ART&CRAFT forum

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「イタリアで思う」 松山修平

2016-03-11 15:06:32 | 松山修平
1997年7月25日発行のART&CRAFT FORUM 8号に掲載した記事を改めて下記します。

 前回 書かせて頂いた6号では、イタリアの全体像を出来るだけ伝えられるように努めたつもりだが、今回は、私のイタリア生活21年に考えたことと、現在の作品のテーマとなっているSHIN-ONと、そこに至るまでの経緯を書いてみたい。
 今、毎外に住むということ自体は、そんなに重要なことではない。海外に留学したり、旅行したから、作品が急に良くなったり、深くなったりするということは、けっして言えない。しかし、いろいろ異なったものを見、経験すれば、視野が拡がったり、何かの切っ掛けになることは事実であろう。そして今吸っている空気そのものを考え始めた時、自分自身の人生を顧みるようになり、そこから、なぜその作品を制作する必要があるのかという定義も生まれてくるように思う。もちろん作品というのは、もっと純粋であるだろうし、何かを作りたい、作らざるをえない衝動から生まれているのだろう。
 まずイタリアで感じたことを、いくつか上げておくことにしよう。イタリアの街を歩いていると、不思議な印象を感じさせてくれる。たとえば夕方、薄暗い道を歩いていると、現実から遠のいて過去に戻っていく、いろいろな時代のものが時として不完全な形として残っており、それが、同居している時代の錯綜……。時間を肌で感じさせてくれる一瞬だ。 また街を歩いていると至る処で話しかけてくる壁に出くわす。『ただの壁か?』と思われるかもしれないが、イタリアに来てまもなくの頃は、何でこんなに感じさせてくれるのか、何かの形で、その感動を残しておきたいと、カメラを片手に自分に問いかけてくる壁を撮りまくったものである。この写真のシリーズを『壁の詩』と名づけた。今も、その数は減っているにしても、特に気になる場所は写真に残すことにしている。そのとなりの壁を見ても、同じ色・材質なのに、何も感じないことがほとんどなのに、何故、その壁だけが何かを感じさせるのかと、いろいろ考えてもみた。それはやはりエネルギーなのだと思う。
 それからイタリアで絶対に見落してはいけない場所が、VALCAMONICA(ヴァールカモニカ)であろう。ミラノより北東約120km(イセオ湖の北30km)にあるCAPODIPONTE(カーポ・ディポンテ)を中心に約12000年前よりローマ時代に至るまで、その地に住んでいた人々が岩に彫り残した生活の跡が点在している。他の地方では、メソポタミア、アッシリア、バビロニア、エジプト、フェニキア、エトルスクなど古代の輝かしい文明が築かれていったが、このアルプスの南の谷あいには、先史代からの生活が、ゆっくり展開されていた。この強靭な山岳民族は総称してCAMUNI(カムーニ)と呼ばれている。約10kmにわたる谷あいVALCAMONICAには、200、000以上の図像があるといわれ、ところどころの聖なる場と思われるところには、信仰・祈祷のために示された国像もかたまっている。猟の様子等、生活様式が伝わってくるものもある。その中心としてCAPODIPONTEのNAQUANE(ナクアーネ)に野外美術館となっている国立公園として1955年より谷あいの中腹(海抜500m)に、カラマツ・モミなどに守られるように約30ヘクタールの神聖な場として開放されている。ここを訪れると、いろいろな美術表現の源があるように思う。長い年月に耐えて、しかも現在に生きつづけるエネルギーを感じさせる。他にもいろいろいい場所はあるが、イタリアに来られたら、ぜひ、ここを訪れてほしい。
 これらの場所、壁、街なみとの出会いいは、時代を越えるエネルギーというものを考えさせる切っ掛けになった。
 イタリアについて語っていると尽きないので、話を変えて、ここでSHIN-ONについて、お話したい。展覧会の説明に下記のような文章をよく使うので一応載せておきたい。『SHIN一ONとは、心からの叫びとか、自分自身に同調する周波数の波の表現などと説明しています。たとえば周波数の波と言えば、われわれの身の回りの空間にも常にいろいろな周波数の波が存在していますが、ラジオとかテレビとかいう媒体を介さなければ、その周波数の番組を見たり聴いたりすることは出来ません。必ず媒体が必要です。アートの場合の表現というのもアーティストという媒体を通して、いろいろな波のうちから、そのアーティストに同調するものを何等かの形に具現化するようなものでしょうし。見る側がもし、その周波数の波に同調すれば即座にその表現を理解出来るはずです。つまりSHIN一ONとは、その自分自身に、まさに同調する表現です。』
 今世紀初頭、カンディンスキーは、絵画と音楽との間に等価性があることを察している。色彩は内面の音なのだと言っている。ここで音とはなんなのか? 私は、この音というのは、そのものが持っている波長だと思っている。すべてのものが、発している波長である。そして世の中は、それぞれの音の響き合いでありシンフォニーなのだろう。これをどのように感じるかということだろうかと思う。当然、そのとき他のものに心を奪われていたり夢中で我を忘れて、ぼーと生活していても、気がつかないし、伝わってこないものである。 もう一つ自分の作品制作のときの考えを加えると、日記を書くような………というか、その時の気持ちを出来るだけ正直に表わせたらいいなあと思っている。たとえば何年か前の日記でも、ちょっと自分を恰好よく、そのときの気持ちとは別にたとえばドラマの主人公のようなものとして書いたものとか、人の文をちょつと借りて書いたものだと、あまり読みかえしたくないものになっているだろう。それとは反対に素直にそのときの気持を表現したものであれば、何度となく読みかえして今の自分を考えることもできるだろう。

