1996年2月20日発行のART&CRAFT FORUM 3号に掲載した記事を改めて下記します。
城跡の草藪の道で、白い犬を連れた顔見知りのおじいさんに会った。小便をすませた犬の様子があまりにも痛々しく、はっと息をのんだ。後ろ足の足首のあたりから白い毛がはがれ、桃色のものがむきだしにひろがり、その周りの毛が消毒液だろうか真っ赤に染まっている。どうしたのか聞く間もなく立ちすくんでいる私に「車にひっかけられただよ」と、おじいさんはぽっりと言った。「めったに車が走らん山の奥の息子の家で飼ってただけどね。こっちに家建てたんで移ってきただよ。ほうしたら、こんなめにあってね。車の恐さ知らなかっただよね」と、おじいさんはずっと犬に目を落としたまま、訳を話してくれた。おじいさんの足もとに犬はねそべって、ハッハッと荒い息をしながら代弁してくれているおじいさんを見上げている。何針か縫って、三日ばかり入院していたそうだ。犬の入院費もばかにならんよ。けれども犬もかぞくだからねえと、おじいさんは仕方のない言い訳をした。まったくひどいめにあいましたと、いうように犬は私をみた。「いくか」おじいさんの声に犬はゆっくりと立ち上がった。痛い足をひきずりながら歩く犬の歩調でおじいさんもゆっくり歩きだし、草藪を抜けていった。後ろ姿を見送りながら、車の恐さ知らなかっただよねと言ったおじいさんの言葉が心にひっかかっていた。山の犬が出会ったなんともせつない現実ということだろうか。愚かだなあと犬を叱る事などできやしない。私とて、沈む夕日のなかに溶け込んでしまうほどに、空にみほれ、強烈なクラクションにとびあがり、日常の現実に引き戻される愚か者なのだ。現実と非現実とのずれは矛盾や葛藤を生む。だから面白い。
それからしばらくして、おじいさんの家の前を通りかかった時、ふと、あの犬はどうしただろうと垣根の中を捜した。農機具の間に犬小屋がみえた。あの白い犬が寝そべっている。私はピュッと口笛を吹いてみた。すると犬は、一瞬緊張したようにこちらをみた。
「けがはどう?」と、声をかけると犬はひょいと立ち上がり、ふさふさの白い尾をゆるやかにふった。「よかったね。元気になって。じゃあね」そう言って私は歩きだした。垣根のむこうからクークーと甘える声がした。その時ふいに、どうしたわけか遠い日に亡くなった母が思い出され笑った。
さて私は、いまこの原稿を数日後に控えた引っ越しの荷物の隙間で書いている。
陽が昇れば朝であり、陽が沈めば夜であるというあたりまえのシンプルな巡りを自然に学ばせてもらった。
ふと、目を上げると窓の外は一面の銀世界。まぶしい
城跡の草藪の道で、白い犬を連れた顔見知りのおじいさんに会った。小便をすませた犬の様子があまりにも痛々しく、はっと息をのんだ。後ろ足の足首のあたりから白い毛がはがれ、桃色のものがむきだしにひろがり、その周りの毛が消毒液だろうか真っ赤に染まっている。どうしたのか聞く間もなく立ちすくんでいる私に「車にひっかけられただよ」と、おじいさんはぽっりと言った。「めったに車が走らん山の奥の息子の家で飼ってただけどね。こっちに家建てたんで移ってきただよ。ほうしたら、こんなめにあってね。車の恐さ知らなかっただよね」と、おじいさんはずっと犬に目を落としたまま、訳を話してくれた。おじいさんの足もとに犬はねそべって、ハッハッと荒い息をしながら代弁してくれているおじいさんを見上げている。何針か縫って、三日ばかり入院していたそうだ。犬の入院費もばかにならんよ。けれども犬もかぞくだからねえと、おじいさんは仕方のない言い訳をした。まったくひどいめにあいましたと、いうように犬は私をみた。「いくか」おじいさんの声に犬はゆっくりと立ち上がった。痛い足をひきずりながら歩く犬の歩調でおじいさんもゆっくり歩きだし、草藪を抜けていった。後ろ姿を見送りながら、車の恐さ知らなかっただよねと言ったおじいさんの言葉が心にひっかかっていた。山の犬が出会ったなんともせつない現実ということだろうか。愚かだなあと犬を叱る事などできやしない。私とて、沈む夕日のなかに溶け込んでしまうほどに、空にみほれ、強烈なクラクションにとびあがり、日常の現実に引き戻される愚か者なのだ。現実と非現実とのずれは矛盾や葛藤を生む。だから面白い。
それからしばらくして、おじいさんの家の前を通りかかった時、ふと、あの犬はどうしただろうと垣根の中を捜した。農機具の間に犬小屋がみえた。あの白い犬が寝そべっている。私はピュッと口笛を吹いてみた。すると犬は、一瞬緊張したようにこちらをみた。
「けがはどう?」と、声をかけると犬はひょいと立ち上がり、ふさふさの白い尾をゆるやかにふった。「よかったね。元気になって。じゃあね」そう言って私は歩きだした。垣根のむこうからクークーと甘える声がした。その時ふいに、どうしたわけか遠い日に亡くなった母が思い出され笑った。
さて私は、いまこの原稿を数日後に控えた引っ越しの荷物の隙間で書いている。
陽が昇れば朝であり、陽が沈めば夜であるというあたりまえのシンプルな巡りを自然に学ばせてもらった。
ふと、目を上げると窓の外は一面の銀世界。まぶしい