ART&CRAFT forum

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「猫を通して」榛葉莟子

2016-05-10 12:11:13 | 榛葉莟子
1998年4月1日発行のART&CRAFT FORUM 10号に掲載した記事を改めて下記します。

 ながいこと共に暮らしていた老いたギジトラの雄猫は、二年程前の夏の或る夜、ふいと散歩に出たまま帰らなかった。あちらこちらと、名前を呼んでは探しまわったが、ニャーともミャーとも返事はない。まさか、こんなに遠く迄と思う所でも、ついつい猫の名を呼んでいた。トントン、トントン。

そんな最中、陽照りのアスファルトの道で、車にはねられたのだろうか、猫が死んでいた。ああ、もしや、うちのトンもと不吉がよぎる。再びその道を通った時には、その猫はいなかった。何日も放置されていたのだろうか、横たわっていた猫の芯のような小さな汚点が、アスファルトを染めていた。そしてそこにうっすらと残っている毛をみたとたん、なにやら落着かぬものが沸いてきた。それはまるで、いま生え出たばかりのうぶ毛のようにもみえてくる。

しゃがみ込んで、じっとみているのも恐くなり、急ぎ足でそこから遠のいたのだが、頭の内では、あれこれ映像がうかんできてしまった。どんどん毛は生え出て、生長し、広がってゆく。そうして月が高く昇った深夜、ぴくりぴくりと、アスファルトが破れはがれて、すっくと立ち上がり、長々と身体を伸ばしたかと思うまに、ひょいと、月夜のなかにとびこんでゆく一匹の黒猫。

 いつもの河辺りを犬と散歩していた秋口の夕刻時だった。どうしたわけか突然犬はピタリと止った。いくら綱をひいても、不安気な目をした顔がつき出るばかりで、犬の足はピクとも動こうとしない。どうしたのと聞く間もなく、私の足もとから、すうっと冷気がはい昇り、消えた。なにこれ?と、妙な気配に立ちすくんだが、はっとする。もしかしたら、そうか、そうなのか…。その瞬間、私は、老いた猫トンの死を了解したのだった。それは、ひきずっている私への信号だと解釈した。

その後、同じ河辺りの道で、二度とあの冷気を感じることはない。犬もハッハッと息をはずませ走っている。

 描が自分の全生活に影響を及ぼすことはなくとも、ふと、なでさするやわらかなものがほしくなる時がある。悠々とした自然体や、走り回る愛らしい姿をそばにみたい時がある。その反対に、すりよってくる猫をうるさく感じる時もある。

猫も人間も身勝手さを承知の上で、戯れあう。猫が死んでから、ずっと猫は身近かにいなかった。そんなある日、知人が言った。猫をなでるだけでも血圧って下がるんですってよ。その話は合点がいく。柔らかな丸いものを抱きしめたり、なでたりする感触、その愛らしさに人の心は癒される。顔は自然とほころぶ。猫は隙間への案内役だ。

 冬のはじまりの頃、仔猫は来た。

 エプロンのボケットに、すっぽり入る程の仔猫は、白い鼻すじの黒猫で、長い尾が気に入った。なんだか好きな雰囲気だし、なんとなくダリって感じね、の第一印象でダリと名付けた。ダリ、ダリと呼ぶうち、好きな画家のダリを呼びつけにしているようで、ダッと言い直した。

 そのダッを思いっきり踏んでしまったのは、我家に来て十日も経たない頃だった。ネコフンジャッタ、ネコフンジャッタどころではなく、足の裏の異物感とギャッという悲鳴にあわてて洗濯物のシーツを広げてみればぐったりと虫の息のダッがいたのだ。謝り続けて動物病院にたどりつき、すぐにレントゲン室へ。医者は、レントゲン写真を広げて、骨折はしていないようですね。小脳に傷があるかもしれません。ほら、ここ、このあたりと、指さしたレントゲン写真のダッの頭部。大の字のダッの全体の骨が写っている。入院して、しばらく様子をみましょうの医者の声を聞きながら、なんとしたことか私は、レントゲン写真に魅入ってしまった。妙な美的さに感動している自分がいた。

 ダッは四日間入院し、元気を取り戻したのは良かったが、いまも、あのレントゲン写真が私は気にかかって仕方がない。


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