駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

優れた問いが求められる

2017年05月03日 | 町医者診言

        

 市井の一臨床医に過ぎないが、憲法記念日に新聞を見て感じる違和感を書きたい。改憲が是か非かなどという設問は単純化するための方便かもしれないが、殆ど意味がないと思う。改正なら賛成、改悪なら反対に決まっている。何が改正で何が改悪なのかが、抜け落ちている。

 インターネットや携帯電話が普及し、AIが出現し、エネルギー源が変化し、地球温暖化が懸念される時代に合わせて、国民の平和に生きる権利を守るために、憲法を変える必要が出てきているのは共産党も認めるだろう。

 改憲賛成反対には、変えようとする意図を巡る思惑懸念が隠されている。それを省略して、ただ賛成反対を大きく取り上げると、末節が根幹を揺るがす危険が出てくる。単純化せず、時代の要請に従い変える必要があるのは何かを議論しなければ何も始まらない。それにもっと重要なことは憲法の根幹に対する理解なしに、改憲を論じると間違いが起きる恐れがあることだ。

 人間は残念ながらというか正確なところ善悪が殆ど五分五分の存在で、釜茹でになった五右衛門が教えてくれたように浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きない。立憲主義はそういう存在である人間が自分の都合で権力を行使しないように、憲法で適正運用の根幹を決めておこうということのようだ。ようだというのは法学部を出たわけではないので、この辺りのことには詳しくない。しかし、臨床を通じて人間の性向に触れているので、人間が俺の何が悪いと力尽くであるいは悪知恵を使って自分の都合を通す恐れがある存在なのを知っている。

 誰にも個人差はあるが好かん女や気にくわない男が居るし、誰しも貧困よりは富裕を望むものだ。寄らば大樹の陰あるいは虎の威を借りるのは、賢こそう良さそうでも、事があれば大樹や虎には別の都合も出てこよう。ひょっとしたら一番守ってくれるのは憲法かもしれない。

 憲法記念日には改憲賛成反対を叫ぶのも良いが、何よりも日本国憲法を読むのに相応しい日と思う。

 口幅ったいことを書いた。ココリコの田中が離婚したと報道されている。この夫婦の記事を読んで好感を持っていたので残念に感じる。しかしここにも人間の度しがたい一面が現れているのだろう。

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