ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

水道ジャージャー

2012-05-31 11:43:48 | 実例体験観察
仏壇にあげたご飯とお茶のセットを義父は夕方下げてくれる。

だいたいその時間は私は台所で夕飯の支度をしている。

彼はそれを水道の水を出しながら洗う。

かなりな勢いで水道の蛇口から水が流れ落ちる。

洗っていない間も水はジャージャーと流れる。

全部で6個の小さな食器を水洗いするのに多分バケツ3、4杯くらいの水が流れる。

正直気になる。水道料金がタダだとしても多分気になる。

けれど、水の勢いをもう少し小さくとか、今の義父に言う気にはならない。

言おうと思わない。なので言わない。

けれど見るとどうしても気になる。

そこで見ないことにした。

義父がそれをしに台所に来た時は、別の用事を作ってそこから離れる。

実際その時間に他の部屋にいて別の事をしている時はそれを見ることがない。

その場に居なかったら、それが気にならない。

洗って伏せてある仏壇用の食器を見ても、気になることはない。

この(見ないこと)って、日光の三猿の話(2/17・18burogu)と同じことなんだろうか。

ガンジーも言っていたというもの。

自分にとって見えないものは無いのと同じ。

家の屋根裏に金塊があったとしても、それを知らなければ無いのと同じように。

自分が見たり聞いたりしないことはなんの問題にもならない。


問題にすると、それを解決しようとしておかしくなることが多い。

解決しようとすると、情勢はその介入を受けての、

動的平衡の姿を現象化する。

思ってもない方向へ動き出すこともある。






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