何かをしようと思う前から脳は動き出す、
ということが実験で明らかになったというもの。
無意識での意識が意志決定の前に動いている、というようなこと。
この実験とは・・・
何かをしたという筋肉の動きの550ミリ秒位前に、
脳に「運動準備電位」と名づけられたゆっくりとした陰性波が現れる。
実験では、何かの行動をしようという決断が意識されたのは、
脳にこの陰性波が表れてから400ミリ秒くらい後だったということ。
そして、その150ミリ秒くらい後に行動が起こった。
何かをしたくなった瞬間 と しようと意志した瞬間の間には、
400~300ミリ秒くらいの時間がある。
実験から、以上のようなことが明らかになった。
筋肉の動きの550ミリ秒くらい前に脳に陰性波が現れた、という現象は
(これは後の他の研究者の実験で2秒くらいというのもあったらしい)
相手の言動を見たり、聞いたりして、
それはこういうことだと無意識のうちに判断し、
その自分の判断についての自分の思いや考え(それは違うとか)が浮かび上がって、
何かをしたくなるとか、言いたくなる、という一連の意識の動きかなと、
いま、私は思っている。
こういう実験結果から考えると、~したくなる思いが発生しても、
それをするかしないかを決める時間は十分あるのではないか、
というようなことをリベットさんは言っているようだ。
そこで「しないという自由意志」が発生するのではないかと。
①で書いた私の例では、言いたくなったことを(言う)という選択肢を選んだわけだ。
いや、選んだ、と言えるからには、
選択肢が複数あるとわかっている場合だ。
その時の私はそれを選んだという自覚はなかった。
「あー、言うかな、言わないかな、あーっ、言った」との内なる声を聴いた時に、
言ったという行為をし、その後での時点で、
言わない という選択肢もあるのだということがわかった。
今は、その頃に比べて、何か思いが浮かんで来たときに、
自分のそういう意識の流れを観察している感覚はある。
その頃より、自分の意識のプロセスが観えるようになって来た。
「しないという自由意志」「真の自由意志」については、
世界的にいろいろな論があるみたいだ。
リベットさんは2007年に亡くなったそう。
晩年まで旺盛な研究欲があったというのを読んだ。
生きていたら、この話を聴いてもらいたかったなぁ と思ったよ。
相手の状態やその場の状況を観て、
その時自分の思いが生まれても、
「これは言わずにおこう」というようなことは、
結構たくさんの人にあるんじゃないかな。
でもその瞬間、そう選択している自分に、
自覚がある場合も、無い場合もあると思う。
その瞬間そういう自覚を持っていれば、
後になって、そのことで何かトラブルがあった場合に、
自分の意志でそうした、ということがはっきりとしているので、
納得できるということになると思う。
浮かんだ自分の思いをきちんと観察してから、
自分の意志で行為を決めてるので。
ということが実験で明らかになったというもの。
無意識での意識が意志決定の前に動いている、というようなこと。
この実験とは・・・
何かをしたという筋肉の動きの550ミリ秒位前に、
脳に「運動準備電位」と名づけられたゆっくりとした陰性波が現れる。
実験では、何かの行動をしようという決断が意識されたのは、
脳にこの陰性波が表れてから400ミリ秒くらい後だったということ。
そして、その150ミリ秒くらい後に行動が起こった。
何かをしたくなった瞬間 と しようと意志した瞬間の間には、
400~300ミリ秒くらいの時間がある。
実験から、以上のようなことが明らかになった。
筋肉の動きの550ミリ秒くらい前に脳に陰性波が現れた、という現象は
(これは後の他の研究者の実験で2秒くらいというのもあったらしい)
相手の言動を見たり、聞いたりして、
それはこういうことだと無意識のうちに判断し、
その自分の判断についての自分の思いや考え(それは違うとか)が浮かび上がって、
何かをしたくなるとか、言いたくなる、という一連の意識の動きかなと、
いま、私は思っている。
こういう実験結果から考えると、~したくなる思いが発生しても、
それをするかしないかを決める時間は十分あるのではないか、
というようなことをリベットさんは言っているようだ。
そこで「しないという自由意志」が発生するのではないかと。
①で書いた私の例では、言いたくなったことを(言う)という選択肢を選んだわけだ。
いや、選んだ、と言えるからには、
選択肢が複数あるとわかっている場合だ。
その時の私はそれを選んだという自覚はなかった。
「あー、言うかな、言わないかな、あーっ、言った」との内なる声を聴いた時に、
言ったという行為をし、その後での時点で、
言わない という選択肢もあるのだということがわかった。
今は、その頃に比べて、何か思いが浮かんで来たときに、
自分のそういう意識の流れを観察している感覚はある。
その頃より、自分の意識のプロセスが観えるようになって来た。
「しないという自由意志」「真の自由意志」については、
世界的にいろいろな論があるみたいだ。
リベットさんは2007年に亡くなったそう。
晩年まで旺盛な研究欲があったというのを読んだ。
生きていたら、この話を聴いてもらいたかったなぁ と思ったよ。
相手の状態やその場の状況を観て、
その時自分の思いが生まれても、
「これは言わずにおこう」というようなことは、
結構たくさんの人にあるんじゃないかな。
でもその瞬間、そう選択している自分に、
自覚がある場合も、無い場合もあると思う。
その瞬間そういう自覚を持っていれば、
後になって、そのことで何かトラブルがあった場合に、
自分の意志でそうした、ということがはっきりとしているので、
納得できるということになると思う。
浮かんだ自分の思いをきちんと観察してから、
自分の意志で行為を決めてるので。