駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

一人前であり続けるには

2016年07月16日 | 医療

           

 どの職業でも、一人前になるのは大変だろうが、中でも医師の場合は対象が人間で、学ばなければならない知識の量が多いので、厳しい方だろうと思う。

 難しい医師の国家試験(試験が得意な偏差値秀才の合格率90%は高くない)に合格しても、それは修行する資格を得ただけで、きちんとした一人前の臨床医になるには少なくとも五六年、科に依っては十年掛かる。臨床には実地体験が欠かせず、多寡はあっても技術の習得が必要なため、所謂修業が必須である。そして一人前なっても、一人前の医師であり続けるには日々の研鑽が欠かせない。

 というのは臨床医学は概ね科学なので、日進月歩している。しかも知識が新しくなるだけではなく増えてゆくので、五十歳くらいになると鍛錬していないと付いてゆくのが大変になり六十歳くらいになると息切れがしてくる。七十歳になると眩暈がしてくる。まあそれでも診療が続けられるのは問診や診察といった一端身に付けるといつまでも使える技術があることと、自分の守備範囲を把握して上手く専門医に依頼できれば事なきを得るからだ。そして大きな声では言いにくいが、急性疾患の八割は自然に回復するし、その診断や治療はさほど難しくない。尤も中には不安なのか必要以上の検査治療をする医師も居られるようだが。

 つまり、自分の実力をきちんと評価把握する能力があれば、徐々に戦線は縮小せざるを得ないが、かなりの高齢まで臨床は続けられると思う。怖いのが自分の力が分からなくなっても平気で診療を続けることだ。医師会というのはよくできているもので、やがて九十というのに妙な診療を続けられる先生には「頼むよ、誰か、行ってきて」と嫌な仕事を仰せつかって「先生そろそろ」と引導を渡しに行く役回りの医師が居られた。

 さすがに最近は適当な時期に隠退する医師が増えてきており、いつまでも聞こえない聴診器を手放さない先生は殆ど居られなくなった。

 自分はまだまだ大丈夫?なのだが、あと数年でと思っている、しかるに女房はできるだけ長く働いて欲しいらしい。四六時中家に居るとうっとうしいのだろうか?。趣味が多いので家でゴロゴロはないと思う。限界まで頑張ってA先生のように、ゆっくりする間もなくあの世に行っては残念だ。 

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