★パリ20区、僕たちのクラス
監督:ローラン・カンテ
キャスト:フランソワ・ベゴドー、24人の生徒たち
2008/フランス
子どもたちの表情に焦点を合わせた見応えの一本。
映画の中で描かれていることの多くは、
パリ20区にある中学校での教師と24人の子供たちの国語授業の様子である。ディスカッションとリベート中心の時間が集中的に撮られているが、フランスの教育事情や国情の一端が読み取れ、非情に興味深く観た。教師と生徒との協同作業によって展開される国語授業は驚くほどイマージネーションに富む会話に充ち溢れ、教室の中だけの単なる国語授業であるにもかかわらず、僕の頭は、フランス社会、フランス文化全般へと意識が拡散され、たくましい想像力が要求された。刺激的なゲームみたいなものである。
この作品は第61回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品。
映画祭当事者たちにとっても新鮮なリアル感が感じられたのかも。
出演しているのは、いわゆるプロの俳優さんではない。そのせいもあってか余りにも素顔な表情といかにもありそうな現実感にこれは念密に練られたドキュメントかと思った。初めはそんな異質感をもって観ていたが、いつのまにかドラマの中に引き込まれていった。フランスらしい軽妙な言葉のやりとりにハメられたのである。数台のカメラの捉える教室内での子どもたちの表情に躍動感を感じたのである。いろんなカメラ視線を絡ませることによって、ひとつの教室内には多様な価値観が混在することがわかる。そのコンセプトの巧みさと子供たちの演技?にうまく乗せられた。上映中、これはフィクションかドキュメントかということにずっと悩まされ続けた。
日本とフランスの教育システムは違うので、授業の様子や教師の対応についてあれこれ語るには無理がある。しかし、僕は多くの部分で共感できた。自分の言葉で、自分の文章で語ることは教育の基本であり、その過程を通して「個人」が育ち、アイデンティティが形成される。「学びの場」には、とうぜんそれなりの規律と秩序が必要である。学校のことは学校内で解決されるべきだが、学校外のことは、家庭や社会の問題である。そういった基本的な考え方が貫かれていた。生徒にはそれぞれの個別な事情はある。作品はその「個別な事情」に対して、教師たちの悩みも捉えつつ淡々に描かれる。これがフランスの教育現実だということか。いや社会現実だということか。
ラストは、バカンスを前にした、
学年末の教室内の風景で締めくくられたが、「おやっ」と思った。出演者たちの表情は、一仕事終えたような安堵感に満ちたゆったりとしたものだったことである。それまでは緊張した場面の連続だったので、その違いの際立ちに驚いた。バカンス前の表情なのか。いや、どこか撮影終了打ち上げパーティ後の幸せ感に満ちた表情に見えた。アドリブで撮影したような。和らいだくつろいだ子どもたちの表情。
どういう結論で終わるのか気になったが、
ラストは和やかな気分を迎えてホッとした。