私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
2020・01・06、天地の慈悲
[求むるだけでは、之を得ず]
不幸せや病いに泣かされている人は、幸せな生活、健康な生活を求めるものです。
未解決の事情の解決を求め、喜びなき人は喜びを求めるものです。
その他、もろもろの人生苦に耐えかねた人は、神に救いを求めるものです。
不幸に、耐えきれないから幸福を求め、病いの苦しさからの暗さ、悩ましさに耐えきれないところから、神に救いをもとめるのです。
ありがたい事に、神はもろもろの不幸、病気から逃れる、ための願いをひとつ残らず聞き届ける存在です。
これに日常的に挑む気力を、合掌で養って欲しいものです。
[求むるだけでは、これを得ず、努める事によってこれを得る]
『願いと実行が平行』してこそ、初めて、運命が大きく開けるのです。やります!
2020・01・05、生活と運命
[如何なる事情もさらりと捨て]
毎度のことながら、人は感情という厄介な物を背負っています。
生涯を通じて、感情に左右されたり、調子の良い時は、みごとに処理したりと、生きている限り悲しみと、喜びが交錯することになります。
仕事場での上下関係、同僚などの、対人関係に事情がうまれやすいです。近頃は共稼ぎ夫婦も増えてますから、嫌な出来事をお土産に、玄関に立つ場合もたびたびでしょう。
そこで、合掌の力が試されることになります。嫌なことほど試されるのであって、良いことはほっといても、自然に滲む笑顔で顔が崩れてくるから機嫌もわかります。
とにかく、外の事情を持ち込まないことです。どんな事情も、一呼吸置いて、『ただいまあ。』と大きな声と共に、『サラリと捨てる』のです。
習慣にして生活を替え、生格の善用化に努めてください。私もすでに、事情を抱えてドン底から、やっと這い上がりました。
難問の処理を経験している人は、どんなに落ちても、やがて高いレベルに必ず戻ります。
『努めよさらば与えられん!』です。やります!
2019・01・04天地と人間
[人間は生きている]
次に続きます。[今日まで生きてきた。今日も生きている。また、これから先も、生きて行かねばならない]
だからこそ、日常的に感謝の生活を、しなければなりません。
天地の一切の恵みに、感謝の念をもつことが、どうしたことか、忘れがちになります。
正月になって、それぞれの宗教の門をたたき合掌します。
それは、ふだん忘れている感謝の自覚を、神仏先祖から促されていることに繋がります。
天地に向かい手を合わせることが目的ではなく、『天地に対する感謝の念』は、『祖先、産み育ててくれた親、子供たち、兄弟姉妹、近隣の人々に対する感謝が、天地への感謝』と言われています。
不幸病気があらわれるのは、ただ、『感謝の念の不足が原因』『不平不満、憎み咎めのない、人間らしさ』を発揮して生かされて、生きるのです。やります!
2020・01・03天地の道
[神の懐の中にあり]
このことばには、天地に生かされていながら、日頃の自覚を必要とすることを、日を替えては触れてきました。
神を言いかえれば、天地の表現がピッタリでしょう。その懐にいて幸せを感じるには、七徳があると言われています。
それは、このことばです。[心あかるき者の七徳]です。
充実した人生、幸せはこの七徳の実践から生まれます。
❶心あかるき処へ居る者の、日常は楽し
❷心あかるき処へ居る者の、口は最も軽し
❸心あかるき処へ居る者は、常に笑顔を失わず
❹心あかるき処へ居る者は、その身常に軟かなり
❺心あかるき処へ居る者は、人と親しみ、常に和合の処へ住む
❻心あかるき処へ居る者は、心身共に心明るく楽しく幸福健康を失うことなし
❼心明るき処へ居る者は、『そのまま神の懐の中にあり』
一事は万事です。やります!
2020・01・02、人間関係と運命
[家庭は人間生涯の起源なり]
家は人の生まれるところ、生きるところ、死ぬところ、つまり起源というわけです。
しかし、現代はその家族関係、家庭の環境も、大きくかわりつつあります。少子高齢化の波の中で、家庭人も社会に引き出されています。
でも人間関係の基本は、あくまで、家庭、家族から始まります
その親夫婦が、なにをもって家造りを考え、実行しているのか、これが最も大切です。
それは、三楽といわれるものです。
❶昨日も楽しかった❷今日も楽しい❸明日もたのしい
つまり根本は、
❶たのしき日暮しの中に幸あり
❷楽しき日暮らしの中に健康あり
❸たのしき日暮らしの中に、神の守りありです。
楽しみとは、『喜びと笑顔の消えずして、常に明朗生活の処へ居ることなり』そのための家庭です。やります!