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映画、読書などのメモ

クリムト

2017-04-18 | chinema(欧米系映画)

映画を観た。

★クリムト
原題:Klimt
監督:ラウル・ルイス
キャスト:ジョン・マルコビッチ、ベロニカ・フェレ、サフロン・バロウズ、スティーブン・ディレイン、他
2006/イギリス・オーストリア・フランス合作

公開時に劇場で観ている。
夢幻のような迷宮世界をもう一度覗いてみようとDVDで観る。

まずは作品内容解説。
Movie Walkerのお力を拝借
 ラウル・ルイス監督の「クリムト」は、グスタフ・クリムトを題材にしているが、この画家の生涯が時系列に沿って描かれるような伝記映画ではない。映画の導入部でクリムトは死の床にあり、彼の脳裏には過去の出来事が奇妙な夢のように甦ってくる。ウィーン社交界の花形としてたくさんの女たちに囲まれるクリムトは、パリ万博で“宿命の女”レアに出会い、クリムトの絵の背景に描かれた死神を想起させる謎の男に導かれるように、美しい女優の幻影に溺れていく。
 この映画では、鏡のイメージにルイスのこだわりが表れている。鏡は過去への入口となる。クリムトは、映像作家メリエスが作った偽のニュース映画で最初にレアと出会い、虚構を模倣するように生身のレアと対面する。そしてその晩、ある屋敷で彼女と再会する時には、マジックミラーの向こう側で彼自身がクリムトを演じ、途中で入れ替わる女たちの中にレアという幻影を追い求めている。
 鏡のイメージが作り上げる迷宮のなかでは、現実と幻想、本物と偽物が入れ替わり、その境界が消え去り、現実や本物は意味を失う。クリムトは、自己のアイデンティティすら揺らぐ迷宮を彷徨い、本物の解放としての死に至るのだ。

ということで、この映画はクリムトという画家の伝記物ではない。
人物伝というより、《クリムトの画風》を映画化したもの。
甘美で優美で退廃でそして難解で限りなく美しい。

冒頭、エゴンシーレが病床のクリムトを見舞いに来る。
説明しなくても、顔をみれば《シーレである》。
雰囲気、動作、全てに可笑しいくらい《シーレである》。

シーレとクリムトが共同でデッサンをするシーンがある。
クリムト、《まず私が書き始めよう》。
そこへシーレが描き加える。
ゾクっ!

アトリエで描くクリムトが写される。
魅惑的なヌードのモデル3〜4人が行ったり来たり。
もちろんこのくらいは無修正である。
目映いくらいに美しい、よって+15作品。
彼はモデルたちと一緒に暮らしていたようだ。
子ども達が生まれ、十数人一緒に暮らしていたこともあったようだ。
制作と私生活が混沌。
《愛と性と生と死》が混沌。
クリムトの絵画は自らの生活そのものである。

ラスト、弟子のシーレに看取られながら、生を終える。
迷宮世界に決着をつけるかのように。



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