◆歩きながら糸を紡ぐ女性(ペルー・タキーレ島)
◆緯糸すべてがインターロックの綴織(垂直機使用)
豊雲記念館所蔵
◆緯糸すべてがインターロックの綴織(垂直機使用)
豊雲記念館所蔵
◆ハツリ効果の綴織 (豊雲記念館所蔵)
◆細糸用の紡錘車 (豊雲記念館所蔵)
◆製織中の帯 (経糸、糸綜こう共に強撚糸、綜こう棒は小枝)
2005年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 37号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-創造性と芸術感覚- 上野 八重子
◆もう一つの魅力
2005年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 37号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-創造性と芸術感覚- 上野 八重子
◆もう一つの魅力
「アンデスならではの魅力」には技法以外に図案が上げられるでしょう。この世に存在するあらゆるものを表現豊かに図案化し、染織品、土器に用い、多色を自由に組み合わせた色彩感覚、その創造力は世界でも類を見ないと言われています。
新大陸として発見されるまで外来文化の影響を受けることなく非常に特異な染織文化が創られ、また世界で知られる殆どの技法があるといわれています。図案は複雑なものから単純なものまであり、複雑な図案は精巧緻密、単純と思える図案も形、線の幅、曲がり方に少しでも乱れがあれば単純な図案の美しさは無くなり、そこにたどり着くまでには大変な努力がなされたと思われます。
それら特異な創造性と芸術感覚が満ちあふれるアンデスの魅力を知っていただく為に技法、図案、色彩、そのすべてを結集された古代裂をご紹介しましょう。
◆綴織
綴織は絵を描くように織れるということで好まれ、世界各地に見られる技法です。アンデスでも例外ではなく多くの染織品が残っています。色の境目におこるハツリ防止には互いの糸を絡ませるインターロックを使いますが、手間がかかるのと糸の重なり合う所が分厚くなる欠点があります。ところが「綴織の極地の技」と言われたワリ文化期(6世紀)には1㎝当たりの緯糸は経糸に対して5倍以上の比率になっているのです。経19本/㎝、緯104本/㎝という細かい模様の緯糸すべてがインターロックで打ち返されているものがあります。本で見たときには「すごいなぁ」と思ったものの、さほど実感が無かったのですが、実際に手に取ってルーペで本数を確かめる機会を得た時「ゾクッ」と身震いしてしまいました。何故でしょう? では、この織物の厚みを想像していただけますか! 経糸/木綿双糸、緯糸/獣毛双糸の1㎝104本の布の厚みです。さて、答えは… 本で想像していたのとは大違い、まるでYシャツを触っている感触でサラッとしていて織りと言うよりプリント地のようでした。模様部分と平織り交互の縦縞になっており、模様部分の幅は約10㎝、製織時は横縞状態の112㎝幅で織っています。(着用時に密度の高い緯糸が縦方向になるよう丈夫さも考えられているのです)模様を横から見た状態で織っていますので数百本の緯糸を操ることになり、しかも図案化された人が1列に12人配置されていますが1人として同パターンは無いのです。
編物から手仕事に入った私が考えると、まずグラフ用紙にパターンを書いて、色決めして…とそれをやってしまえば後は図を見て同じ模様をいくつでも出来るのですが、しかし、古代アンデスには文字が無く、もちろんグラフ用紙などあろう筈もなく、それを考えると今の私には「難しいだろうな、大変だろうな、時間かかるだろうな…等々」思ってしまうのですが、実はコンピューター内蔵のような頭と道具のように動く手先で難なくやっていたのかもしれないのです。 一定のパターンが頭にあるものの織り人の感覚で色や模様を自由に替えていったのでしょう。そんなアンデス人の自由な感覚を見るにつけ自分の中の堅さを反省してしまいます。
この裂はルーペで見ても表裏の区別が全くつかないほど糸始末がきれいなのです。糸端を刃物で始末したとしてもどこかに痕跡が見えるはずなのですがわからないのです。しかし接ぎ合わせを見ると「同じ人種の仕事なの?」と首を傾げたくなる粗さに思わず苦笑してしまいます。このアンバランスさが又何とも面白いというか、救われるというか「やっぱ、人間なんだっ!」とホッとさせられるのです。
