他者に向かって、聞いてない という言葉を発することがあるけど、
自分ではないひとが聞いたか聞いてないか、を正確にわかるのは当人のみだ。
(歩いた)とか動作を示す言葉なら、
他者が歩いた と言えるけど、聞く という言葉は、
自分が聞く 以外使えないのではないか?
成人式や学校で壇上から年寄りが話すことを、
若い人が聞いているように見えることもあるけど、
その音が耳に届いても、それを聞いているのか、いないのか、
その人にしかわからないこと。
こんなふうに「聞いてる」という言葉は意志、思いを含む。
動作の言葉である、「歩いてる」とはわけがちがう。
自分にはひとが 聞いているように“見える”であって、
事実はどうかわからない (疑っているのではなく)
・・ということがわかってないことがあるように思う。
自分ではないひとが聞いたか聞いてないか、を正確にわかるのは当人のみだ。
(歩いた)とか動作を示す言葉なら、
他者が歩いた と言えるけど、聞く という言葉は、
自分が聞く 以外使えないのではないか?
成人式や学校で壇上から年寄りが話すことを、
若い人が聞いているように見えることもあるけど、
その音が耳に届いても、それを聞いているのか、いないのか、
その人にしかわからないこと。
こんなふうに「聞いてる」という言葉は意志、思いを含む。
動作の言葉である、「歩いてる」とはわけがちがう。
自分にはひとが 聞いているように“見える”であって、
事実はどうかわからない (疑っているのではなく)
・・ということがわかってないことがあるように思う。