1997年10月25日発行のART&CRAFT FORUM 9号に掲載した記事を改めて下記します。
拡がる青空の下、自転車に乗る。食料品でふくらんだスーパーマーケットの白い袋のさきっちょが、かごのなかではためいている。稲刈りを待つばかりの田園は延々と黄色く輝き、そのなかほどの土手を走るこどもがちょうのようにみえかくれしている。見上げずとも眼の先に拡がる青空に滲みとおる半透明の白い月がいる。そこいら中、空いている。わたしはゆっくり自転車のペダルをふむ。キーコ、キーコ。道ばたで行きあったおばあちゃんにあいさつする。と、あいさつがわりのようにおばあちゃんが言った。「栗、あるけ」「えっ、栗?ないです」「やろか」「うわっ、うれしい。ください」「そんなら、あとで持っていってやるから」……そうか、もう、栗の季節に入ったのだなあと、あたりの草藪に眼をやれば夏と秋の入り交じった色彩がしーんと流れている。あわてず、さわがず、けれども確かな動き、静かにかろやかなうつろい。
力は魂ではない。開いていく線のような流れ。かすかな音。草藪に入りたくなり自転車を降りる。えのころ草やかぜ草、むらさきや、しろ、きいろ、もも色の小さい花ばな。それぞれがそれぞれのいまを燐と生き、草藪をつくっている。花を摘む。うちにおいでよと、花を摘む。と、こんなお話がやってくる。
ある晴れた日の午後のこと、野原に少女がやってきました。空のうえでは、ひるのお月さまがいねむりしています。少女が花摘みをしていますと指先になにかがからみつきました。それはきらっとひかる糸。ひかる糸はまるで少女を誘うようにいくらでもするするとのびてくるではありませんか。ふと、少女はなにかを編みたくなりました。とたんにもう手は動きはじめています。するするするするひかる糸は少女を誘います。編みものする手はとまりません。魚つりのきつねに会いました。いっしょに遊ぼうよときつねがいいました。でも、編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。うさぎの夫婦に会いました。お茶でもいかがと、うさぎのおくさんがいいました。でも、編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。大きなりんごの木に会いました。たわわにりんごが実っています。あーまいりんごをめしあがれとりんごの木がいいました。でも編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。かえろかえろと鳥のかぞくはねぐらにいそぎます。かえろかえろ。でも編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。いつのまにか空はばらいろの夕焼け。するするするするひかる糸は少女を誘います。いちばん星がかがやくころ、空のうえからおおきなくしゃみ。と同時に編みものする手もとまりました。少女の手には、花や草、きつねや、うさぎ、りんごに鳥、夕焼けの編みこみのおおきなマフラーがありました。空では三日月さまがふるえています。あらら、三日月さまのしっぽからほどけた糸がきらきらひかってゆれているではありませんか。やあ、きみだったのかい、ずうっと、ぼくとさんぽしていたのは……はあくしょんと三日月さまがいいました。はあくしょん、どうもかぜをひいたようだ、はあくしょん!少女は三日月さまのくびにマフラーをまいてあげました。うれしいなあ、ありがとう、ぼくはこんなマフラーがほしかったんだ。三日月さまはそういうと、マフラーをなびかせ、ゆらゆらと、空たかくのぼっていきました。
こんなお話で横道に入ってしまいましたが、ものに出会って、出来事はやってくるもので、動いていること、変化しつつ変化していること、というよりも、動かないのであったならどんなにかたいくつであろうかと想う。なぜならば、できるだけうまくやろうとする、たいくつよりも、できるだけ表現手段の自由さ、その喜びを経験したいと想う。
それは、息していることの喜び、解放へと繋がっていく。
拡がる青空の下、自転車に乗る。食料品でふくらんだスーパーマーケットの白い袋のさきっちょが、かごのなかではためいている。稲刈りを待つばかりの田園は延々と黄色く輝き、そのなかほどの土手を走るこどもがちょうのようにみえかくれしている。見上げずとも眼の先に拡がる青空に滲みとおる半透明の白い月がいる。そこいら中、空いている。わたしはゆっくり自転車のペダルをふむ。キーコ、キーコ。道ばたで行きあったおばあちゃんにあいさつする。と、あいさつがわりのようにおばあちゃんが言った。「栗、あるけ」「えっ、栗?ないです」「やろか」「うわっ、うれしい。ください」「そんなら、あとで持っていってやるから」……そうか、もう、栗の季節に入ったのだなあと、あたりの草藪に眼をやれば夏と秋の入り交じった色彩がしーんと流れている。あわてず、さわがず、けれども確かな動き、静かにかろやかなうつろい。
力は魂ではない。開いていく線のような流れ。かすかな音。草藪に入りたくなり自転車を降りる。えのころ草やかぜ草、むらさきや、しろ、きいろ、もも色の小さい花ばな。それぞれがそれぞれのいまを燐と生き、草藪をつくっている。花を摘む。うちにおいでよと、花を摘む。と、こんなお話がやってくる。
ある晴れた日の午後のこと、野原に少女がやってきました。空のうえでは、ひるのお月さまがいねむりしています。少女が花摘みをしていますと指先になにかがからみつきました。それはきらっとひかる糸。ひかる糸はまるで少女を誘うようにいくらでもするするとのびてくるではありませんか。ふと、少女はなにかを編みたくなりました。とたんにもう手は動きはじめています。するするするするひかる糸は少女を誘います。編みものする手はとまりません。魚つりのきつねに会いました。いっしょに遊ぼうよときつねがいいました。でも、編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。うさぎの夫婦に会いました。お茶でもいかがと、うさぎのおくさんがいいました。でも、編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。大きなりんごの木に会いました。たわわにりんごが実っています。あーまいりんごをめしあがれとりんごの木がいいました。でも編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。かえろかえろと鳥のかぞくはねぐらにいそぎます。かえろかえろ。でも編みものする手はとまらない。するするするするひかる糸は少女を誘います。いつのまにか空はばらいろの夕焼け。するするするするひかる糸は少女を誘います。いちばん星がかがやくころ、空のうえからおおきなくしゃみ。と同時に編みものする手もとまりました。少女の手には、花や草、きつねや、うさぎ、りんごに鳥、夕焼けの編みこみのおおきなマフラーがありました。空では三日月さまがふるえています。あらら、三日月さまのしっぽからほどけた糸がきらきらひかってゆれているではありませんか。やあ、きみだったのかい、ずうっと、ぼくとさんぽしていたのは……はあくしょんと三日月さまがいいました。はあくしょん、どうもかぜをひいたようだ、はあくしょん!少女は三日月さまのくびにマフラーをまいてあげました。うれしいなあ、ありがとう、ぼくはこんなマフラーがほしかったんだ。三日月さまはそういうと、マフラーをなびかせ、ゆらゆらと、空たかくのぼっていきました。
こんなお話で横道に入ってしまいましたが、ものに出会って、出来事はやってくるもので、動いていること、変化しつつ変化していること、というよりも、動かないのであったならどんなにかたいくつであろうかと想う。なぜならば、できるだけうまくやろうとする、たいくつよりも、できるだけ表現手段の自由さ、その喜びを経験したいと想う。
それは、息していることの喜び、解放へと繋がっていく。