時の自分の心が今回ほど鮮やかに見えたことはなかった。
そうしたらなんということだろう・・・
気分がとても愉快になった。可笑しくてたまらなくなった。
娘にしてみたら本当に災難の続きだった。
何とお詫びをしていいかわからないくらいひどいことをして来た。
こういうふうに全面的に心から思うのは多分初めてだと思う。
今まで娘に対してのひどかった自分に気付いたとき、
なんて酷かったんだろうと泣けたこともあった。
それが今回泣けるどころがおかしくて笑ってしまった。
ごめん!娘よ!笑ってしまって。
酷かった自分を見つけて泣けてしまった自分と、
笑ってしまった昨日の自分とで何が違うんだろう???
と思った。
泣いてしまったときの意識の奥深くの心が
それを自分一人の問題としている所有状態に在った、といえるんじゃないかと思う。
だから責任を感じて自分で自分を責める。
責められた自分は泣く。
娘の心や思いを聴こうとする心の姿勢などない状態の自分だったと知った、その事は一緒なのに、
泣けるのと笑うのと正反対の反応がある、その元はコレだ、と思ったよ。
何でも自分に都合のいいように考える癖のある、楽観的な私なので
未熟な自分の発見に笑えたことは大変結構なことじゃないか・・と思ったのでした。
明るいのが本当。
これからだってまだまだいろんなことがあると思うけれど、
楽しみにやって行くよ。
でも話の中で大笑いしたり、小笑いしたりしながらいろいろ話し、
電話が終わる頃には気持ちが安定して来たようで、
最後は明るい感じで終わることが出来た。
夜になってその事をキッカケにして、
娘の前に居る自分について夫に話した。
夫に自分の気持ちを聞いてもらったという表現がぴったりかな。
話しているうち、可笑しくなってきた。
今までの、娘の話を聞いている時の自分の姿が見えた。
今までの自分の姿といっても二十数年の間のことだし、
その姿も程度はいろいろだったなぁと思うんだけど、
はっきり言って話を聴いてなかった自分だった。
彼女の言葉を耳では聞いてはいたけど、
彼女についての自分の思いで頭がいっぱいで見事に話を聴いてなかった。
見事にその時の彼女を聴いてない。
このブログに娘との間で生まれる自分の思いについて何度も書いてきた。
書くことで気付いたこともいっぱいあったけど、
話を聞いている時の自分の心が今回ほど鮮やかに見えたことはなかった。
そうしたらなんということだろう・・・
気分がとても愉快になった。可笑しくてたまらなくなった。
娘にしてみたら本当に災難の続きだった。
何とお詫びをしていいかわからないくらいひどいことをして来た。
こういうふうに全面的に心から思うのは多分初めてだと思う。
今まで娘に対してのひどかった自分に気付いたとき、
なんて酷かったんだろうと泣けたこともあった。
それが今回泣けるどころがおかしくて笑ってしまった。
ごめん!娘よ!笑ってしまって。
酷かった自分を見つけて泣けてしまった自分と、
笑ってしまった昨日の自分とで何が違うんだろう???
と思った。
泣いてしまったときの意識の奥深くの心が
それを自分一人の問題としている所有状態に在った、といえるんじゃないかと思う。
だから責任を感じて自分で自分を責める。
責められた自分は泣く。
娘の心や思いを聴こうとする心の姿勢などない状態の自分だったと知った、その事は一緒なのに、
泣けるのと笑うのと正反対の反応がある、その元はコレだ、と思ったよ。
何でも自分に都合のいいように考える癖のある、楽観的な私なので
未熟な自分の発見に笑えたことは大変結構なことじゃないか・・と思ったのでした。
明るいのが本当。
これからだってまだまだいろんなことがあると思うけれど、
楽しみにやって行くよ。