 『作品とは、いろいろな物、人、本、場所、自分をとりまくものから発せられるエネルギーを自分白身が秘めている生命の根源エネルギー“気”に問い、そこから再び発せられる己の表現である。』と思う。

 ここで、制作のことについて少し触れておきたいと思う。基本的には、いろいろな技法を、その度、使っている。簡単に説明すると、一番多いのが、合板上に石膏あるいは、スタッコでレリーフ状の平面を作り、そこに岩彩やアクリルなどで何回か重ねて塗り、描き、その上から何層か、うすい紙を、ずらしてはり、最後に水彩で染み込ませながら色を決めて完成させていく。色を付けると言う行為の中に、塗ると染めるがある。色として考えると同じようなものなのだが、色の方向性が異い同じ色にはならない。このちがいは、同じ画面上にならべてみると歴然で、両方を使いこなすと思ってもみなかった表現の幅が出来るようである。奥行きや拡がりが充分期待できる。同一画面に下から出たがる色(油彩、アクリルなど重ねていって仕上げていく技法から生まれる色)と上から染み込んでいく色(水彩、水墨画など、もとの紙の白を活かしながら染み込んで決まっていく色)そして、ときどき、それを、ひっかいたりして、下の色が出たり交ったり二つの方向からの色が、ぶつかり合い、そこに、すばらしい響きが生まれる。重要だと思っているのは、心に響く色、心に問いかける色、心から、そこに引きこまれるような色、心に安らぎを与える色……である。ここで言う色は、やはりエネルギー(気)なのだと思う。
 このような作業工程は、一つの分野の技術から生まれたというよりも、自分自身のイメージにより近づけたい、自分白身の気をどのようにか表現したい、そして、その感覚にピッタリした材質を探しているうちに、このような方法になってきたということだろう。これは、また、今後イメージが変われば、その表現方法、選ぶ材質も変わることも示している。当然より深く心に響く作品にしていきたいつもりである。
 SHIN-ONのテーマで、もう一つ重要な要素に線がある。具象作家は、その対象に美を感じそのものに恋してしまうのでなければ表現出来ないのだろうが、私の場合の線への思いも、それと同じことだと思う。そして、あるとき、その線が水平線のようになり、そこから世界が生まれる。この場合、生命エネルギーそのものの線である。画面上では同じ線でも全く意味が異なることがある。たとえば縦の線と横の線とを比較すると、横の線は、地平線、水平線だったり、拡がりだったり、時間の経過を示すのに対し、縦の線は、もっと強い表情を示し、個性的となり、何か上下をつなぐもの神秘性をかもし出すことさえあり、時をきざむ時刻ということになるのだろう。最近は好んで横の線で表現している。そして、その横の線がつながり、いづれ世界に大きなSHIN-ONの輪(和)が出来上がる。目の前の作品が、その一部の弧だと思うと、その拡がりがイメージされるだろう。 活動としては、今後も、いろいろな場所で発表し、その度にSHIN-ONの輪(和)を拡げていきたいと思っている。そして前に日記を書くようなつもりで……とか書いたが、いづれ20代、30代、40代、50代……の、それぞれのSHIN-ONの作品を一同にならべて見られたらすばらしいなと思っている。
 もう一つ重要な要素に音楽そのものがあり、展覧会場には必ず音を流している。1993年、1995年、1997年のベネッイア展に、それぞれ作曲家の協力を得てCDも制作している。このことは、また別の機会にお話ししたいが、絵をかんじてもらうための空間には無くてはならない要素である。機会があったら私の作品を直接見て頂きたい。朝、昼、夕、そして人工灯のもとでいろいろな表情に出合えるはずである。
 今年は5月31日~6月30日までベネッイアビエンナーレの時期にカナーレグランデに面したサンタルチア駅とリアルト橋との間にあるサンスクエ会場での個展のあと7月19日から8月2日まで東京・青山の「ギャラリーたからし」と8月1日から8月29日まで東京・箱崎の「インフォミューズ」で、それぞれ個展がある。
 最後に日本で制作発表されている方々にお互いの立場を生かして、どのように世界に発表の場を作っていくか、世界の作家と交流出来る場を作っていけるかを考えていって頂きたい。そのことは、一方通行の情報ではなく、発信する回路を見つけることでもあると思う。そのためにも世界各地にいる日本人作家も重要な使命を担っているのだと思う。
 21世紀は気の表現(アート)の時代だと思う。世紀末の混沌としている世の中で表現者は重要な立場であり、特に日本人アーティストには、より固性的なアイデンティティーのある表現がもとめられているようにも思う。これからも一緒に模索しながら意見の交換をし、より世界に問うことの出来る作品を生み出して行きましょう。
この時代のメッセージとして……。


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