このワリ文化期を過ぎると次第に綴織にも工夫が見られるようになり、アンデスだけに見られるハツリ防止として、手間のかかるインターロックはせずに2~5越ごとに平織りを入れることにより、早く織れてハツリ孔の無い織り地となる独自の技法が生まれてきました。平織りには細い綿糸を使うので表面上、平織りが入っている事がわかりません。極細綿糸を紡ぐ事が出来たからこその発想なのでしょう。また10世紀頃になってくると裏の始末を手抜きしたもの、経緯比率も3倍に落ちるものも見受けられるようになりました。それとは逆に2~3世紀に遡ってみるとハツリ孔を連続させることで両端が僅かに湾曲することを利用した紐もあります。こうして長い年月を経て「ハツリも良し→ハツリは無し→手をかけないでハツリを消す」という方向に向かっていった訳です。
◆紡錘(紡ぎ)
アンデスの染織品を語る上で重要なのが細い強撚糸と簡単な紡ぎ具にあります。綴れの104/㎝や平織りを入れる事が可能なのも髪の毛ほどの糸を紡げたからこそと言えるでしょう。
紡錘車は…30㎝程の細い木の軸に1㎝位の土器、木、実などを丸く加工し、錘としてはめ込んだもので、手からつり下げたり、皿の上で、又は水平に持って指先で回転させながらと、糸の太さによって形や使用法を変えて紡いでいたようです。現代の足踏み式紡毛機では難しい製織中の紡ぎ足しも簡単な道具だから可能だったのではないでしょうか。原毛はゴミを取り除くだけでカーディングせずそのまま紡いでいます。
「紡ぎ」というと真っ先にウール原毛を思い浮かべませんか! でもアンデス地帯の染織素材の多くは海岸地帯で栽培される木綿と3~4千メートルの高原地帯で飼育されるラクダ科の獣毛になります。羊はスペインの征服後にヨーロッパから持ち込まれたものなので古代染織品には使われていなかったのです。木綿は繊維の長いペルー綿があり、栽培は紀元前2千年頃からと言われ、白、薄茶、茶と自然色をそのまま使っています。糸の細さは100~130番手と推定されていますがペルーの博物館には250番手という糸があります。1メートル千回転以上という強撚糸…それを手で回すとは…気が遠くなりませんか。
獣毛にはアルパカ、リャマ、ビクーニャがいます。ビクーニャの繊維は柔らかく光沢があるため乱獲され絶滅寸前に迄なりましたが現在では狩猟禁止となり国の保護を受けています。現地でも幻の動物と言われているビクーニャに4200ートルの高原で出会った時、警戒心がとても強いので近づく事は出来ませんでしたが群れを守る凛としたボスの姿は今も忘れられません。リャマは体も大きく農作物の運搬用として、また肉は貴重な蛋白源として、繊維は固いので紐、袋用に使われていました。
そして何と言ってもアンデス染織品の主流はアルパカでしょう。繊維は細く強靱で艶がありフェルト化しにくく染色性も良いと言うのですからアンデス染織品の幅を広げたと言っても過言ではないと思います。現在でも4千メートル地帯のチチカカ湖周辺に行くと広大な平原に放牧されている白、白と茶、白と黒の斑色した羊の首を長くしたような姿のアルパカに出会えるでしょう。
このような綿繊維、獣毛繊維は細い糸を作る為には性質上、強撚糸にせざるを得ないということがあります。現在の土産品などには色鮮やかなアクリル糸が好んで使われていますが、彼らはその糸でさえ更に撚りをかけて強撚糸にしているのです。これは長い間の習慣なのでしょうか。
◆織機は
腰帯機(後帯機)水平機、竪機(垂直機)があり、これらは地域や製織するものによって使い分けられていますが最も一般的なのは腰帯機(経糸の両端を木と自分の腰に回します)でこの織機の材料は…というと、何と数本の棒きれだけ、それも枝そのままというような棒なのです。しかしそんな粗雑な織機が実は優れもので、反転させて表裏どちらでも織れるし、しまう時はクルッと巻いて場所をとらない、移動も簡単、そして何と言っても一番の利点は経糸のテンションを変えながら織れることでしょうか。その為、経密の布でも非常に柔らかさがあることです。 又、製織中でも織りから組へ、組から織りへと違う技法を組み合わせる事も可能なのです。
次回は染色、技法、背景をおりまぜながら進めていきたいと思います。