1995年7月20日発行のART&CRAFT FORUM 創刊号に掲載した記事を改めて下記します。
旅も中盤に入り、ヌサ・トゥンガラ東端で最大の島、ティモール島を訪れた。島の玄関口クーパンは東ヌサ・トゥンガラ州の州都でもあり、官庁街や立派な博物館をもち、国際線も就航するという“都会”だった。ティモール島は古くから海路の要衝であった。貴重なスパイス(丁子やナツメグ)を産するマルク諸島への基地として、また島の特産物の白檀をめぐり、17世紀にはポルトガルとオランダによって島は東西に分断され、両国の植民地となった。第2次大戦後、インドネシアがオランダから独立した後も、島の東半分はポルトガル領として残された。 1976年にインドネシアに併合されたが、その時のいきさつにより、今もティモ-ル独立運動という問題は続いていて、旅行者に東ティモールが開放されたのは数年前からである、
西側のクーパンから東側のディリヘは、ジェット機で30分。こぎれいな空港、やけに西洋的で整然としたディリの街並み、大きな教会、そして手渡されたのはカラー写真満載の豪華なガイドブック、英語版に加え、少々奇妙な日本語で綴られたパップレットまであり、私が勝手に思い描いていた素朴な東ティモールとはかけ離れた第一印象だった。道路の舗装、電気や水道の供給、鉄筋の学校や病院といった設備の充実ぶりは、東ティモール対策に神経を使うインドネシア政府が、優先的に行っているためだということを後で知った。
翌日、ディリから更に東ヘバスで4時間半、ロスパロスのラサ村を訪れた。村に着いてまず目にはいるのが、ラウテムという伝統的な造りの家。はしごを立てかけて登り降りする高床式に、内部が6層に分かれているという高い屋根を持つ独特な建物だ。村の女性たちはそれぞれに花柄やレースや色鮮やかなブラウスを着て、それ以上に色とりどりのサロンをまとっていた。その色の豊富なことに驚かされる。
ティモール島の代表的な文様としては渦巻き状の鉤文があり、多くの染織品に用いられている。S字や波形などの幾何学的文様や鰐、とかげ、花などの具象的文様も目を引く。織の技法は、経絣、綴織、昼夜織、縫取織と多様で、しかも鉤文を地文として経縞とともにさまざまな文様や織技法を組み合わせて、1枚の布に併用する手法は他の島々とは異なる特色である。ティモール島には早くから化学染料が入っていたので、染料もまた天然と化学の併用が多い。この村で見た布も、とてもにぎやかで手の混んだ織物だった。ヌサ・トゥンガラの東の果てのロスパロスの村と人々は瀟洒でどこかクールな風情を漂わせている。私たち一行は2時間程の滞在で、再び4時間半の帰路に着かなければならない。私の胸中には次第にある疑問が浮かんできた。(次号へ続く)
※このシリーズの前2回は「ヌサ・テンガラ」と表記してきましたが、今回より「ヌサ・トゥンガラ」に変更します。(富田)
旅も中盤に入り、ヌサ・トゥンガラ東端で最大の島、ティモール島を訪れた。島の玄関口クーパンは東ヌサ・トゥンガラ州の州都でもあり、官庁街や立派な博物館をもち、国際線も就航するという“都会”だった。ティモール島は古くから海路の要衝であった。貴重なスパイス(丁子やナツメグ)を産するマルク諸島への基地として、また島の特産物の白檀をめぐり、17世紀にはポルトガルとオランダによって島は東西に分断され、両国の植民地となった。第2次大戦後、インドネシアがオランダから独立した後も、島の東半分はポルトガル領として残された。 1976年にインドネシアに併合されたが、その時のいきさつにより、今もティモ-ル独立運動という問題は続いていて、旅行者に東ティモールが開放されたのは数年前からである、
西側のクーパンから東側のディリヘは、ジェット機で30分。こぎれいな空港、やけに西洋的で整然としたディリの街並み、大きな教会、そして手渡されたのはカラー写真満載の豪華なガイドブック、英語版に加え、少々奇妙な日本語で綴られたパップレットまであり、私が勝手に思い描いていた素朴な東ティモールとはかけ離れた第一印象だった。道路の舗装、電気や水道の供給、鉄筋の学校や病院といった設備の充実ぶりは、東ティモール対策に神経を使うインドネシア政府が、優先的に行っているためだということを後で知った。
翌日、ディリから更に東ヘバスで4時間半、ロスパロスのラサ村を訪れた。村に着いてまず目にはいるのが、ラウテムという伝統的な造りの家。はしごを立てかけて登り降りする高床式に、内部が6層に分かれているという高い屋根を持つ独特な建物だ。村の女性たちはそれぞれに花柄やレースや色鮮やかなブラウスを着て、それ以上に色とりどりのサロンをまとっていた。その色の豊富なことに驚かされる。
ティモール島の代表的な文様としては渦巻き状の鉤文があり、多くの染織品に用いられている。S字や波形などの幾何学的文様や鰐、とかげ、花などの具象的文様も目を引く。織の技法は、経絣、綴織、昼夜織、縫取織と多様で、しかも鉤文を地文として経縞とともにさまざまな文様や織技法を組み合わせて、1枚の布に併用する手法は他の島々とは異なる特色である。ティモール島には早くから化学染料が入っていたので、染料もまた天然と化学の併用が多い。この村で見た布も、とてもにぎやかで手の混んだ織物だった。ヌサ・トゥンガラの東の果てのロスパロスの村と人々は瀟洒でどこかクールな風情を漂わせている。私たち一行は2時間程の滞在で、再び4時間半の帰路に着かなければならない。私の胸中には次第にある疑問が浮かんできた。(次号へ続く)
※このシリーズの前2回は「ヌサ・テンガラ」と表記してきましたが、今回より「ヌサ・トゥンガラ」に変更します。(富田)